第4話 邂逅
「――着きましたよ」
タクシーの扉が開かれて唖然とする。
立派な門構えに圧倒されてしまった。
「……なにかの間違いでは?」
車がつけられたのは、長屋門の前だった。石畳が続く先には、純和風建築のお屋敷が広がっていることが容易に想像できる。案内板の類はない。
私は降りることをためらってしまう。
「いえ、確かにこちらですよ」
運転手さんは穏やかに返答する。
長距離運転の疲れを見せず、笑顔を絶やさない。
そうだ、代金を払わなければ。でも料金は、目が飛び出るほどだろう。
そんな持ち合わせは――。
「あーっ!!!申し訳ありませんお嬢様!」
大きな声とともに、どどどどどという勢いで若い男性が走り寄ってくる。黒いスーツがまだ身体に馴染んでいなかった。サイズが合っていないわけではない。もしかしたら、歳がそんなに離れていないのかもしれなかった。
「お迎えが遅れて申し訳ありません、斎藤舞鶴様」
困ったように眉を寄せて、その男性は私の方に手を差し伸べる。
「申し遅れました。お出迎えを仰せつかっております、
敵意は感じられない。けれどもその手を取ることがどうしてもできない。
「……あっ!!!申し訳ありません、運転手さん、お支払いに不備がありましたか?」
「いや、アプリから申し込んでいただいて、処理完了していますよ」
「それはなによりです」
おろおろとする私に、柿本さんはまたもあっ!と大声を上げた。
「そうですよね、荷物を下ろしてしまわないといけませんね!運転手さん、お嬢様の荷物は後ろでしょうか?」
「ああ、後ろに入れてます。開けますね」
運転手さんと柿本さんは、車の後ろにまわってしまった。
「ありゃ、思ったより少ないですねー、スーツケースとボストンバックが一個ずつ……」
「あと、この黒い物もお願いします」
これからどうなるにしても、ずっとタクシーに居続けるわけにはいかない。
たとえ回れ右してこのまま家に帰っても、絶対に父は許さないだろう。
私は大きく息を吸いこみ、ハンドバックを持って、車から降りた。
黒い模造刀ケースを受け取り、右肩にかけると、バタン、と車のトランクが閉められる。
「ここまでありがとうございました」
「いえいえ」
運転手さんは最後まで笑顔のまま、その場を去っていった。
私たちは車が見えなくなるまで見送った。
「……さて」
心細さが伝わったのか、柿本さんは裏表のない笑顔を向けてくる。
「お部屋はご用意できております。ここまでの疲れもあるでしょうから、さっそく屋敷まで参りましょう。ご案内いたします」
スーツケースとボストンバックを引き受けたまま、柿本さんは先に歩き出した。
車窓から見ていた限り、ここは公共交通機関の乗降口からはかなり離れた場所になるようだった。
ここで黙っていなくなっても、迷ってしまうだけ。
意を決して、私は着いていく。
敷地が広い。玄関に到着するまで少し歩いた。特に屋敷は、重要文化財に指定されていてもおかしくない。
なんてところに来てしまったのだろうかと思う。
家格は明らかに斎藤家よりも上だろう。
少なくとも財力は、実家を上回っている。そうでなくてはこんな規模の邸宅を維持管理などできない。
「柿本卯一郎、ただいま戻りましたー!斎藤舞鶴様がお見えです!」
はきはきとした声が、邸内に響き渡る。
だが、打っても響かない。反応はなにもなかった。薄暗い室内に、人の気配が感じられない。
柿本さんはバツが悪そうに笑った。
「……あー、満足なお出迎えができず申し訳ありません。うち、人手不足でして、常に使用人を募集しているような状況なんです」
ひやりとする。
柿本さんは悪い人ではなさそうだ。けれど人手が足りないなんて、どんな冷酷な家主がいるのだろう。
「ふざけるな!」
思わず身を竦める。
近くの部屋から怒声が漏れているのだ。
「あそこまで荒れるなんてただ事じゃないな……失礼、少し様子を見てきます」
私の荷物をそっとすみに置き、靴を脱ぐ間も惜しいと言うように、ばたばたと革靴を脱ぎ散らかして、柿本さんは家へ上がった。
「わ、私も行きます」
履物を脱ぎ、そろえる手間は省略させてもらって、後を追いかける。
玄関から入ってすぐ。書斎と思われる部屋の扉が半開きになっている。
入室を迷っている柿本さんが立ち尽くしており、私はそこに追い付いた。
一体何が、と問う暇はなかった。
書斎では、着物姿の男性が、固定電話の受話器を耳にあてて、肩を震わせている。
「手紙を読んだ。未成年なんてどういうつもりだ。すぐに家に帰せ!」
床には便箋が落ちていた。低い声が凄みを持ち、対面していなくても恐ろしい。
「やっと見つけた能力者の家系の家の娘だと?血統主義も大概にしろ!」
怒り、怒り、怒り。
自分に向けられたものではないのに、うまく息が吸えない。
「お嬢様!」
鋭い声と共に、倒れこみそうになる身体を支えられた。
柿本さんの声に気付いたのか、着物姿の男性がゆっくりと振り返る。
整った顔をゆがめ、心底面倒臭そうな顔をして。
「……また、連絡する」
受話器を叩きつけるように電話を切り、私たちのほうに大股で近づいてきた。
「卯一郎、そちらの女性は」
力が抜けてしまい、立っているのがやっとの状態の私を支えながら、柿本さんはぴしりと姿勢を正す。
「斎藤舞鶴様です。先ほど到着されました」
大きな瞳が、私を一瞥する。
「……家に入れたのはお前か」
「はい。川端さんからも指示は受けております」
はああああ。盛大なため息が、形のよい唇から漏れる。
「……連絡の行き違いが重なったか。卯一郎、客人には休んでもらい、回復次第生家へ送れ。方法は任せる」
「え……待ってください!この方は旦那様の婚約者でしょう?」
「俺が了承した婚約ではない」
ぞっとするほど冷たい声だった。
「こだまが戻るまでの猶予はやる。だが彼女はこの家には留め置かない。俺はたとえ、訴えられる可能性があってもこの婚約を履行する気はない」
ああ、ここでも必要とされない。
これ以上の拒絶の言葉を、一言も、聞きたくない。
「お嬢様!」
視界が見えなくなる。
意識が薄れていく。
このままいっそ、すべて終わってしまえばいいのに。
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