3 黒い塔のてっぺんで、クマといっしょに月を見る

 翌朝――ボクは家を出て、宵闇さんのお屋敷前を通る。

 すると、やっぱり彼女は、そこでボクを待っていた。


「おはようございます、鵺野さん」


「おはようございます、宵闇さん」


 朝のアイサツを交わし、ボクたちは学校に向かって歩きはじめる。

 ふと宵闇さんのお屋敷を見ると、二階のベランダに洗濯物が干してあるのが見えた。


 黒い服。

 なんかモコモコで、フワフワな感じ?

 ひょっとして、あれ、宵闇さんのパジャマか何かなんだろうか?


「宵闇さんは、その、ベランダに洗濯物を干してらっしゃるのですか?」


「はい。外に出しておいた方が、早く乾くので」


「雨が降ったら、どうするんです?」


「また洗えばいいじゃないですか。それにさっきカラスに聞いたところ、今日は雨が降らないそうです」


「あぁ、カラスに……」


 カラスって……天気のことがわかるんだろうか?

 天気予報の代わりになるのは、たしかツバメじゃなかったっけ?

 まぁ、でも、もしかしたらカラスにだって、そういった能力があるのかもしれない。


「ところで、鵺野さん」


「は、はい」


「鵺野さんと私は、もうお友だちですか?」


「ど、どうでしょう? でも、まぁ、昨日も学校からいっしょに帰りましたし、今日もいっしょに登校しています。だから、まぁ、友だちかも――」


 宵闇さんが胸で両手を合わせ、キラキラと瞳を輝かせる。

 あの、なんか、めちゃくちゃうれしそうなんですけど……。


「あ、ありがとうございます! 私、お友だちができるの、生まれて初めてなんです!」


「え……あ、あぁ、でもそうかもしれませんね。今まで学校に一度も行ったことがないってことは、そういう感じなのかも……」


「私、感激いたしました! お友だちといっしょにいると、とても楽しいです!」


「そ、それは……良かったです」


「それでは、鵺野さん」


「はい」


「今日――よろしければ、ウチにお泊りになりませんか?」


「は、はい?」


「私、本で読んだことがあるのです。お友だち同士は、どちらかの家に宿泊し、パジャマパーティーというものをやるんですよね?」


「え……」


「二人でパジャマを着て、夜空の月をながめながら、色んなおしゃべりをする行事です」


「あぁ、いや、宵闇さん……」


「はい」


「お泊まりしてパジャマパーティーというのは、女の子同士限定だと思います。男子は、ほとんどやりません」


「そ、そうなのですか?」


「はい。もし宵闇さんがパジャマパーティーをやりたいのでしたら、クラスの女子とお友だちになるべきじゃないかと……」


「鵺野さん……」


「はい」


「この世界は――もしかして複雑ですか?」


「複雑……と言いますか、とりあえずパジャマパーティーに関しては、今ボクが言ったとおりです。女の子同士限定。それ以外はありえません。もちろん恋人同士なら、また別かもしれませんけど……」


「そうなんですね。わかりました……」


「はい。なんか、ごめんなさい」


「それでは、鵺野さん」


「はい」


「私と恋人同士になってください」


「いや、そういう話じゃないんですよ……」


 宵闇さんは、一体何なのだろう?

 この人、マジで、これまで一度も友だちがいなかったっぽい?

 距離感、ちょっとバグり気味……。


 世の中のこと、あんま知らないんだろうか?

 魔術の勉強ばっかして、家に引きこもっていたから?


 まぁ、それはそうかもしれない……。

 フツーこういうこと、女の子はサラッと言わない。

 宵闇さんにきちんと説明し、ボクは彼女の『恋人同士になってください』を断る。


 いや、でも――もしかしたら、ボクは彼女の申し出をオッケーしとくべきだったんだろうか?

