第9話 檻の中の街


  日々の逃亡は、やがて「生き延びるための習慣」に変わっていった。

 真理子と由紀は人目を避け、廃屋や古い下宿の一室に潜り込んでは夜を明かす。食料は乏しく、盗むように買うパンの一切れで一日を繋いだ。


 しかし、二人を最も追い詰めたのは空腹でも寒さでもなかった。

 ——街そのものが変わりようであった。


 各電柱の上には新しい監視カメラが取り付けられ、交差点ごとに黒い制服の部隊が立っている。

 市民は顔を伏せ、会話を控え、互いを疑うように目を逸らす。

 小さな子どもにさえ、親が「変なことを言うな」と囁かれながら歩いていた。


「ここはもう、街じゃない……牢獄よ」

 由紀の声は乾いていた。

 真理子も同じ思いだった。人々は自由を失ったのに、それを“安全”という言葉で受け入れざる得ない。管理という檻に閉じ込められていることにさえ、気づかないまま。


 夜、二人は古いアパートの屋根裏に身を潜めていた。

 真理子は小さな窓から外を覗く。通りには検問所が設置され、兵士が列を成す市民の身元を次々に確認している。

 もう笑い声も歌声も消えた街。聞こえるのは軍靴の音だけだった。


「……もう逃げ場なんてないんじゃない?」

 真理子の言葉に、由紀は沈黙したまま壁にもたれかかる。

 その顔は疲れ切り、目の奥はどこか虚ろだった。


 やがて由紀が低く呟いた。

「それでも、生きてさえいれば……きっと」


 その言葉は最後まで届かなかった。外でサイレンが鳴り響き、兵士たちの怒号が近づいてきたのだ。


 二人は顔を見合わせた。

 その表情には恐怖だけでなく、諦めにも似た影が宿っていた。だが同時に——どうにか逃れたいという思いもまだ残っていた。


 街全体が檻に変わた中、二人の逃亡は、終わりに近づいているのかもしれなかった。


 そのとき、外で怒号がひときわ大きく響いた。

 兵士の懐中電灯が揺れ、アパートの壁を白く照らす。

 光はゆっくりと窓の方へ移動し——やがて、屋根裏の小窓に向かって止まった。

 そのときだった。

 光の向こうから、確かに「誰かの視線」が突き刺さった。

 ただ見られているのではない。獲物を狩る者の眼差しが、屋根裏を貫いていた。


 二人は互いに手を握りしめた。

 次の瞬間、扉を破る音が聞こえてもおかしくない——そんな圧迫感が屋根裏全体を支配していた。

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