第5話 寒い朝

「っは、知ってる天井だ」


 真っ白な部屋ではない、カーテンが閉められた室内は真っ暗だった。一緒に寝ていたであろうスマホの画面を確認するとまだ朝の六時で、太陽だってまだ寝ている時間だった。

 まだ靄のかかったような頭を起こすと、昨日の記憶が徐々に思い出されてきた。確か赤城が家に来たんだった。それから可笑しな提案を受けてから、俺がどうやって寝たまでの記憶が徐々に浮かんでくる。確か俺が断って丸く収まったんだっけか?

 だけど頭に張り付く富久の顔が全部を思い出させた。小石を投げた池に波紋が広がるように、富久の顔を皮切りに、思い出してくる。 



「お前勝手に何言ってんだよ」


 いきなり提案を飲んだ富久の肩を掴んだ。任せたはいいがそこまでは予想していなかった俺だった。

 赤城は喜んでいいのかわからない表情で、むしろ困惑していた。俺と赤城二人とも固まった中、その張本人が俺の耳に囁く。


「いや、これはチャンスだよぼっち兄。きっと振りだけで終わる程この人ガード固くないよ、絶対押したらいけるよ」

「そんなこと言ったってな」

「きっと脈ありだよ。だって学校だけに留まらず、この家だって存在感のないぼっち兄のこと知りすぎじゃない?」


 しれっと傷つけるのやめろよ。しかも、一昨日くらいに母親にも帰ってること忘れられてて晩御飯俺だけなかった傷が痛むだろ。


「本当に、いいの?」


 そんな涙目で期待一杯の瞳を向けられても……

 俺は富久を見た。


「大丈夫だって。それにさ、私だけは信じてくれるんでしょ?」


 妹が憎い。こう言う時だけ妹みたいな顔してくるなんて、卑怯だろ。全く、兄の顔が見てみたい。

 それでもゲームに負けた俺には拒否権何てものは端からなく、富久が言うのならそれに従わないといけない。可愛い妹の頼みだしな。


「わかったよ。受けるよその話」


 俺は赤城の目を真正面から見た。泣き顔も可愛くてやっぱり目を逸らす。こいつも卑怯だな。


「赤城、仕方ないから付き合ってやるよ」

「はあぁ? 付き合ってください、でしょ?」


 (こいつ帰らしていい?)

 (せっかくあと一歩なのに、頑張ってよ)


 目線だけで富久と会話する。富久も苦笑いを浮かべた。まじかこいつ。

 仕方ない。あと一歩、大人な俺が下手に出てやろう。


「付き合ってください。これで満足か?」

「ええ! よろしくね一人くん!」


 眩しい笑顔。すっかりキャラも元に戻り、学校でも人気の赤城が目の前にいた。もうブラックな彼女は見たくない。ブラックはコーヒーだけで十分だ。あれ今上手い事言った?

 とにかく俺は赤城の疑似恋人になってしまったのだ。


 ただでさえ疲れるやり取りに先の事を考えるとさらに頭が重くなった俺は、部屋に戻ってすぐに寝たのだった。そうだったそうだった。思い出した。思い出して余計に頭が重くなった。

 赤城はやたらと振り、に張り切った様子で帰ったようだが一体今日は何が起こるんだろうか。変わっていく日常。俺という人生に赤城瑠璃という異分子が加わったことで今日という一日もいつもと違うものに変化していることは事実だった。

 俺はもう一度布団に入った。この中だけでは日常が変わらない気がしたから。もう一度寝ることにした。まだ来てほしくないと願って。

 タイマーを設定し俺はまた目を瞑る。布団の温かさが睡眠に拍車をかける。

 大きなあくびを一つしてまだ俺は昨日の中にいた。おやすみ世界。


ピンポーン!


 二回の俺の部屋まで届くインターフォンの音。それはもう昨日ではない俺を起こすようだった。

 誰だこんな朝早くから俺の眠りを妨げる奴は。新聞か? 勧誘か? まあいいや、母さんが出るだろう。と思ったが中々しない物音を俺は不思議に思った。まさかもう家を出たのか? この時間帯なら普段は起きてる時間で寝ていることはないはず。まあいいか。


ピンポーン!


