第19話 丸裸の奇策
「わっはっはっ! 酒が足りねぇ! 酒持ってこーい!」
「うおっ!? いきなり汚えもんを見せるなよ!」
「馬鹿野郎! 殿様に褒められた自慢の息子だぞ!」
今夜は戦勝を祝って、無礼講。
もう深夜だというのに、岡崎城も城下も、飲めや歌えの大騒ぎ。
「何だと! 俺の方が凄えに決まっている! 見せてやんよ!」
「よーーーし! みんなで比べてみるか!」
「だったら、殿様を呼んでこい!」
「だな! 殿様がいなかったら、始まらねえや!」
その最中、俺は小走りで、屋敷の影から屋敷の影へと身を潜めながら進んでゆく。
足軽たちの笑い声や喧嘩声が、夜の闇に混ざりながら、少しずつ遠ざかってゆく。
「あいつら、またやってるよ……。
どうして、戦国時代の男ってのは、すぐに脱ぎたがるかなー?」
しばらくすると、辺りはすっかり静まり返り、目的地の雑木林が見えた。
月明かりに照らされた木々の奥に人影を見つけると、俺は一気に全速力で雑木林の中へ飛び込む。
「待たせたな」
「いえ、わざわざご足労を……。
うわっ……。ずいぶん凝ってますね。その格好……。
俺を待っていたのは、平岡のおっさんだった。
辺りの様子をしきりに窺っていた視線が、俺の存在に気づくと、ぱっとこちらに向き、その目が大きく見開かれた。
黒田長政の内応工作に向かっていた平岡のおっさんから、俺への呼び出しがあったのは、夕飯を済ませた後になる。
福島正則をはじめとする岡崎城の敗将たちの処遇を決める裁判が間近に迫る中、小早川家の忍者がひそかに知らせてくれた。
黒田長政が恭順の意思を固め、この雑木林の中にある廃寺で、俺に面談を求めている、ということだった。
そこで、俺は皆が戦勝に酔いしれる宴の中、酒を少しだけ口にした。
小一時間ほど雑談を交わし、『今日はもう疲れたから』と言い、寝たふりをして岡崎城を抜け出してきた。
無論、そのままでは抜け出せるはずがない。
だから、足軽の姿に変装してきた。
ただし、小早川家の忍者に用意してもらった品は洗濯済みで綺麗だったため、俺は小細工を施してある。
「ぬかるみをわざわざ作って、そこに転がったからな!」
「そこまでせずとも……。」
驚く平岡のおっさんの様子を眺めながら、俺は腕を組み、満足げにウンウンと頷いた。
テーマは、矢作川を渡りきったはいいが、武功に焦るあまり川土手ですっ転んだ毛利兵の足軽だ。
でも、それだけでは物足りない気がして、もう一つの設定もぶち込んである。
「いやいや、こういうのはリアリティが……。
じゃなかった、現実味が大事なんだよ。ほら、嗅いでみて?」
「臭っ! ……臭っ!」
俺が指さした胸元に顔を近づけた平岡のおっさんは、上半身を勢いよく仰け反らせた。
一歩後ずさり、鼻を摘みながら顔を背けるその姿が愉快でたまらず、俺は隠密行動中であることを忘れて大笑いしてしまった。
「はっはっはっ! 馬糞も塗りたくってみた!」
「ええっ……。」
「おかげで、城も簡単に抜け出せたぞ! 手で追っ払われたけどな!」
追加した設定は、すっ転んだ場所にたまたま馬糞が落ちていたというものだ。
戦場で馬糞は珍しくない。
愛馬のオグリもそうだが、馬というのは割といつでもどこでもブリブリ垂れやがる。
だからこそ、リアリティがある。
だが、平岡のおっさんは不満らしい。これでもかと、顔をこわばらせている。
「……井戸があります。まずは身体を洗いましょう」
「えーー……。 このままじゃ駄目?」
「駄目に決まってます!」
おまけに、怒鳴られた。
せっかくの苦心が台無しになる納得のいかなさに、俺は思わず口を尖らせた。
