2 こちらの傘をお差しください

 翌朝――ボクは家を出て、学校に向かった。

 途中、もちろんあの幽霊屋敷の前を通る。

 お屋敷の前には、昨日とは違う黒い服を着たボブヘアの女の子が立っていた。


 ヤバい。

 やっぱり今日も、すごい美人。

 宵闇さんだ。


「おはようございます、鵺野さん」


「おはようございます、宵闇さん」


 朝のアイサツを交わし、ボクたちは並んで歩きはじめる。

 昨日の一件以来、ボクはモウレツに彼女に興味があった。


 それは、まぁ、『この美人な女の子のことを、もっと知りたい』という気持ちももちろんある。

 だけどそれ以上に、謎の存在として、彼女のことをもっと知りたくなったのだ。


「あの、宵闇さん」


「はい。何でしょう?」


「ずっと気になっていたのですが、宵闇さんは、その、ふだんは敬語で話されるのですか?」


「はい」


「でも、あの、いいんですよ、べつに。もっと、こぉ、くだけた感じでも」


「くだけた感じ?」


「はい。もっと、その、ラフって言いますか……」


「おっはよ、鵺野くん! 今日も良い天気だね! 朝から学校だなんて、超メンドくない? ……こうでしょうか?」


「なんでギャルなのかはわかりませんが……まぁ、そんな感じです」


「鵺野さん」


「はい」


「私は、鵺野さんに敬意を持っています」


「ケイイ……」


「尊敬する気持ちのことです」


「あぁ、はい。あ、ありがとうございます」


「だから鵺野さんには、これからも敬語を使わせてください」


「あの、でも、宵闇さん」


「はい」


「宵闇さんは、その、ボクのどんなところを尊敬されているのでしょうか?」


「おわかりになりませんか?」


「ぶっちゃけ、まったくわかりません」


「昨日――」


 宵闇さんが、少し下を向いて続ける。


「鵺野さんは、自分が危険な状態になることがわかっているのに、車道に飛び出した子犬を助けに行こうとされました」


「あぁ。はい。そうでした」


「あのようなことは、なかなかできることではありません」


「そうですか?」


「はい。とても素晴らしかったです。そこには愛がありました。だから私は、鵺野さんを尊敬しています」


 それを聞いても、ボクにはイマイチよくわからなかった。

 フツー、子犬があんなことになってたら、誰でも助けに行こうとするんじゃないだろうか?

 宵闇さんって、なんだか不思議な人だ。


       ●


 学校でも、宵闇さんはやっぱり不思議な人だった。


 まず、彼女は――ノートを一冊しか持っていない。

 厚さが2センチくらいある、文庫本より少し大きなサイズのもの。

 それだけだ。


「宵闇さんって、教科ごとにノートを使い分けないんですか?」


「え? あぁ、はい」


「なんでです?」


「使い分けは、必要ですか?」


「えっと、まぁ、たぶん。みんな、そうしてますし」


「ランドセルにノートをたくさん入れてたら、重くないですか?」


「まぁ、少しは重くなるかもしれませんけど……」


「私、勉強って、どれも同じだと思うんです」


「どれも、同じ……」


「鵺野さんは、勉強って何だと思われます?」


「勉強……えっと、やらなければいけないこと……やっとかないと将来困るもの、でしょうか?」


「そうですか。私にとっては、少し違います」


「違うのですか?」


「はい。私にとって勉強は、『世界の謎』を解くためのものです」


「世界の、謎を……」


「はい」


「勉強したら、解けるのですか?」


「はい。少しずつですが、解けてきます」


 宵闇さんって、なんか深いことを言う。

 勉強とは、世界の謎を解くためのもの……。


 そっか……。

 そんな考え方、したこともなかったな……。


       ●


「え? 宵闇さんのお宅に?」


「はい。いかがでしょう? もしかして、お忙しいですか?」


「い、いえ。あの、ヒマです。めちゃくちゃヒマです」


 その日の帰り道――ボクは生まれて初めて、女の子からの誘いを受けた。

 宵闇さんに『ウチでお茶でも飲んでいかれませんか?』と言われたのだ。


 女の子の家に遊びに行く。

 まさかボクの人生に、そんな瞬間が訪れるとは夢にも思わなかった。

 しかも宵闇さんのような美人に誘われるなんて!