 こんな美人と付き合えるチャンスなんて、人生でそんなに起こるラッキーじゃない。


 宵闇さんは、なんか不思議な人だけど、意外と、こぉ、性格も良さそうだし……。


       ●


 学校が終わる。

 ボクと宵闇さんは、当たり前のように並んで下校していた。

 まぁ、家も近所だし、こういうのもヘンじゃないのかもしれない。

 となりを歩く美人の横顔を見つめ、ボクは口を開いた。


「あの、宵闇さん」


「はい」


「今朝の話なんですけど……なんか、すいませんでした。その、宵闇さんのパジャマパーティーに付き合えなくて」


「いえ。実は私も、あれからスマホで調べてみたのです。鵺野さんがおっしゃるとおり、男女でするパジャマパーティーは、存在しませんでした」


「はい。そうなんですよ」


「仮に存在するとすれば、それはやはり恋人同士です。でも私たちはまだ小学生。そういうことをするには早すぎます」


「まさに、おっしゃる通りです」


「今朝からベランダに干しているパジャマ。あれ、じつは通販で買ったものなんです。昨日の夜、届きました」


「通販で?」


「はい。鵺野さんとお友だちになれたら、ぜひあれを着てパジャマパーティーをしようと思って……」


 そ、そうなんだ……。

 宵闇さん、そんなにパジャマパーティーをしたかったんだ……。


 でもなぁ……ボクは男だし……。

 こればっかりは、どうにも……。

 でも……何か、別のことなら……。


「あの、宵闇さん」


「はい」


「ちょっとヘンな話なんですけど、いいですか?」


「はい。ヘンな話、私、大好きです」


「もし本当にボクで良かったら――」


 ボクは、その場に立ち止まる。

 まっすぐに、彼女を見つめた。


「パジャマパーティーっぽいことならできます!」


「パジャマパーティーっぽいこと?」


「はい。もちろん、ボクは宵闇さんのお宅にお泊りすることはできません。でも宵闇さんがそれをやってみたいのなら、今日の夜、ボクは三十分だけ時間を作ります。夜空の月を眺めながら、二人でお話をしましょう」


「鵺野さん……」


 宵闇さんが、なんだか感激した顔でボクを見上げる。

 やっぱり、ものすごい美人。


「では、今日の夜、三十分だけお願いできますか?」


「わかりました。それではボクが、宵闇さんのお屋敷に行きます」


 ボクたちは、ふたたび家に向かって歩きはじめる。

 宵闇さんは、なんだかとてもうれしそうな顔をしていた。


 でも、この人……ホントに子どもみたいな人なんだなぁ。

 すごく大人っぽい顔をしてるから、もっとキツい子かと思ってた。

 初対面は、まるで幽霊みたいだったし……。


 だけどこの子のこういった素直なとこ、なんか好きだ。

 ちょっと変わってるけど、この子と友だちになって良かったような気がする。


       ●


 家に帰り、夜ごはんを食べ、お風呂に入る。

 あっという間に、八時になった。

 パジャマのまま上着を着て、ボクはテレビを見てる両親に言う。


「ちょっとコンビニまで行ってくる」


「コンビニ? こんな時間にか?」


「明日じゃダメなの? もう夜なんだけど?」


 お父さんとお母さんが交互に言う。

 ボクはそれに、社会科のノートをかざした。


「友だちに借りたノートをコピーしたいんだ。忘れてた。明日返す約束になってるから」


「そっか。ま、車に気をつけろよ。スマホは持ってけ」


 ウチの両親は、案外自由にさせてくれる。

 こういう親を、放任主義ほうにんしゅぎって言うらしい。

 でも、まぁ、口やかましい親に比べたら、めちゃくちゃやりやすくて気分も良い。


 自転車に乗り、宵闇さんのお屋敷に向かう。

 一分で、到着した。

 家が近所だと、こういう時便利だ。


「こんばんは、鵺野さん。来てくださって、ありがとうございます」


 お屋敷のドアをノックすると、宵闇さんはすぐにドアを開けてくれた。

 パジャマ姿の彼女を見て、ボクはちょっとビックリする。


 そこには――黒いクマがいた。

 黒とベージュのフワフワ・モコモコ、毛布みたいな生地。

 頭にかぶったフードには、クマの顔とまあるい耳がついている。


「どうでしょうか、このパジャマ?」


「そちらは、その……パジャマなのですか?」


「はい」


「いや、何と言うか……ちょっと驚きました。とてもお似合いです」


「ありがとうございます。鵺野さんのパジャマも、とても素敵です」


「あ、ありがとうございます」


 素敵、だろうか?

 ボクのパジャマ、お父さんとおそろいの青と白の縦ストライプなんだけど……。


「あの、では、どこでお話ししましょうか?」


「今日は鵺野さんのお時間を三十分いただけるということで、特別な場所をご用意しております」


「特別な場所?」


「はい。こちらです」


 宵闇さんが玄関を出て、庭の中央あたりまで歩いていく。

 地面に直径二メートルくらいの黒い円が描かれていた。


 何だろ、この円?

 宵闇さんは魔術の勉強をしてるから――もしかして、魔法陣?


「こちらの円の中に入ってください」


「は、はい」


 彼女に言われた通り、ボクはその黒い円の中に入る。

 すると宵闇さんが、その場に片ヒザをつき、右の手のひらを地面に当てた。


「腰をかがめて、衝撃に備えてください」


「しょ、衝撃?」


 宵闇さんと同じように、ボクは地面に片ヒザをついて身構える。

 直後――信じられないことが起こった。


 円の内側が一瞬真っ黒になったかと思うと、ボクは全身になにかしらの加速を感じる。

 な、何?

 それはまるでジェットコースターで急上昇してるような感覚だった。


 そんな状態が、五秒くらい続いただろうか?