 再びなった。その音とは反対に何の音も部屋には立たない。母さんの声も、足音も、朝のニュース番組の音も、何もしない。それでも俺は目を瞑った。一度布団に入った体を起こすのがめんどくさかったからだ。

 それでもすかさず三度なるインターフォンに俺は痺れを切らした。ピンと意識が張って、目を瞑ってもこれ以上眠れないことを悟った。

 こういう時に限って些細な音が睡眠の妨げになる。俺は一度起きたことを呪った。というか昨日の出来事を呪った。昨日のことがなければいつも通りの快眠をして、ゆっくり朝日を浴びて登校していたと思うと全て昨日が悪い。というか赤城が悪い。

 泣く泣く布団を出ると寒いし、足を降ろすとひんやりとした感触が全身に伝わった。最悪だ。

 それでもまた鳴らされるインターフォンに一種の強迫観念を覚え、俺は足早に玄関へ向かう。と、富久が階段から俺を見上げていた。


「おはよー」


 と大きなあくびをする。


「お前またこんな時間まで起きてたのかよ」

「ちょっと色々あってね。お母さんなら用事あるからって家出たよ。こんな朝早くから誰だろ?」

「俺が聞きたいよ。それより起きてんなら出てくれないか? 俺ももう一回寝ようとしてたんだけど」

「嫌だよ。私も今から寝るし」

「ついでに顔くらい確認しとけよ」


 富久は無視しておやすみー、と言い残し上へあがっていく。足取り的にかなり疲弊している様子。きっとゲームでもやっていたんだろうな。俺もその背中に学校行けよー、と送るが聞いているかどうか。

 さてと。

 もう一度鳴らされたインターフォンに俺はそろそろ怒りを覚える。さすがにこんな朝からこんなにインターフォンを鳴らすのは失礼すぎないか? いくら何でも迷惑じゃないか? 今日は俺が起きていたし、富久も起きていたからいいけど、親もいて、俺も富久も寝ていたら本当に迷惑どころじゃすまないぞ。

 怒りで震える手を玄関扉にかけ開くと、そこには昨日の悪夢が目の前に立っていた。


「お、おはよー一人くん」


 どうやら今は清楚モードらしい。

 空を見上げるも、まだ太陽の痕跡がちらほら見える程度で閑散とした景色が広がっているだけだった。カラスがゴミ袋を漁っていく以外目を引くものは何もなかった。

 俺はあからさまに不満を吐き出すため息をついた。すると赤城の顔も変わる。


「な、なによ、せっかく来てあげたのに」

「お前なー、朝早すぎるだろ。今何時だと思ってるんだよ」

「あんたこそ今何時だと思ってるのよ? 女の子の朝は早いのよ」


 知るかよ。俺は男だぞ。それにしても。やはり寒かった。当たり前だろう。家の中でも寒いのに外に出ればもっと寒い。俺は体を震わせる。

 てか、こいつは寒くないのかよ。

 いや、そんなわけはない。赤城は当たり前だが制服のスカートを履いていて、真っ白な足が露わになっていた。手も袖を引っ張って隠していた。自業自得と言えど、こいつはこの寒い中、何度もインターフォンを押して待っていた。俺を待っていた。期せず俺は待たせてしまっていたことになる。自業自得だが。

 赤城はインターフォンから動かず、寒い素振りも見せずに顎を上げて促す。


「ほら、何してるのよ、早く用意してきなさいよ」

「はあ。お前は馬鹿か?」

「はああ?!」


 もう怒るのもめんどくさくなってきた。


「時間かかるから中入ってろよ」

「え? いいの?」

「寒い方が好きならそこにいてもいいけどな」


 赤城はすぐにこちらに走ってきた。余程寒かったんだろう。


「入るわよ」


 赤城を中に入れてやると、俺の顔を見て笑った。気温のせい頬が少し赤くなっていた。


「ありがと。やっぱり優しいのね」


 卑怯なほど可愛らしくて危うく見惚れそうだった。

 しかしその返答には無視で返す。だって優しくなんてない。ただ俺がする準備の時間を拘束されたくなかったからだ。せっかくこんな朝早くに起きたんだ。準備くらいゆっくりさてほしい。誰かを寒い外で待たせてではなく。