「どうぞ」


 幽霊屋敷――いや、宵闇さんの家に到着すると、彼女が門を開けてくれた。


「し、失礼します」


 一歩、中に入る。

 今まで一度も入ったことがない、この洋館。

 庭はやっぱり、めちゃくちゃ広かった。


「お庭、広いですね」


「えぇ。そのぶん手入れが大変です。もっとも、私がするわけではありませんが」


 庭を通り過ぎ、ボクたちはお屋敷の前に立つ。

 近くで見ても、やっぱり少し斜めな気がする。


 気がつくと、宵闇さんがいつの間にかカギを手にしていた。

 ファンタジー映画とかによく出てくる、アンティークでオシャレなタイプ。


 何と言うか、それを使えば、秘密の世界への扉が開くような謎のカギ。

 しかも、やっぱりこれも黒。

 カギ穴にカギを差し込み、宵闇さんがガチャリと回す。


「ようこそ、私の家へ」


「はい。あの、お邪魔します……」


 宵闇さんがドアを開けてくれるので、ボクは中に入っていく。

 屋内の様子を見て、かなり驚いた。

 

 こ、これ……何でしょう?

 玄関って、レベルじゃない。

 エントランス? って言うんだろうか?


 ただひたすらに、だだっ広い空間。

 床に敷かれた、めちゃくちゃ高そうな絨毯。

 まるで美術館のように、花瓶や絵画がアチコチに飾られている。


 が、外国の家?

 って言うか、ゲームとかによく出てくる謎のお屋敷?


「め、めちゃくちゃ広いお宅ですね……」


「そうでしょうか?」


「えぇ。この空間だけで、ボクんちが2、3軒入りそうです……」


「天井が高いでしょう? だから冬は寒いんじゃないかと少し心配しています」


 宵闇さんが歩きはじめたので、ボクもそれについていく。

 エントランスの左側にあるドアを、彼女が開いた。


「マ、マジですか……」


 その部屋の中を見て、ボクは小声でつぶやく。

 ここは一体……どちらの宮殿なのでしょう?


 めちゃくちゃ長くて立派なダイニングテーブル。

 2、30人は、ここで同時に食事をとれそうだ。

 宵闇さんち、もしかして大家族?


「宵闇さんは、その、ご家族が多いのですね」


「家族? なぜそう思われるのですか?」


「いや、だって、こんな大きなテーブルがあるので、2、30人はいらっしゃるのかなぁ、と……」


「あぁ、これは来客用です。今、この屋敷に住んでいるのは、私一人ですよ」


「え? お一人?」


「はい」


「小5の女の子が……一人暮らし? ほ、保護者の方は?」


「たぶんどこか、別の土地にいるのではないでしょうか? 私には、とくに関係のないことです」


「関係、ないのですか?」


「はい。私、一人でも生きていけますので」


「えぇぇぇぇ……」


「お茶の準備をしましょう。お好きな席に、お座りになってください」


 テーブルの上にランドセルを置き、宵闇さんが奥に歩いていく。

 あっちが台所……って言うか、こんなお屋敷だからキッチンと呼ぶべきだろうか?


 しかし……何もかもが豪華すぎる。

 宵闇さん、ひょっとしてお金持ちのお嬢さま?