******
「お待たせして申し訳ない。黒田殿」
廃寺の本堂で深く平伏する黒田長政の前に歩み寄り、俺は静かに腰を下ろした。
一呼吸の間を置き、黒田長政はゆっくりと頭を上げた。その次の瞬間。
「いえ、わざわざご足労を……。
……って、どわっ!? なぜ、裸なのですっ!?」
黒田長政は両手を上げながら仰け反った。
その勢いがあまりに強く、座ったまま尻もちをつくように、板間がギシリと音を立てた。
そう、俺は全裸だった。
堂々と丸出しのまま、あぐらをかいていた。
その理由は言うまでもない。
平岡のおっさんに『身体を洗え』と言われたからだ。
しかも、井戸から汲んだ桶一杯の水を、平岡のおっさんに何度も叩きつけるように浴びせらせた。
おかげで、褌までびしょ濡れ。
冷たくて冷たくて、丸出しの方がマシだと、すぐに脱ぎ捨てた。
俺の苦心作の足軽衣装は、無情にも捨てられた。
平岡のおっさんは、俺が着直さないよう、念入りに水を浴びせてくれた。
「まあ、当然の反応だよね」
俺は黒田長政の反応に苦笑するしかなかった。
「義兄上、聞いて下さい! 殿ときたら、アホなんですよ!」
だが、俺の左斜後ろに座った平岡のおっさんは違った。
水浴びの際にさんざん怒鳴りまくって、一度は鎮火させた火山を、大噴火させた。
「お前ね……。主君に向かって、アホはないだろ? アホは?」
俺は顔を振り向け、深々と溜息を漏らしたが、平岡のおっさんの勢いは止まらなかった。
「いいえ、アホです!
農民に扮したのは、分かります。
ぬかるみを作って、転がったのも……。まあ、分かります。
だけど、馬糞を塗りたくるなんて、殿くらいですよ! アホ以外のなにものでもありません!」
「でも、おかけで誰も近づかないし、ここまで楽々と来れたんだぞ?
そんなことより、もう11月だぞ? 寒いから、お前の服をよこせよ」
「自業自得です! 私だって、寒いのは嫌です!」
岐阜城を発つときに見せた熱い忠義は、いったいどこへ行ったのか。
それとも、俺がそうであるように、平岡のおっさんも中身が変わったのだろうか。
いや、もう不敬罪で斬刑に処しても良いのではないか。
それが平岡のおっさんにとっての花道というものだろう。
「酷いやつだ。苦労を分かち合ってこその主従だろ?」
俺は頬をひくひくと引きつらせながらも、我慢に我慢を重ねる。
稲葉のおっさんといい、俺の側近はなぜこうも口うるさいのだろうか。
俺は今一度、深々と溜息をついた。
そして、その瞬間だった。
「わっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
黒田長政が笑い声を響かせた。
天を仰ぎ、喉の奥が見えるほどの豪快な高笑いである。
「……黒田殿?」
「なるほど、なるほど! 確かに、別人のようだ!
見事に騙されましたぞ! この黒田長政、感服いたしました!」
「えっ!? そうなの?」
俺が目をパチパチと瞬きさせて戸惑うと、黒田長政は改めて正座した。
両拳を床に突き、頭を軽く下げた。その所作には、礼儀と俺に対する敬いが同居していた。
「以前のあなたなら、まず農民に扮するなど決してなさらなかった!
そう、こうして必要に迫られたとしても……。
いえ、私は敗北者。あなたは強気に出ようと、綺羅を纏っていたはずです!
よしんば、家臣に無理やり着替えさせられたとしても、泥は絶対に被らない! 馬糞など尚更だ!」
「ふっ……。」
正直、展開についていけていない。
だが、俺はしたり顔でニヤリと笑う。
こうすると、周囲は良い感じに誤解してくれる。
戦国時代に来てから、俺が身をもって覚えた必勝策だ。
「もう疑いは晴れました!
