第4話 後輩に溺愛されています

 私は猫である。


 決してかの文豪の一節を引用しているわけではない。


 正真正銘、私は猫になってしまった。


 手のひら――肉球を見つめながら私はため息を吐く。「ン」と短い声が出る。猫はため息を吐けないのか……不便だ。


 キュッと手に力を入れるとどこに収納されてるんだってくらい長い爪がにょきっと生えてきて、空気が揺れると髭がムズムズする。


「アカネ、爪気になる? 今週中に切ろっか。ムズムズするもんね」


 私を抱きかかえたあおは、私の手のひらをふにふに触ると、優しい声色で囁いてくる。


 見上げると、すぐそこに蒼の顔があった。


 目をパチクリ、ゆっくり瞬きする。すると蒼が微笑んだ。


「うん。私も大好きだよ」


 そういえば、猫が目をゆっくりと閉じるのは愛情とか信頼とかの現れなのだとどこかで聞いたことがある。とんだ勘違いをされてしまった。


 けれど、ああ……この感じ、夢じゃない。


 私は何故か、猫になってしまった。それは認めよう。


 けど、一つだけ言わせてほしい。


 なんでよりによって、蒼の飼い猫なの!?


 名前か!? 名前が同じだからか!?


「アカネ、どうしたの? 暑い? それとも、寒い?」


 寒い。特に背筋が!


 蒼は私と喋るときとは雰囲気が全然違う。なんて甘ったるい声。


「ぎゅっ、これで寒くないよ」


 私の身体を腕全体を使って包み込む蒼。私の耳と頭のてっぺんに、蒼が顔を埋めているのが呼吸で分かった。


 こ、これがいわゆる猫吸い……!


 その間にも、蒼は私の首元をすりすりと撫でる。


 こ、この私が、こんな好き勝手にペタペタ触られるなんて……!


「ゴロゴロ」


 ここから脱出したいのに、力が入らない。そればかりか、喉から変な音が鳴っちゃう。恥ずかしいのに、自分ではやめられなかった。


「ここ、気持ちいい?」


 私の反応を見ながら、蒼が撫でる場所を変えてくる。


 あっ、そこ……首より、耳の裏の方が気持ちいいかも……。ごろごろ、喉が鳴る。


「アカネ、これされるの好きだよね」


 んん……あ、それヤバいかも……。


 頭のてっぺんを爪でカリカリされると、なんだか気持ちよさがお尻の方まで突き抜けるみたいで、意識してないのに尻尾が動いちゃう。


「今、ピクってしたね。可愛い、アカネ」


 今度は指を三本に増やされて、頭を撫でられる。ぞりぞり……ゴロゴロ……。


 あぁ、なんか、ふわふわしてきた……。


「いいんだよ。私に任せて。アカネの好きなとこ、全部触ってあげるから」


 その全てを包み込むような言葉に、期待感が胸いっぱいに広がる。


 耳の裏、首元、背中、顎、気持ちいいところを全部触られて、もうゴロゴロが止められなかった。


 や、そんないっぺんにされたら……私、もう我慢できない……っ。


 さっきから身体の奥底から伝わってくる、焦燥感にも似た寒気。それは次第に大きくなり、膨れ上がっていた。これが破裂したら、どうなるんだろう。


 ドキドキ。期待に胸が高まる。だけど、それと同時に怖くもあった。


 すると、私の心を読み取ったかのように蒼が優しく顔を近づけてくる。猫と猫が挨拶するときみたいに、蒼が私の額に唇を付ける。


「大丈夫だよ。大丈夫。そのまま……ね?」


 なによ、蒼のくせに……。私の方が、先輩で、お姉さんなんだから……。


 そんな強がりが、甘い吐息によって薄れていく。


「手、握っててあげるから。大丈夫だよ、アカネ」


 熱の籠もった「アカネ」という声に、ゾワゾワとした感覚が一気に強くなる。


 あ、ダメ……これ、なんかきちゃうかも!


「可愛い、アカネ。可愛いよ」


 あっ、そんなこと、今言われたら……っ!


「アカネ、アカネ……」


 だ、めっ! 私、もう……っ!


「にゃ……っ!」


 が、我慢できないっ!


「にゃーーーーっ!」


 うわあああああ!


 どうしようどうしようどうしようーーーッ!


 走りたい衝動が、止まらニャーーイッ!!


 ドタドタドタドタ!


 部屋を駆け回って、壁を蹴って! 着地して、ピョンって飛んで! ううううまだまだ足りないよーーー!


「あはは、もうアカネってば」


 そんな私を見て、蒼が微笑んでいる、わーっ! 鏡倒しちゃったー! ごめんなさーい! 


 それでも蒼は、怒ることはせずに私を見て優しい表情を浮かべていた。


 やっと衝動が収まると、今度は逆に疲れ果てて動く気すらなくなってしまった。


 ぜえ、ぜえ……。つ、疲れた。


 タワーの上にピョンっと乗って、ぐったりと身体を丸くした。


「アカネ、疲れちゃった? 今日もお疲れさま。楽しかったよ」


 そんな私を、蒼が優しく撫でる。さっきとは違って、本当に軽く触れるだけの、日差しみたいな手のひらが私の頭に載っている。


 それから蒼は私から離れて、本棚から本を一冊取り出して読み始めた。


 そんな光景を見ていたら、なんだか眠くなってきちゃった。


 猫の眠気は心地良い。なんだかずっと、お日様にポカポカ当たっているみたいな、幸せな重力に瞼が下がっていく。




 目を覚ますと、そこは自室だった。


「え?」


 ふと手のひらを見るも、肉球はない。毎日手入れをかかしていない、丸いピンクの爪が付いているだけだ。


 世界もカラフルに見える。聞こえる音は、ちょっとだけ少ない。


「も、戻った」


 そしてなにより、人の言葉を話せる。


「わ、私……猫になってたよね? 絶対」


 それも、蒼の飼い猫に。


 さっきまで見ていた鮮明な光景、それにあの生々しい感触が、夢だとは思えない。


 だからといって、猫になるなんて現象が現実だとも思えない。


 本当は、もっとちゃんと考えたかった。なんであんなことになったのか。どうして元の姿に戻ってこれたのか。


 条件があるなら、もしかしたら、また今回みたいなことが起きるかもしれない。


 だからちゃんと、考えたいのに。


 ――気持ちいい? アカネ。


 頭がそればっかりで、まともに思考が回らない。


 蒼は生意気な後輩だ。


 でも、私を触る手つきはすごく優しかった。私が気持ちよくなれるように、焦らず、ゆっくり、時間をかけてくれた。何かあればすぐ私の顔を覗き込んで、大丈夫? って聞いてくれた。


 あいつが。あの、蒼が……。


「わ、私のばか。なにされるがままになってんのよ……」


 頭を抱えて丸くなる。


 私、これからどうなっちゃうの?

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