空の下で
___私には、まだ、無理だ。
全部終わらせるつもりだった。誰にも言わず、静かに。
肺に取り込んだ空気が、喉をすり抜けずに胸の奥で鈍く滞っているような感覚。
足元からぞわりと冷たい風が這い上がり、無理やり今いる「ここ」に引き戻される。
マンションの屋上は、思っていた以上に高くて、思っていた以上に現実だった。
下を覗き込んだ瞬間、心臓が強く跳ねて、何かが壊れる音がした気がした。
けれどそれは、期待していた解放ではなく、ただの「恐怖」だった。
…こんなはずじゃなかった。
部屋も片付けた。もう戻る理由はないように。
日記も燃やして、SNSも消して、"わたしだった痕跡"を一つずつ削ぎ落とした。
今日という日が終われば、私という存在も跡形もなくなるはずだった。
なのに。
怖いと思った。思ってしまった。
この期に及んで、こんなふうに手足が震えるなんて。
私はどこまでも臆病だ。情けない。飛び降りるだけ。
それだけのことなのに。
でもきっと、怖いのは“死”じゃない。
“痛み”だ。“過程”だ。
落ちる一瞬の感覚、身体が壊れるまでの間にある想像すらしたくない苦しみ。
それが私を引き留める。
寝転がって、空を仰ぐ。風が頬を撫でる。
雲が流れている。
形を変えて、何も語らず、ただそこにあって、勝手にどこかへ消えていく。
…ああ、雲はいいな。
痛みを知らずに消えられて。
誰にも気づかれずに、何も言わずに、ただ空の一部になれる。
存在しながらも、執着せず、意味も持たず、それでも美しい。
そんなふうに、私もなれたらいいのに。
この世界に求められもしないまま、それでも生きてしまうことの辛さ。その矛盾。
雲になれたら、きっと、全部流せるのに。
わたしという痛みも、記憶も、声も、何もかも。
雲になりたい。
そしたらきっと…。
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