第15話 VS オーク、決戦

 ついに、その日がやってきた。

 開戦の合図は、学人の部屋の玄関ドアがバンバンと乱暴に叩かれる音だった。

 リリィと学人は目を合わせて頷き、学人がドアを開けるのと同時に、リリィは即座に呪文を唱える。

 

「Carnë ramba tára」<壁を作れ>


 隣室に迷惑をかけないよう、学人の部屋を縁取るように光の壁を作り出した。

 愚鈍なオークどもは、部屋の奥のリリィ姫目掛けてのこのことその部屋に入ってくる。

 バルゾは、今度は3名の子分を従えてやってきたようだ。


 舞台は整った。

 リリィ・学人 VS バルゾ・子分のオークA、B、C。

 学人の部屋をバトルリングとして、その戦いの火蓋が切って落とされた。


「まずは、自分に防御と攻撃強化の魔法、次に全体に防御下降の魔法だ」

「“nárë rúcina”<轟炎>でA、B、Cを順に片付けろ」


 学人は淡々と指示をする。序盤はまずまずの滑り出しだろう。

 リリィが“nárë rúcina”<轟炎>を複数回放つと、子分どもは醜い呻き声を上げながら塵となって消えていった。


「……消えた?!」


「異世界から来た者は、瀕死のダメージを負うと塵となって消え、元の世界に強制的に戻るのだ。……あとはバルゾを塵にすれば我らの勝利じゃ」


 リリィはごくりと喉を鳴らし、緊迫した目つきで改めてバルゾを見た。

 子分たちの1.5倍はあろうかという巨大な体躯。その手に掴まれ、肩に担がれた日のことを思い出す。

 

 ――もう、あの時の無気力な姫ではない。リリィの居場所となってくれた男は、いまや頼れる軍師でもある。……何も、怖いことなどない。


 バルゾの方は、いまやリリィよりも学人に向けて敵意をむき出しにしている。

 この弱々しい人間に浴びせられた、忌まわしき酒+ライターの攻撃が許せずにいるのだろう。

 リリィはその視線を遮るように学人の前に立ちはだかり、続けて呪文を唱える。


「nárë rúcina」<轟炎>


 本日初めての攻撃を浴びたバルゾの目は、獰猛にひん剥かれた。

 

「まずいぞリリィ、強攻撃がくる。回復を入れて、防御を2段階重ねておけ。数回凌いだら、その後がチャンスだ」


 バルゾの鋭い眼光を浴びても、学人は冷静だった。

 彼の言うとおり、バルゾは怒りに任せて強烈な物理攻撃を連続で繰り出してきた。

 リリィはそれを受け多少よろめいたが、防御魔法のおかげでダメージは最小限に抑えられたようだ。

 バルゾはゼエゼエと荒い息をして、動きが鈍くなる。

 これが、学人の言う"チャンス"なのだろう。


 リリィは自身に攻撃強化魔法をかけてから、ここぞとばかりに“nárë rúcina”<轟炎>を畳み掛けた。

 その炎が畳を焦がす匂いが、部屋を包み込む。


「ヴァァアウゥ……!!!」


 バルゾは低い呻き声を出しながら、この日初めて膝をついた。


「今だ!!!」

 

 学人の号令とともに、リリィは氷のように冷たい目でバルゾを見下ろし、さらに痛烈な一撃をお見舞いする。

 

「Macil nárëo!」<焔の刃!>


 かがみ込んだバルゾの背中から、刃のように鋭い炎がその体を貫くように襲いかかった。

 バルゾの苦悶に満ちた叫び声が学人の狭い部屋に木霊する。彼の咆哮は窓ガラスを割らんばかりの勢いだった。

 その声が収まるや、バルゾはそのまま畳の上にうつ伏せにドサリと倒れ込んだ。


「…………やったか……?」


 学人はおそるおそるリリィの後から顔を出す。

 その時の二人は、今し方の激闘で昂った気持ちを抑えられずにいた。それ故に、冷静さを欠いていたのであろう。


「マナト。素晴らしい指揮であった。オークどもを討ち取ったのは、お主の武勲じゃ。……お主の軍師の才能に、称号を与えよう」


「称号……?」


「うむ。リリィの<天の叡智セレスティア・コード>に並ぶ、マナトの能力。……<神の盤上師ゲーム・マスター>というのはどうじゃ?」


 リリィはまさに戦士に勲章を授ける女王のような威厳のある微笑みで学人を見つめていた。

 その姿は、焦げ臭い六畳一間の部屋にあってなお、白百合のように気高かった。

 普段の学人なら、"さすがに厨二すぎる"などと文句を垂れ、大袈裟な称号など拒絶していたところだろう。

 しかし、昂った彼には、そんな大それた二つ名ですら心地よく感じられた。


「<神の盤上師ゲーム・マスター>。悪くな……」


 学人が"悪くない"と言いかけた時だった。

 床に臥していたバルゾは急に起き上がり、目の前のリリィを無視して、学人に向かって突撃を始めた。

 学人の高揚は一瞬にして氷点下に落ち込み、それとともに頭がクリアになっていくのを感じた。


 ――俺は、バカか。"……やったか?"なんて、一番古典的なフラグじゃねぇか。トドメも刺さない軍師がどこにいる。

 ……というか、<神の盤上師ゲーム・マスター>って、さすがに厨二すぎる……


 どこか冷静にそんなことを考えながら、迫ってくるバルゾをスローモーションに見ていた。

 次の瞬間、学人の体はリリィの手によって横向きに突き飛ばされていた。

 それと同時に、彼女がとある呪文を叫ぶのが聞こえた。

 リリィの目は、先ほどまでの氷のような冷たさを湛えつつも、いまや怒りに燃え盛っていた。


「Cána hlápë mi helcë!!!」


 ――"それは、リリィの心にある“愛”を糧に放たれる、氷よりも冷たく、炎よりも熱い攻撃魔法だ。その名も……"


 <氷中に揺らめく蝋燭>。

 それは、"月氷の祭り"を模した、彼女の見た中で最も美しい光のことだった。

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