AI編

第1章「小さな見栄から始まる嘘」

第1章①『空っぽの男、便利な道具』

『嘘はいつだって、小さな見栄から始まる。』 ―” munagotonosora ”


   * * *


昼休みの社内休憩スペース。

隣に座った同僚の岩下がふと話しかけてきた。


 「昨日さ『午前0時のソナタ』って映画見に行ったんだけど、めっちゃ良かったよ。

  ラストの音楽とか鳥肌もんだった。」


その言葉に、有葉ゆうばは間を置かずに応じた。


 「ああ、それ、俺も試写会で観たよ。

  知り合いが配給会社にいてさ。」


──口が勝手に動いていた。

ほんの数秒前まで、映画のタイトルすら知らなかったくせに。

けれど、岩下の目が期待しているように見えた瞬間、つい語り始めてしまった。

気づけば、そんなふうに話を盛ったり、見栄を張ったりするのが癖になっていた。

誰かに認められたい、それだけの理由で。


承認欲求が高い愚か者だと、自分でも思う。

とはいえ、昔からこういう苦し紛れのこじつけや、

ありもしない話をそれっぽく語る言葉遊びだけは、不思議と得意だった。


 「まじ?どうだった?」


その問いに、有葉はほんの一拍だけ間を置いた。

岩下の目が期待しているように見えた瞬間、


 (ここで何か言わなければ、つまらない奴だと思われる……。)


という焦りが背中を走り、つい語り始めてしまった。


 ──これがいつもの癖だった。


知ったふりをして、少しだけ背伸びした言葉を選ぶ。

それはもう、立派な嘘だった。

けれど、有葉の口は止まらなかった。


 「まぁ…展開はちょっと読めたけど、演出のキレは良かったな。

  特にラストで流れるあの曲、ジャズのスタンダードをベースにしてるんだよ。」


空気を吐くように、嘘が吐き出される。


 「え、あれ?

  あの曲ってクラシックの有名なフレーズじゃなかったっけ?

  逆に、クラシックをジャズっぽくアレンジしてるって感じだったけど……。」


 (……まずい。)


その瞬間、有葉の胸に冷や汗がにじんだ。


 ( “ 原曲がジャズ ” ──さすがに無理があったかもしれない。

  そういえばジャズって、原曲をアレンジするような音楽だったっけ?)


そう思いながら、有葉の言い訳は続く。


 「そ、そうだっけ?

  いやまあ、最近の音楽ってさ、ジャンルの垣根とか、

  けっこう曖昧になってきてるし……

  ジャズとクラシックって、結構融合してるじゃん?」


けれど、有葉はその場の空気にすがるように、うなずきながら話を続けた。


 (何とか乗り切れた。)


そう思いたかった。

岩下は一瞬、眉をひそめたが、すぐに興味を失ったように答えた。


 「ふーん……まぁ、でも観てない人の感想っぽかったけどね、なんとなく。」


その言葉に、有葉は口元を歪め、気まずそうに笑った。

自嘲にも似たその笑いを押し隠すように、続ける。


 「そうか?

  映画はちゃんと観たけど、音楽に関してはあまり知識無いから、

  ズレた回答だったかもな……。」


有葉は笑いながらそう言ったが、その笑みの裏では小さな焦りが尾を引いていた。

嘘をつくことで “ 知っている自分 ” を演出したはずなのに、

結果的には “ 無知 ” をさらけ出すことになっていた。


 「でもさ、知らない知識をちょっと深掘りしたい時は

   “ AI ” に訊いたら、すぐにわかるよ。

  原曲の出典とか、どのへんがジャズ風にアレンジされているのか……?

