髪の怪
みそ
髪の怪
風呂場の水がなかなか流れないので排水口のカバーを開けてみたら、案の定髪の毛が絡みついていた。
やたらと長い髪の毛が、ごっそり。
最近さっぱりとショートにした俺の髪の毛ではない。泊まりに来るような彼女もいない。
それなのに排水口に絡みついていた、出どころ不明の大量の髪の毛。
気持ち悪い。
自分の髪の毛でさえも排水口に絡みついていると気持ち悪いと感じるのに、得体の知れない濡れぼそったそれは不快感の塊以外の何ものでもない。
指先で一本だけ摘み上げてみるとけっこうな長さで、頭頂から肩甲骨の下くらいまで届くんじゃないかってくらいだった。
髪質は真っ直ぐではなくて、傷んで縮れている。それでいて髪色は赤茶けている。
その特徴的な髪質と髪色は、今日来たお客さんにそっくりだった。
美容師として働いていると、お客さんからナンパされることがよくある。だいたいが本気ではなくて、ちょっと暇した奥さまとかが遊びのつもりで声をかけてくる軽いやつ。
年上好きの俺にとっては願ったり叶ったりで、俺も相手も一晩の関係と割り切ったお付き合いをよくしている。
そういうお客さんはだいたい明るく人懐こい感じがする。
でも今日のお客さんは違った。たぶん俺よりちょっと年下くらいで、根暗な感じのほとんど喋らないお客さん。
カットしているときにも雑誌には手を伸ばさず、スマホをいじったりもせず、もちろん俺と喋るのでもなく俯いてて、その顔は長い髪に隠れてよく見えなかった。
いろんなお客さんがいるし、喋るのが好きじゃないお客さんも多いからそれは別に気にならない。
でもさすがに、俯きながらなにかブツブツ呟いているのは気になって仕方なかった。
何を呟いていらっしゃるんですか?と聞くわけにもいかないし、聞く勇気なんてないし、とにかく早くカットを終わらせたくてたまらなかった。
でも前髪を切るために正面に回ったときに、少しだけ聞こえてしまった。
「……………して」
もちろん聞こえなかったことにしてスルー。でも細かい調整をするために、ちょっと顔を近づけたときにハッキリ聞こえてしまった。
「……どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
ハサミを取り落としそうになったけど、なんとか堪えた。でもその拍子に見えてしまった。
長い縮れ毛に隠されていた、顔のところに赤いペンかなにかで、大きなばってんをつけられた男の写真。
この人は俯きながらずっと、顔に赤いばってんをつけられた男の写真を見ていた。
そして念仏のようにぶつぶつ呟いていた。どうしてどうして、と。
何も見なかった、聞かなかったことにして俺はなんとかカットを終えた。切った長さも量もさほどではないのに、三人分は切り終えたような疲労感だった。
二度とくるなよという気持ちをぐっと押さえつけて笑顔でお見送りすると、去り際に渡された。渡されるときに、ぎょろりと目が合った。
井戸の底のように、暗く、淀んだ目。
「あの、よかったら…」
渡されたのは小さな白い封筒。はがきサイズの横長のもの。何故か骨を思わせるようなザラつきがあり、特徴的な封蝋をまじまじと見つめてしまった。
縦にした楕円形が幾重にも折り重なった、まるで女性器を模したような、真っ赤な封蝋。
「えっ、ちょっと困ります!」
返そうとしたものの、お客さんはもう店を出た後だった。
気持ち悪くて中身も確認せずに、店の屑籠に捨てた封筒。
それがなぜか、テーブルの上に置いてある。俺の家のテーブルの上に、当然のように置いてある。
「なんなんだよ、勘弁してくれよ…」
髪を切って封筒を渡されてそれを捨てただけで、なんでこんなことになっちまうんだよ。そんなことで、こんなわけわかんないことになんのかよ。
そんな馬鹿な。科学的じゃない。でも科学的に説明がつかない。
突如うちの排水口に絡みついていた、あの大量の髪の毛。
捨てたはずの真っ赤な封筒。
あるはずのないものが、そこにある気持ち悪さ。
玄関の鍵はちゃんとかけていたし、今確認してもちゃんとドアチェーンまでかかっている。ついでにベランダに続くガラス戸も確認したけど、やはり全部しっかり施錠してある。
どう考えても、誰かが入り込めるわけがない。
そうだとわかっているのに、自分以外誰もいないはずの部屋の暗がりに、何かが潜んでいるような気がして落ち着かない。
昼間見た暗く淀んだ目が脳裏をよぎる。
だめだ、水でも飲んで落ち着こう。
コップを手にして蛇口をひねると、ところてんみたいにぬるりと出てきた。
「うわっ!」
イトミミズのように絡み合う、大量の赤茶けた髪の毛。
取り落としたコップがガツンと音を立ててシンクに転がる。髪の毛の上に横たわってしまって、とても拾う気になれない。
髪の毛の上に水がじゃばじゃばと落ちて、それそのものが蠢いているかのような錯覚を引き起こす。まるで本物のイトミミズが、絡み合っているのかのように。
急いで水を止めると、封筒と向き合った。
もはや心臓は早鐘を打ち、息は荒くなり、脇と背中から汗が滴り落ちている。
手触りも封蝋も、生理的な気持ち悪さを醸し出すそれに触りたくない。
でも、こんな馬鹿げた現象を止められる手がかりは、それしかなかった。
テーブルの上に鎮座する封筒に手を伸ばす。まるで人の骨のような、ザラリとした不快な手触り。
つばを飲み込み、本能に訴えかけてくる気持ち悪さを我慢して持ち上げる。
何故だか最初に受け取ったときよりも、重たくなっているような気がする。
そんな馬鹿な、しっかりと気色悪い封蝋で閉じられているのに、そんなわけがない。気のせいだ。気のせいに決まっている。
荒く早くなる呼吸を押さえつけて、あまりの不快感に叫びたくなるのを飲み込みながら、俺はゆっくり、慎重な手つきで封蝋を剥がした。
何故か封蝋は、少し湿っているように感じられ、指先に粘着く何かを残すような感じがした。
封筒の中に入っていたのは、手紙の類ではなくて、一枚の写真だった。
見覚えのある黒を基調とした室内。壁には鏡が埋め込まれ、その前に椅子が置いてある。
俺の職場で撮られた写真。
そして写っているのは、椅子に座り、前を向いている俺。その顔には、赤いばってん。
ふっと、耳元に吐息を感じ、ファサッと軽い何かが首筋と肩に擦れる。
赤茶けた、長い縮れ毛。
そして耳元で聞こえる、念仏のようなあの声。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
横を向くと、井戸の底のような暗く淀んだ目が、笑っていた。
髪の怪 みそ @miso1213
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