 ピタッと、加速が終わる。

 次にボクが感じたのは、左右から吹きつけてくる――風だった。


 な、何が起こったんだ、これ?

 ビビりながら、ボクは左右の風景を見つめる。


 建物が――遠くに見えた。

 夜の中で、キラキラと輝く街灯り。

 遠い、海側の工業地帯まで、恐ろしいほどよく見える。


「こ、これは……」


 恐る恐る、ボクは黒い円の端っこまで四つん這いで進んでいく。

 下を、覗いてみた。


 目が……クラクラする。

 な、何だ、これ?


 ボクと宵闇さんが乗っかっているのは――直径二メートルの黒い円の中。

 これは、さっきから変わらない。


 だけど――その下が伸びていた。


 つまり、ボクたちがいるのは、円柱のてっぺん。

 一本の長い棒の先っちょ……。


 こ、これ、地上から……100メートルくらい?

 ウ、ウソだろ……。

 ボクと宵闇さんは、全長100メートルの黒い塔の真上にいた。


「よ、宵闇さん、これって……」


「インクミラーを使って、私たちだけの場所を作りました。黒い塔です」


「黒い、塔……」


「こちらをどうぞ」


 肩からぶら下げていた水筒を下ろし、宵闇さんがコップに何かを注いでくれる。

 ホカホカと舞い上がる湯気。

 コ、コーヒー?


「インクの力で構築された塔です。折れることも揺れることもありません。だから安心して、コーヒーをどうぞ」


 できるだけ円の中央に移動し、ボクは彼女からコップを受け取る。

 ど、どうなってるんだ、これ?


「見てください、鵺野さん。月があんなに近いです」


 コーヒーを飲みながら、宵闇さんが言う。

 彼女に言われた通り、ボクは夜空の月を見上げてみた。


 たしかに……月をこんなに近くで見るのは、生まれて初めてのような気がする。

 って言うか、そもそもパジャマでこんな高いところまで来たのも初めてだ。


「あの、鵺野さん」


「は、はい」


「もしかして――私、鵺野さんのご迷惑じゃないでしょうか?」


「え? どうしてです?」


「私、自分があまりフツーじゃないのはわかってるんです。これまでずっと、一人で魔術の勉強ばかりしてましたから」


「あぁ、はい」


「だからその、鵺野さんはこんな私とお友だちになってくださったのですが……もしかしたら本当はご迷惑なのでは? と思っています」


「なるほど。そういうことですか」


 地上から100メートルの黒い塔の上で、ボクはズズズズズとコーヒーをすする。

 あたたかい。

 高いし、風が少し強いけど、なんだかとても気持ちが良い。

 不安そうな宵闇さんに、ボクはほほ笑みを向ける。


「宵闇さんが、一体どういう風に考えてらっしゃるのかはわからないですけど……」


「はい」


「ボクたち、まだ小学生じゃないですか?」


「はい」


「だからその……そんなことを気にする必要はないんじゃないでしょうか? クラスを見ても、みんなめちゃくちゃヘンなヤツらばっかですよ。全員、まだ常識を勉強している最中です」


「みなさんも、まだ常識を学んでらっしゃる最中なのですか?」


「はい。みんなまだ途中です。だからもしクラスに溶け込めないようなことがあっても、それは当たり前です。ボクたちはまだ、色んなことを勉強してる真っ最中なんですから。誰だって間違えます」


「鵺野さん……」


「ボクは宵闇さんと友だちになって良かったと思ってますよ。だって宵闇さんが友だちじゃなきゃ、こんな高い塔の上でコーヒーなんか飲めないじゃないですか」


「鵺野さんは……私のことを愛しているのですか?」


「は、はい?」


「愛してないのですか?」


「い、いえ、あの……人としては、愛してますよ」


「私のこと、おキライなのでは?」


「キライなら、こんな夜中にあなたの家に来ることはありませんよ」


「ありがとうございます。鵺野さんといっしょにいると、私、なんだか落ち着きます」


 ボクたちは、いつもより近い月を見上げながらコーヒーを飲む。

 やがて少し寒くなってきたので、宵闇さんがインクミラーの黒い塔をちぢめた。


 宵闇さんの初めてのパジャマパーティーは、わずか10分くらいで終わる。

 地上に戻ると、ボクは宵闇さんにコップを返し、自転車にまたがった。


「それじゃあ、宵闇さん。また明日」


「はい。明日も、この家の前でお待ちしております」


 ボクは、ペダルをこぐ。

 宵闇さんは、真夜中の門の前から、ボクの姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。

 ボクも、それに右手をあげてこたえる。


 宵闇さんは、なんだか不思議な人だ。

 だけどボクは、彼女がケッコー好きだ。

 何と言うか、彼女もボクに言ってくれたけど、彼女といっしょにいるとボクもなんだか落ち着く。


 もしかして、これが『わかり合った』ということなのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る