第2話

 聞くところによるとどうやら。

 どうやら明後日、この世界は終末を迎えるんだとか。

 いやいやまさか、まさか、ねぇ?


 彼女の務める会社はIT企業で、しかもそこそこ名の知れた会社だ。けれどそれでも最大手というほどでは無いし、もしも仮に本当に明後日この世界が終末を迎えるとするのならどうして彼女の会社がそんな情報を未だニュースでも取り上げられていない段階で掴むことが出来たのか。

 疑問は増えるばかりだ。


 とりあえず今は彼女にはお風呂に入ってもらっている。

 心の整理だとかはお風呂場が最適だと思ったから。

 彼女をお風呂場へと押し込む際、彼女の手が弱弱しく私の服を一瞬掴んだことも考えなければいけない。

 そりゃ誰だって、それこそ彼女みたいにいつもは隙が無く公私共に完璧に近い生活を送っているバリキャリウーマンだって、急に「あ、明後日世界おわるから!もう会社来なくていいよー。働くだけ無駄だよー」的なことを言われたものなら精神的に病むことだってあるだろう。


 むしろ客観的に見たら私の反応の方がおかしいのかもしれない。

 ……おかしい、のか?

 私の場合は未だ世界の終末なんてものに対して半信半疑なだけで。それが今こうやってリビングでつけっぱなしにしているテレビでニュースにでもなったらアワアワしだすかもしれない。


『緊急速報です。XXXX年X月XX日、世界は終末を迎え崩壊すると政府が発表いたしました。』


 ―――……まじか


 タイムリーだが、どうやら本当に明後日この世界は終わってしまうらしい。

 夜のバラエティ番組から一転してニュース番組に変わったチャンネルをそのまま見続ける。

 ふむふむ、政府が発表したのは世界に終末が訪れるという抽象的な情報のみ。それで?え、それだけ?

 具体的にこの世界はどう終わるのか。人類は何によって「終わり」を余儀なくされるのか。


 なーんにも詳しいことは明かされない。


 ―――なんだそりゃ


 やっぱりデマなのではと思ってしまう。

 いやでも実際ニュースでこうやって大々的に公表してるし。政府の名まで使ってガセネタでしたじゃいよいよマスメディアの速報性とやらに関して国は重く見るべきだと違う観点で議論しなければいけなくなると思うんだ。


「お風呂、あがったわよ」


 別にやましいものを見ていたわけじゃないのに。

 後ろから掛けられた彼女の声に咄嗟に身体が反応した私はつけていたテレビを消していた。


「なに見てたの?」


 ―――えっ!?あ、えと、それは


 隠すことでもないはず。なのに私はテレビで「世界の終末」が公表されたという事実を、彼女に伝えることをどうしようもなく躊躇っている。

 今見た感じ、やはりお風呂でのリラックス効果が影響しているのか先ほどと比べて幾分か彼女は落ち着きを取り戻しているように思える。でも私の脳裏に浮かぶのは玄関で突如身体を私に預けてきた彼女と、脱衣所で無意識なのか私の服の裾を掴んで心細そうにしていた彼女の姿だった。


 私が数秒の間なにも言わずにいるものだから。

 彼女は火照った身体を自ら抱きようにして居心地悪そうに立っている。


 そんな姿を見て、私は今、彼女になんて声かけをすればいいのだろうか。


 公に発表された事実は伏せて、敢えて知らんぷりを決め込んだまま彼女に「世界の終末なんて何かの間違いでしょ」と道化を演じて言うべきか。


「………もしかして、もうニュースになってるの?」


 ―――え?


「そりゃそうよね。今日中には公表しないと、誰しも一日の猶予くらいは欲しいって願うと思うし」


 彼女は察しが良い。

 社会に出れば彼女みたいなタイプは重宝される。察しが良くて、かつ気が利く。物分かりも良くて自分で物事を考える習慣も身についている。

 それは彼女の精神状態がたとえ不安定でも、変わらなかった。


 誤魔化そうか、そう考えていた自分に嫌気が差す。


「………ふぅ。ダメね」


 ―――え?


「切り替えないと。もうどうすることも出来ない事態に変わりないんだから。だったら私たちに残された明日という一日で、如何にやりたいことを出来るか。それを考えないと」


 そう言い切った彼女の声は凛としていた。

 私が好きな声だ。


 ほんのついさっきまで私が彼女を落ち着かせる立場にあって。

 支える立場にいたのも私だったのに。

 私はどこまで行っても不甲斐ない存在だった。

 だけど、そんな不甲斐ない私だけれど。彼女に言いたい。


 ―――明日くらい、、、


 明日くらい、怠けたって良いんじゃない?


 そう言いたい。言いたかった。


 だけど言えなかった。


「ふわぁ~あ。明日の計画を立てたいけれど、なんだか今日はもう眠たくなっちゃった。明日……、そうね、五時くらいに起きて計画を立てとくから、あなたは私が起こすまで寝てていいわよ。それじゃあ、おやすみ」


 寝室の共同ベッドの脇に置かれた電子時計で、彼女が五時にアラームをセットする。

 彼女は寝るときスマホを手元に置かずリビングのテーブルの上に置いて充電するから、毎朝彼女を起こすのはこの電子置き時計だった。


 ―――うん、おやすみ


 私もお風呂に入って、夕ご飯を軽く食べて、歯を磨いて。

 寝るには早すぎるけど一人じゃ何もやる気が起きなくて。

 寝室に向かった。


 彼女は背を丸めて眠っていた。

 まじまじとこうやって彼女の寝ている姿を観察したのは初めてかもしれない。

 今まで、必ず彼女は私よりも遅くに寝て、私よりも早くに起きていたから。


 寝ている時は、子供みたいだ。


 私は彼女の頭をそっと、優しく撫でた。


 ―――おやすみ


 小さくそう囁く。


 そして私はベッドの脇に置かれた電子時計に手を伸ばした。

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