第四楽章

それまでのページに綴られていた文字は、まるで美しい詩のようなロマンティックな絵画のように丁寧で暖かな文字だった。


しかしここから先は、読むのが苦痛になるほど読みづらく、ページもまるで筆者の心の叫びを写したかのようにボロボロになっていく。


16歳になったエリザは、突然許嫁がいることを告げられる。なんと、筆者である彼の兄だと。兄は力があり男らしいといえばそうだが、粗暴で荒々しく女遊びも多い。

その上弟である筆者のことはよくいじめているような男だった。

そんな兄もエリザに好意を寄せていたようで、父を説得し無理やりエリザとの結婚を取りつける。

筆者もエリザも父親の命令に逆らうことは出来ない。

二人は引き裂かれる恋に苦しみながらも、別れるしか道はなかったのだった。

私は無意識に本を握りしめ、ボロボロの紙が手のひらに食い込む感覚も気にならないほどだった。

胸の奥が熱く、苦しくなって、呼吸すらままならない。

それはまるで、遠い昔の誰かの痛みが、今、私の心に流れ込んできたかのようだった。


「………なんて悲しい話だ…。こんな辛い話あるだろうか…!」


私は声に出して叫んでいた。

散乱した書物やホコリにまみれたピアノ。

この部屋の寂しさの理由が、この日記に綴られている悲劇なのだと、全身で理解した。



そして、そんな思いを抱えながらもまた続きを読んでいった。



彼はそれでもエリザを思い続けると同時に幼き日から夢見ていた音楽家になるため、自分なりに努力を続けていく。


大好きだったピアノ、そして彼が弾くピアノの音が好きだと笑ったエリザのために。


そして、様々な思いを詰め込んで出来上がった曲。


「ある女神へ送るワルツ」


そう書かれていた。


「ある女神へ送るワルツ…か。」


なんと強い愛の、あらゆる複雑な心のこもった物語だろうかと私はまた、先程鳴らしたピアノの音に思いを馳せた時とおなじように、また訳が分からないほどの愛おしさと切なさに心が襲われるようだった。


そして、そんな思いに心を震わせる。するとそれが私の指先にまで伝わっているようでページをめくる手が震え始める。


そんな手で、それでも意志を強く持ちページをめくろうとするとふわり……と何か紙のようなものが落ちた。



「なんだろ…?」と思わずつぶやき、その紙を拾う。それはまたボロボロに小さく日記にちょうど挟まるくらいに畳まれた紙であった。



広げてみると、それは楽譜だった。



もしや、と思いつつよく見てみるとその紙の左上に、やはりこう書かれている。



「ある女神へ送るワルツ」


私はピアノは弾けない。


だがどうしてだろうか、私はこの曲を何故か弾かなくてはならないと、そんな思いで頭がいっぱいだった。


迷いながらもう一度日記を手に取ると、そこにはもう少しだけ続きが綴られていた。


内容を要約していくと、


出来上がったその曲をエリザに届けようと思い、彼は思い切って兄の家へと向かった。

しかし、当然のように兄からは門前払いを受け、結局、エリザの顔をひと目見ることすら叶わなかった。


そして、泣く泣く家へ帰り、しばらくして彼はある異変に気づく。


少し前からなんだか手が動かしづらいのだ。

彼は疲れているのだろうとしばらく様子を見ていると、日に日に動かなくなる手。

手どころか、全身がだんだん動かしずらくなっていく。

流石にこれはまずいと、医者に診てもらうも

なんとも残酷なことに「不治の病」だと告げられてしまう。

彼は絶望した。心から絶望し、家に籠る日々。

そして動かなくなる体。

そんな彼が、ある日窓から外を眺めていると、


偶然、兄と連れ立って歩くエリザを見つけた。兄は荒々しくも、エリザに優しい言葉をかけている。

まるで、人が変わったように。

エリザは、どこかやつれている様子もなく、ただ穏やかに微笑んでいた。


だが、ふと目が合った一瞬。彼女は、悲しいほどに愛おしそうに、そして今にも泣き出しそうな目で彼を見つめた。


彼は、その一瞬で、すべてを悟った。


彼はどうにかしてこの思いを伝えなければならないと思った。

あの曲を、彼女に届けなくてはならないと。

しかし、残酷にも動かなくなっていく体は、彼の最後の望みすらも打ち砕こうとする。

彼は絶望し、それでもなお、動く指がまだあることを信じ、必死の思いで文字を綴る。

彼は知っていた。

もう、自分の力ではエリザに手紙を届けることなどできない。

それどころか、下手に手紙を渡せば、彼女をさらに危険な目に遭わせてしまう。

それでも、この愛を伝えたい。

彼に残された最後の希望は、未来の誰かに、この曲を託すことだった。

彼に残された時間はもう僅かだった。

掠れる視界、鉛のように重くなる指先。

それでも彼は、愛するエリザのため、その想いを未来へ託すため、最後の力を振り絞ってペンを走らせる。

その文字は震え、途切れ途切れになりながらも、決して途切れることはなかった。

これが、僕の最期の願いだ。そう、心の中で何度も叫びながら。

そして、最後のページだ。


「もし、もし誰かがこの曲を見つけてくれたら。どうか僕の代わりにこの曲をエリザに届けてくれないか。僕の人生で唯一愛した、女神に」


そう書かれている。

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