 室内をキョロキョロと見回していると、宵闇さんがお茶のセットを持ってきた。

 高級感あふれるティーポット、ティーカップ、そして――クッキー。

 なんか、カッコイイ……。

 ウチのお母さんだったら、きっとセンベイとサイダーを持ってくる。


「となり同士で座りましょうか? 離れると声が聞きづらいので」


「は、はい」


 ランドセルを背中から下ろし、ボクは床に置く。

 お茶を淹れはじめる、宵闇さんの手もとを見つめた。


 お茶が……番茶じゃない……。

 葉っぱの、お紅茶……。

 これはもはや、本格的なティー……。


「どうぞ」


 宵闇さんが、お皿に乗せたカップをボクの前に置く。

 これまたルックスが、めちゃくちゃ高そう……。


「い、いただきます」


 ペコリと頭を下げ、ボクはそのお紅茶を飲む。

 ズズズズズズズ……。

 なんだかよくわかんないけど、とりあえず高そうな味がした。


 しーーーーーーーん。


 しかし……静かだ。

 全力で、静かなお屋敷だ。


「あの、宵闇さん」


 ささやくように、ボクは彼女に言う。


「はい」


「ここは、その、喋ってもいいお部屋なんでしょうか?」


「かまいませんけど? なぜ、そのように小さなお声なのですか?」


「いや、あまり大きな声で喋ってはいけない部屋かと思いまして……」


「お気づかいなく。さっき申しあげましたとおり、ここには私しか住んでおりません。どうぞ、リラックスされてください」


「あ、ありがとうございます」


 なぜだかわからないけど、ボクは思わず彼女にお礼を言ってしまう。


「それでは宵闇さん。ちょっと質問があります」


「ご質問? ありがとうございます。鵺野さんは、私に興味を持ってくださったのですね」


「は、はい。もちろんです」


「うれしいです。それでは、一体どのようなご質問でしょう?」


「宵闇さんは、その、魔術のお勉強をされてるわけですよね?」


「はい」


「確か、インクミラー? でしたっけ?」


「はい。インクミラーです」


「それは一体、どのような魔術なんでしょうか?」


「なるほど。インクミラーに興味がおありなのですね」


 そうほほ笑むと、宵闇さんは自分のティーカップの下からお皿を抜き取った。

 それをボクの前に移動させる。


「こちらをご覧ください」


 宵闇さんが、お皿の上に手をかざす。

 一秒後――お皿の上に黒いインクのしずくが垂れはじめた。

 一滴、二滴、三滴……止まらない……。


「こちらは、その、手品的な? マジック?」


「いえ。そうではありません。これがインクミラーという魔術なのです」


 手からインクを出す魔術?

 そういえば、昨日子犬を助ける時に出したタコ足みたいなのも、黒いインクっぽかった。


「手からインクが出る魔術なのですか?」


「手からインクを出す魔術です」


「すいません。これは、その、どのような役に立つ魔術なのでしょう?」


「鵺野さん。この世界は――実はインクに支配されているのです」


「インクに、支配されてる?」


「はい。聖書もインク、お金もインク、法律もインクで書かれているでしょう?」


「た、たしかに……」


「この魔術を使えば、インクを使用した世界中の物・権力が自由になります。これって、かなりの魔術だと思われませんか?」


「それはそうですけど……宵闇さんはその魔術を使って、その、世界を征服したいのですか?」


「いえ。昨日も言ったように、私が知りたいのは愛です。色々学びましたので、これからは愛を学ぼうと思います」


「愛、ですか……でも手からインクを出せるって、すごいですね。なんかちょっと楽しい気分になれました」


「まぁ。鵺野さんに楽しんでいただけるなんて、私、光栄です。では、もう少しお見せいたしましょう」


 部屋の隅まで歩き、宵闇さんが何かを持ってくる。

 それは、一本の傘だった。

 何と言うか、魔女のコスプレとかで使えそうな、白いフリフリがついた黒いやつ。


「こちらの傘をお差しください」


「差す? これを? 今、ここでですか?」


「はい」


 イスに座ったまま、ボクは傘を開き、差してみる。

 すると宵闇さんが、とてもさりげなくボクのヒザの上に座ってきた。


 え?

 えぇぇぇぇ……。


「鵺野さん、もう少しくっついてもよろしいでしょうか?」


「は、はぁ……」


「すいません。こうしないと、私もずぶ濡れになってしまいますので」


「ずぶ濡れ? 何でですか?」


「雨が降るのです」


 宵闇さんが、ボクの体にしがみついてくる。

 なんか、もぉ、ほとんど抱きついてくる感じ。

 宵闇さん、めちゃくちゃ良い匂い……。


「それでは、行きますね」


「行きますねって……な、何を?」


 ボクの体にしがみついたまま、宵闇さんが右手を横に伸ばす。

 パチン! と指を鳴らした。

 ボクは首をかしげる。


 そしてそれは――突然やってきた。


 何か、めちゃくちゃ重い物が天井から落ちてくる。

 ものすごい、勢いで。


 バッシャーーーーーーーン!


 傘を握りしめ、ボクはなんとかその重みに耐える。

 折れそうなほど、傘の柄がしなった。

 ボーゼンと、ボクは部屋の中を見回す。


 この部屋全体に飛び散っている、真っ黒な水。

 テーブルも、イスも、壁も、床も、すべてが真っ黒に染まっていた。


 いや、水って言うか、この匂い……ひょっとしてインク?

 とりあえず、すべてが台無しだ……。


「こ、これは……」


「これがインクミラーです。私の意志ひとつで、どこでもどれだけの量でもインクを出すことができます。たとえばこのように、室内でインクの雨を降らせることも」


 な、何ですか、これ……。

 一瞬で、こんな広い部屋がインクの海。


 魔術だ……。

 これは、たしかに魔術だ……。


「どうですか、鵺野さん? これ、面白いですか?」


「面白いと言いますか……その……色々と、すごいです……」


「ありがとうございます。鵺野さんに興味を持っていただけて、私、とってもうれしいです」


 黒インクがポツポツと飛び散った顔で、宵闇さんがほほ笑む。

 ヤバい。

 この人、やっぱりすごい美人だ。


 そして――めちゃくちゃヘンな人。

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