第3話 猫になっちゃった

 家に帰ると、私はエナメルバッグを玄関に投げ捨ててソファに寝転んだ。


 ソファからはみ出した私の足を、妹の琥珀こはくが蹴っ飛ばしていく。何すんのよと睨み付ける。


「そこで寝られると邪魔なんだけど。あと、脱いだ服くらい片付けてよ」

「別にいいでしょ。あ、琥珀はこれからお風呂? じゃあ私の服も一緒に持っていってよ」

「ぜったいやだ」

「はあ? ついでなんだからいいじゃない」


 琥珀はわざとらしく肩を竦めた。


「というかあんたのクラスメイト、あれどうにかしなさいよ」

朝日あさひ? 部活の後輩なんだから、姉貴が面倒見ればいいじゃん」

「あいつの面倒なんてもうこりごり! あと、私のことは姉貴じゃなくてお姉ちゃんと呼びなさい」

「うっさ」


 琥珀は私の靴下をぽーんと蹴っ飛ばす。


「あんたあおと同じクラスなんだから、あいつの弱みとか教えなさいよ」

「知らないそんなの。喋ったことないし」

「琥珀、まさかあんたまーだヤンキーみたいなのとつるんでるの?」

 

 琥珀は中学時代、かなりやんちゃをしていて、夜中に学校から電話がかかってくることなんてしょっちゅうあった。警察から連絡があったときは心臓が飛び出そうなほど驚いたけど、深夜にゲームセンターをうろついていただけということで人様に迷惑をかけたわけではなく安心した。

 

 琥珀が髪を金色に染めてきたときはさすがの私も気を失いそうになった。一緒に行動している素行の悪い子たちにやられたと琥珀に聞いて、私はその子たちの家に乗り込んでこう言ってやったのだ。「あんたたちみたいなヤンキーに、琥珀はもったいない。二度と琥珀に近づかないで!」そのときの、あの子たちの顔と言ったら、痛快だったわ。ふふん、頼りになるお姉ちゃんでしょう?

 

 けれど、琥珀の私に対する態度がそっけなくなったのはそれからだった。


「大丈夫よ琥珀。あんたにはもっと良い子がいるはず」

「なんの話だよつか触んな」

「いい!? 琥珀! 付き合うなら、お姉ちゃんみたいな綺麗で優しくて面倒見のいい人にしなさい!」

「あーうっさ」


 私のアドバイスを振り払うように、琥珀が自分の部屋に引っ込んでしまう。


 やれやれ、昔はお姉ちゃんお姉ちゃんって可愛かったのに。


 ご飯を食べて、私も自室に戻ることにした。


 ふわ、となんだか眠気がやってきて、ウトウトしていた私は、そのまま眠りに落ちてしまった。



  ……いけない、寝過ぎたかも。


 直感で、いつもの仮眠とは違う目覚めだったことに気付いた。


 うちは両親もいないし、おばあちゃんは離れで暮らしているし、琥珀は私のことを呼びに来ることなんかないから、寝過ごしても起こしに来てくれる人はいない。


 そのせいで、一回だけ十二時くらいまで寝ちゃったことがある。


 やっちゃったぁ。


 これじゃ夜眠れないじゃん。というかもうとっくに夜か。


 あくびをしようとしたら、妙な違和感が喉のあたりにひっついている。


 あれ、なにこれ。


 うん、と背伸びをする。


 んん? なんか床が近い。


 というか、ここどこ!?


 知らない一室。別に、鉄格子のある牢屋とかではない。普通の部屋。強いて言えば、何もなさすぎる質素な部屋だ。そんな部屋を、私はどこかで見たことがある。どこだっけ?


 そしてなぜか視線が高い。部屋を見下ろしている。つま先を立てても、こんな視線が高くなったことなんかない。


 なんか変だな、と思い一歩踏み出す。


 ずるっ、足を踏み外した!


 転ぶ、という感覚ではなかった。お、落ちる……!?


「にゃー!!」


 いやー! と声を出したつもりが、なんだか変な声になった。


 落ちたには落ちたけど、なんとか受け身に成功する。というより、身体が勝手に反応してくれた。


 って、ええー? なんか視線が変。私、四つん這いになってる?


 だけど、立とうとしても立つことができない。手足に力が入らない、というわけではないんだけど、力の入れ方? がいつもとちょっと違う。


 足でなんとか立つことに成功しても、すぐにプルプル震えて転んじゃう。四つん這いの状態が一番楽だった。


 ど、どういうこと? 本当に何が起きてるの?


 まだ、夢の中なのかな。


 ほっぺをつねろうにも、なんだか手がもにょもにょして上手く掴めない。


 というか……はあ!?


 手じゃなくて、これ、肉球!?


 私の目の前にあるのは、ぷにぷにした肉球。ギュッと握るように力を入れると、長い爪がにょろっと出てくる。


 ちょっと待って、これって……!


「アカネ? どうしたの? 今、にゃーって」


 ふいに部屋のドアが開いて、人が入ってくる。


 げ、あ、蒼!?


 なんでこいつがここに……いや、待って。よく見たらここ、蒼の部屋だ。前に泊まりに来たことがあるから覚えている。


「落ちちゃったの? 痛かったね。怪我してない?」


 ひょいと拾い上げられ、蒼に抱きかかえられる。


 蒼は私の身体をペタペタ触って、何事もないことを確認すると、私の胸元に顔を埋めて深く息を吸った。


「よかった。あんまり暴れちゃダメだよ? アカネ」


 あの生意気な後輩が、慈愛に満ちた表情で私を見つめている。


 ふと、横を見る。


 部屋の隅に立てかけられた全身鏡には、蒼に抱きしめられて目を丸くしている猫の姿があった。


 うそ、もしかして私……猫になっちゃった!?


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