第5話 じゃあな

 コンビニの照明の中から見ても、深夜の街は闇に閉ざれているだけだった。

 雑誌の奥のガラス張りが鏡のように店の内装を映し出している。


 夕月の部屋に帰らない日が、救いに思える時が来ると思わなかった。


 自分はただの居候で、何ならヒモと言ってもいい。

 気まずいなら今までそうしてきたように勝手に出ていけばいい。


 わかっていても、そうするには夕月の部屋は翔吾の中に深く食い込み過ぎていた。

 品出し中に、ふと新しい限定商品が目に止まった。

 キラキラした盛り付けのプリンパフェ。


「夕月、前にこんなの買ってたな……。」


 ──夕月に買って行ったら喜ぶかな。


 1つ取り置こうとした時、どこか見覚えある若い男が店に入ってきた。

 炭酸飲料2本とミントタブレット。

 レジを打って、その気はなしに背中を見送って、目を疑った。


 夕月がコンビニの外に待っていた。こんな時間に、顔を伏せて、入口から少し離れた所に隠れるように。




「夕月ちゃんさぁ、見た目真面目っぽいけど、意外に面白い事言うよね?」

「……高岡くんも、面白いレポート書いてるよね。」

「友だちなんだから、悠馬って呼んでよ。」


 馴れ馴れしく肩に触れてくる男の言葉を、夕月は苦笑いで受け流した。

 友達、かどうかは良くわからない。

 ゼミの研究発表をする為に組んだペアが、最近は少しだけ夕月の重荷になっていた。


「次のフィールドワークさぁ、精神科じゃなくて……、」


 キーボードを叩きながら、彼の口は絶え間なく動き続ける。夕月があまり関わらないタイプの人だった。

 頭の回転が速くて、人当たりがいい。話の引き出しが広くて教授からの覚えも良い。研究発表のペアを組むにはこれ以上ない相手だった。


「……夕月ちゃんって、彼氏とかいないの?」


 画面から目を離さずに、軽く言うその声が、妙に耳に残った。

 こういう事を平気で言葉にするところが夕月には妙に引っかかるのだった。


「……今は、別に……。」


 脳裏にチラついた翔吾の顔を、彼氏ではないし、と打ち消す。


「そっか。じゃあさ、発表終わったら、どっか行こうよ。打ち上げってことでさ。」


 言葉を濁す間もなく、悠馬は笑っていた。

 その笑顔が、自分の評価を盾にしているように見えて、夕月はうまく笑えなかった。


「……発表、まだ終わってないよ。」

「だから、終わったらって言ってるじゃん。楽しみにしとくね。」


 肩に置かれた手が、少しだけ重く感じた。

 強く断るほどの理由はない。でも、受け入れるほどの気持ちもいまはなかった。




 夕月を誰かと間違えた夜から、翔吾とはずっとぎこちないままだった。

 毎日のように寝に来ていたのに、バイトだと言って、訪れる日数が減った。

 たまに夕月の部屋に帰ってきても、会話という会話もなく、距離を取ってじっと座っている。

 また以前のように眠れていないのではないかと思って、ずっと心配していた。


 講堂で友だちと話している彼の姿を見つけた時、今日こそはきちんと話をしようと思った。


「しょ……」

「夕月ちゃん。」


 声をかけようとしたその時、肩に掌が置かれた。

 翔吾のものよりは少し小さい、滑らかなのにやたらと圧を感じる手。


「……悠馬くん。」

「次使う資料のまとめ出来たから見てくれない?そこのスタバでいいよね。」

「……今日はちょっと、」


 翔吾は夕月の声が聞こえたのか振り返った。

目が合って、逸らす。そのまま席を立って、友だちと講堂を出て行った。


「俺明日は駄目なんだよね。今日でいいでしょ?」

「……うん。わかった。」




 夕月が部屋に帰る頃には、すっかり日が落ちていた。

 悠馬の話に付き合うと、いつも遅くなってしまう。話していてつまらない訳ではないけれど、彼の自信に満ちた語り口とそれに伴う無神経さが、少し苦手だった。


 ため息をつきながら部屋の鍵を回すと、遠くからバイクの排気音が近づいてくるのが聞こえた。夕月の住むアパートの前まで来て、止まる。


 夕月は慌てて部屋に飛び込んで、電気をつけた。

 まずお風呂を沸かして、それから冷蔵庫に飛びついた。


 ──何か、翔吾の好きなもの。


 自分でも何故こんなに嬉しいのかわからなかった。話したい事がたくさんあった。


「翔吾、おかえり……!」


 ドアが開いた瞬間に、声をかける。

 入ってきた翔吾は「ただいま」とは言わずに、片頬だけで笑って見せた。



「今日テンションたけぇな。」

 夕食を並べる夕月に、翔吾が呆れたように言った。


「えっ、そうかな……?」

「そうだろ。メシ、作りすぎだし。」


 確かに、冷蔵庫はすっかり空になっていたが、夕月は全然気にしていなかった。

 肉野菜炒めに、三色ナムル、だし巻き卵、味噌汁、どれもすぐ作れて、翔吾が「美味い」と褒めた物だった。

 照れ笑いしながら、ローテーブルに乗り切らない皿を傍らのソファにも置いて、翔吾の向かいに座った。


「お前、今日『王子様』といただろ。」


 味噌汁の最後の一口を啜って、翔吾がぽつっと言った。


「王子様?……ああ、高岡くん。あの人ね、ゼミの勉強では頼りになるんだけど、」

「いい奴なんだろ。」


 夕月の言葉を遮るように翔吾が重ねた。


「女子がよく言ってた。優しくてなんでも出来る奴だって。」


 ごちそうさま、と立ち上がって翔吾の荷物がまとめてあった部屋の一角に向かう。


「俺出てくから。他にも女いるし。メシも風呂も今までありがとな。」

「えっ、ちょっと待ってよ……。」

「そんなに舞い上がる程好きなんだろ。頑張れよ。」

 

 頑張れよ。


 その一言で部屋の空気が歪んだ。


「……違うよ。翔吾、」


 あの人、勉強では頼りになるんだけど、すごく変な人なの。自信たっぷりにずっと喋ってて、途中で口を挟むと不機嫌になるし、翔吾と全然違うの。私は、翔吾のほうが話してて楽しいな。


 言いたかった言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。

 それきり黙って荷物を纏める翔吾の背中は、明らかにそれらの言葉を拒絶していた。

 立ち上がった彼に「待って」と言うには、まだ肩書きが足りなかった。

 恋人でもない彼を、引き止める資格も勇気も夕月にはなかった。

 翔吾は、背を向けたまま少しだけ立ち止まり、振り返らずに扉に手をかけた。


「……翔吾。」


 黙っていれば、本当に出て行ってしまう。

 けれど同時に、「他にも女がいる」と言った彼を、束縛してはいけない、と夕月は思ってしまった。

 自分の気持ちが、恋と言える程の物なのか自信がなかった。

 行かないでと言えるほど、翔吾は彼女のものではないと思った。

 そして翔吾は最後に短く笑って、俯いて言った。


「じゃあな。」


 郵便受けに鍵の落ちる音が耳障りに響いた。

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