  なんて疑問を、秒で分析してくれるんだ。」


その岩下の言葉に、有葉の胸に妙なざわつきが走った。

知識がなくても正確に答えてくれる存在


 ──それは、いまの自分が必死に取り繕っていたものを、たやすく超えてくる。


その言葉に、有葉は眉をひそめるように目を伏せた。

“ AI ” という響きが、耳にこびりついたまま離れない。


 「……AIねぇ。」


思わず漏れたその一言は、同意というより、反射のようなものだった。


 「うん、俺なんかもう映画観た直後に『この曲はどこの由来?』って聞いたら、

  即答だったわ。

  “ AI ” は、ほんと便利だよ。」


有葉は苦笑いを浮かべながら、心のどこかで引っかかりを覚えていた。


 「なるほどな……。」


相槌を打ちながらも、その言葉は宙に浮いていた。

岩下の何気ない一言が、まるで耳鳴りのように、

思考の奥で不快に反響し続けている。


   * * *


数日後の昼下がり、有葉はまた同じ休憩スペースでコーヒーをすすっていた。


 「逆霧さんって、マーケティング系のシステムに詳しいんですよね?」


新入社員の尾鷲の一言に、有葉はゆるく笑みを返しながら答えた。


 『一応この部署の立ち上げ期にも関わっていた』


そう言えば聞こえは悪くない。

実際には、上司である高塚の指示に従って資料を数枚まとめただけだったが、


 『初期の導入フローはほとんど自分が仕切ったようなものだ。』


と自負する気持ちがどこかにあった。


 「社内のサーバー構成も、けっこう俺が最初に整備したんだよね。

  技術者の鈴木が迷ってたから、こっちで整理してやったよ。」


……と語る有葉の口調は、自信に満ちていた。

だが、有葉が実際に行ったことといえば、構成案を見せられて、


 『それでいきましょう!』


と、うなずいただけだった。

そもそも、有葉はサーバーやインフラには明るくない。

画面に並ぶ技術用語を、流し読みでそれっぽく聞き流すだけの知識だった。


 「あ、でもサーバー構成の提案書、

  技術チームの鈴木さんが作ったって聞いたような……。」


一瞬、返答に詰まる。

有葉の眉がわずかに動き、視線が宙をさまよった。

だがすぐに、いつもの調子で付け足す。


 「……あぁ、うん、まぁ実際に書面に落としたのは鈴木くんだけどさ。

  あの構成、もともとは雑談の中で『こうすりゃいいじゃん!』って、

  俺が言ったアイデアがベースになってるんだよ。

  直接手は出してないけど、そういうのも大事じゃん?」


言いながら、胸の奥にざらつくものを感じる。

たしか、あのとき自分が言ったのは、


 『それ、いいですね。』


と、同意しただけだった気がする。

けれど、誰かの意見にうなずくことも、きっかけの一つになりうる。

そう、信じたいだけなのかもしれない。


 「あっ、ちなみに私、最近AIにもマーケ資料の叩き台作らせたりしてるんですよ。

  要点を整理したり、図表案も出してくれるんで結構助かってて。」


その言葉に、有葉はカップを置きながら小さく感心したふりをした。

今の若い世代は器用だ、と。


 「逆霧さんみたいな話の組み立て方なら、

  AIもすごく吸収してくれると思いますよ。

  むしろ向いてると思います。」


所詮は道具だろう、と有葉は内心で冷ややかに思った。


 (ふぅん、また “ AI ” か……。)


口には出さなかったが、その評価をどう受け止めてよいのか、

しばらく有葉は言葉を探していた。


   * * *


プレゼン資料の確認中、上司の高塚の手がぴたりと止まった。


 「ここの数字、前回と整合してないけど、どうしてなんだ?」


指摘された箇所を見た瞬間、有葉の頭に冷たい汗が滲んだ。

すぐに理由を探す。

正確には、言い訳を探していた。


 「えっと……前にデータ形式を変えたときに、

  たしかCSVの桁区切りが変わっちゃって……それで見落としが出て……。」


口にしながらも、自分でも何を言っているのか曖昧だった。

実際には、ただ確認を怠っただけだったからだ。

高塚がじっとこちらを見つめた。


 「つまり、チェックしてなかったってことなんだな?」


必死に言い訳を探しながら、適当な嘘でやり過ごそうとする。


 「いや、もちろん確認はしてたんです。

  ただ、前日の夜まで仕様が変わるかもしれないって話もあって……。」


存在しない “ 外部のせい ” に逃げ込む。

それは、有葉の癖だった。

過去にも幾度となく繰り返してきた、無意識の防衛。

しばらく沈黙が続いたあと、高塚は淡々と告げた。


 「……この資料の骨子、次回からはAIに叩き台を作らせていいぞ。

  さっきの話みたいに『仕様変更があるかも』っていう不安があるなら、

  都度確認すればいい。

  AIなら即答してくれるからな。」


ここでも、また “ AI ” というキーワードを耳にする。


 「AI……ですか……。」


返す言葉が見つからず、有葉はうつむきながらつぶやいた。


 「業務効率化ってのは、便利な道具から使うのが第一歩だぞ。

  ……それに、便利な道具を使いこなせないと、仕事が回らない時代だぞ。」


そう言って、高塚はまた別の資料に目を戻した。

心の奥に、何かが刺さったまま残っていた。

使う、使わない──その問題ではない。

有葉はただ、向き合うべきものを避け続けているだけだった。

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