我が黒田家の野望を見破った慧眼……。お見事でございます!
この上は、秀秋様に忠誠を捧げ、犬馬の労をいといませぬ! 何なりとお申し付けください!」
「そうか、よろしく頼む」
その例に漏れず、黒田長政も術中にはまった。
臣下の例をとる黒田長政に、俺は『勧誘の説得が省けて、ラッキー!』と思いつつも、その内心は隠してニコリと笑う。
「さて、さしあたっては……。『埋伏の毒』、ですかな?」
その一方で、『俺がここに来る意味、あった?』とも思っていると、さすがは俺が知る歴史に名を残す黒田長政である。
まさに俺が求めようとしていた役割を、黒田長政は悪どい笑みを描いて告げた。
その瞬間、思わず俺の眉が跳ね、背後で平岡のおっさんの身体がビクッと震わす気配があった。
「ほう! さすが、黒田殿だ! 俺の思惑を読んでいたとは!」
『埋伏の毒』とは、敵中に潜み、敵の信用を得ながら、味方の利益になる行為を図る策のことだ。
最大のポイントは、策を知る以外の者たち全てを騙す点にある。
当然、策が満願成就したときは、敵からも味方からも裏切り者と謗られる覚悟がなければ務まらない。
もちろん、策が露見した場合は、敵中にいるため、命を奪われる可能性は極めて高い。
しかし、上手くいくはずだ。
なぜなら、黒田長政もまた、法則『俺の顔見知りは脇役』に当てはまっている。
黒田長政は、俺の元同期。
入社直後からめきめきと頭角を現し、その腕を買われてライバル会社にヘッドハンティングされた奴だ。
なるほど、納得の配役というしかない。
黒田はヘッドハンティング後、俺たちにライバル会社への転職を何度も誘っていた。
俺は拒み続けたが、何人かが応じた結果、うちの会社はライバル会社に売上を抜かれている。
そんな黒田が『埋伏の毒』を担うのだから、絶対に失敗しないという安心感があった。
「ふふっ……。自分の立場を考えれば、これこそ最上策。
今の秀秋様なら、きっとそれを望んでいると思っていました」
「なら、頼む! 割に合わない辛い役目だとは承知しているが、十年後に酒を酌み交わそう!」
「はっ! 秀秋様の天下のため、尽力を尽くします」
「いやいや、天下は秀頼様のものね? そこは絶対に誤解しないでね?」
「はっはっはっ! 分かっています、分かっています!」
「本当にぃ~~?」
かくして、頼もしい仲間がまた一人、俺たちに加わった。
一応、誤解があるようなので、きちんと訂正しておいたが、そこがちょっと心配だった。
******
「なんじゃこりゃ?」
岡崎城に帰ってきた俺を迎えたのは、奇妙な光景だった。
尻、尻、尻、尻、尻、数え切れないほどの尻。
深夜にも関わらず、大手門には全裸の足軽たちが大勢詰めかけていた。
多分、1000人は軽く超えるだろう。
いや、俺も全裸のままだけど、意味が分からない。
「おっ!? 殿様がいたぞ!」
「何だよ! 殿様もやる気まんまんじゃねぇか!」
「よーし! みんな、並べ!」
足軽たちは俺に気づくと、こちらへと一斉に向いた。
各々、自慢の槍をごしごしと擦り、その鋭さを増し始めた。
「かっかっかっ! 寝るなんて言って、足軽たちと飲んでいたのか!
よし、儂も負けんぞ! 薩摩の男は、こっちの槍も切れ味抜群さ! いざ、槍合戦だ!」
豊久も慌てて服を脱ぎ捨て、参加してきた。
大手門の向こう側では、石田三成は目を覆い、大谷吉継は無言で立ち去る。
「マジで、なんじゃこりゃ?」
突然だが、ここで問題だ。
いきなり大勢の全裸の男たちに、研ぎ澄まされた自慢の槍を見せつけられた俺の心境を、答えよ。
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