第4話

「今日くらい、一日中ベッドのうえで、あなたと怠惰に過ごすのも、いいかもね」


 耳元でそう囁く彼女の目を見つめる。

 嫌になって殻に閉じこもるような。そんな投げやりな雰囲気じゃなかった。

 むしろその逆で、なにか憑き物が落ちたかのような。そんなスッキリとした表情をしている。


 ―――………。どうしたのさ、急に。らしくないじゃん


 彼女なら、終末が訪れるギリギリまで生に執着し、出来る限りのことをやり尽くすと考えていた。その予想が外れて今、私は少しだけ困惑している。

 いや私としてはむしろ彼女が最後の最後で本当に肩の荷を下ろしたというのならそれは喜ばしいことではあるのだけども。


 そもそも昨夜だって置き時計の目覚ましをリセットしたのは私なわけだし。

 実質こうなることを望んでいたわけではある。


 ……じゃあまぁ、良いのかもしれない。

 そもそもこんなにぐでーっとしている彼女を見たのなんて初めてで、今日はそんな彼女を目一杯楽しめると思えば、終末も


 怖くない。


 こわく、ない?


 え、私は終末を怖いと思っていたのか。

 始めに彼女から話を聞いたときは半信半疑だったし、ニュースで見たときも特段パニックになったりもしなかった。

 動揺している彼女を見て、私の頭のなかでは「そっか。もうすぐ世界は終わるのか」とどこか他人事めいた感想を抱いていた。


 抱いたまま昨夜は眠りについた。


 確かによくよく考えてみれば、そんな前兆は自分にもあった。


 悔しいと思った。

 惜しいと思った。

 その感情どれもが「もっと彼女を見ておくべきだった」「もっと彼女のことを考えるべきだった」という気持ちから来るものだということにも今更ながら気付く。


 そうだ、私は終末を恐れている。

 世界が終わるのが怖い。


 彼女との日々が終わってしまうことが、どうしようもなく受け入れがたいのだ。


 そして同時に今。

 私はようやっと彼女に共感できた。正確には昨日までの彼女に共感した。

 お風呂場で心細く私の服の裾を掴んだ時。玄関で私に抱き着いてきた時。

 彼女もまた、、、。


 私は彼女の背に回した腕に、少しばかり力を込めた。

 ぎゅーっと、強く彼女を抱きしめる。


「どうしたの?えへへ、……ぎゅぅー」


 彼女も私に呼応して抱きしめ返してくれる。

 耳元で囁かれる彼女の声音はいちいち甘かった。


 ―――こわいね


 私は一言、そう呟いた。


「………ぅん。そぉ、だね」


 ぎゅー、ぎゅー。

 彼女の抱きしめる力が私の抱きしめる力を上回ったあたりで、彼女は私から少しだけ離れると、未だ普段よりもカスカスした声で私に「おねだり」をしてきた。


「ね、喉かわいた」


 ―――え?


「起きるのめんどくさーい!動きたくなーい!飲み物とってきてー!」


 笑顔でそう言う彼女は起きていているはずなのにまだ子供っぽくて。

 ついつい彼女が寝ているときにしたのと同じように、彼女の頭に手を伸ばして撫でてしまう。


「えへへ」


 そうやってはにかんだ笑顔を浮かべる彼女を見て、また一つ「惜しい」が増えた。


 ―――取ってくるよ。待ってて


 そう言ってベッドから降りると冷蔵庫がある場所へ向かう。


「待って待って!何が飲みたいかくらい聞きなさいよ」


 ―――そのくらいわかるよ。ブラックのコーヒー、無糖でしょ?


 伊達に長年、彼女と過ごしていたわけじゃない。

 彼女はいつもそれしか飲まないからね。流石に飲みたいものくらいはわかる。


「ぶっぶー。いつも毎朝飲んでいるのはお水ですー」


 口先を尖らせて彼女が言う。


 ―――ええ!??


「コーヒーは朝ご飯食べた後からって決めてるんですー」


 思いもしないカミングアウトに驚いたものの、私は彼女に言った。


 ―――そっか。じゃあ、覚えとくね


 私たちに明日は無いけれど、それでも覚えておく。

 彼女に関することは例え些細なことでも記憶に刻み付けておきたかった。


 そんな私の発言に彼女もまた少しだけ驚いた様子だったけれど、すぐにまた笑顔になった。


「えへへ」


 今日はよく笑う彼女である。

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