 赤城はまた昨日の場所に座った。俺は洗面所で歯を磨いて顔を洗ってまたリビングに戻る。

 そしてコーヒーを二杯淹れた。


「ありがとう」


 また礼を言われた。相変わらず礼を言う時だけは表情を少し崩していて徹底してるんだなと場違いに思った。

 赤城は両手でカップを包み込むように持つとゆっくり口へ運んだ。心なしかさっきよりも手に温度が戻って少し赤みがかったように見えた。俺も口を付ける。体の芯まで温まるようだった。


「朝ご飯はないからな」

「食べてきたわよ。あなたこそ、何も食べないの?」

「これだけで十分」


 朝は食欲が湧かない。その癖昼前にはお腹が空くから本当に厄介だ。それでも毎日食べていない俺は不健康に見えるだろうか。


「ていうか、俺とお前の家って」

「お前?!」 


いちいちうるさいなこいつ。


「俺との家はそんなに近いのか? それこそ歩いてこれる距離? こんな時間電車なんか走ってないだろ」



「まあ歩いても来れる距離よ。大体三十分くらいかしら」


 危うくコーヒーを吐きかける。三十分?! 平然と言ってるけどこんな寒い中いくら温まるといっても三十分も歩けるか? どこのお転婆娘だよ。それとも俺が貧弱なだけ? あるいは両方か。

 俺は素直に疑問を口にした。


「いつもそんなに歩いてるのか?」

「まあね。日課だし。一人もしてみたら?」


 いつの間にか呼び捨てになっている。それとも今はキャラ変してるからか。

 俺はコーヒーを置く。


「考えとくよ。でも俺の家にこんな朝早くから来るなよ。さすがにあんなにインターフォン鳴らされたら迷惑だ。今日はたまたま母さんがいなくて俺が起きてたからよかったけど」

「それはごめんなさい。でも朝こういう時間はとれないかな?」

「なんで? 別に付き合ってる振りなら学校だけでいいんじゃないか?」

「そ、そうなんだけど、ほら私って友達多いじゃん?」


 嫌味かこいつは。ああ、俺は見られて困る友達なんかいませんよ。


「だから、朝練とかある子に見られるって言うか? 怪しまれないために徹底したいの。逆に私と一人が一緒にいるところ見られた方が、もっといえば私が家に迎えに行ってることが噂になれば抑止力にもなるでしょ?」

 

 まあ筋は通っているのか? よくわからない。何とも赤城の態度がはっきりとしない。根本的にこんなに朝からくる必要なんてないはずだった。

 それでも赤城はそれが有効だと主張した。なにより


「だからその、朝はなるべく一緒にいたい、かな」


 この顔が演技かどうか判断がつかない。でも本心で俺といたいって言ってるなら今すぐに病院に行った方がいい程重症だろう。そしてこれが演技でありそうと確信を持つほど普段の彼女とのギャップ差が激しかった。赤城の裏の顔を知った今、俺はもう一つの仮面をかぶった赤城の完成度にひどく驚いている。ていうか引いている。だからこの表情も、きっと演技なのだろう。男を揺さぶるための声色、表情。なるほど、確かに断りづらい。嘘だと分かってても期待してしまいそうだった。


「まあ、いいけど。その代わりインターフォンをやたらめったら鳴らすのはやめてくれ。母さんにも富久にも迷惑になるから」

「いいの?!」

「なんだよ、お前が言ったんだろ」

「う、うんありがと。じゃあ、貸して」

「あ、おい」


 赤城は俺のスマホを取るとなにやら操作しだす。さすがに女子高生らしい、慣れた手つきで何やら入力している様子。フリック操作が確認できないほど早かった。

 すぐに終えて返してきた。


「はい。これでいつでも連絡取れるでしょ?」


 俺のスマホに新たな連絡先が追加されていた。『赤城瑠璃』という名前が。


「今度から家に着いたら連絡する。その代わり起きときなさいよ」

「何でお前はそんなに上からなんだよ」


 俺の日常は朝から余すことなく忙しいことが確約された瞬間だった。早起き頑張るか。


 

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