虫がいい話

餡団子

虫がいい話

 私は社長の父と、弁護士の母の娘として産まれた。周りからは「いい両親に産んでもらえたね」とか「お前、令嬢なんだろ? いいな」とか言われたが、全然そんなことはなかった。もし私の人生を代わってくれる人がいたなら、私は喜んでこの人生を譲っただろう。だって、


 私の両親は狂っていたから。


 あの両親から生まれてさえなければ……。

 時間がない。母が仕事から帰ってきてしまう。早く椅子を持ってこないと。

 私はその間に、母のを思い出す。



 母は残虐だった。母は正義感が人一倍強い。だから弁護士になった。それだけならいい、正義は立派だ。だが、あまりに度が過ぎたのだ。


 私の家が不法侵入されたことがある。私の家は綺麗で大きい。沢山の花が植えられた花壇があるし、池だってある。それなのに門は隙だらけ。そして何より。だから侵入するにはもってこいの家だったのだろう。

 母は不法侵入に気づいたとき、驚き、焦り、激怒した。正義感の強い母は不法侵入など、到底許せなかったのだ。相手は扉を開く音を立てずに、どこからか静かに廊下に乗り込んだ。母は冷静に廊下の家具の裏に隠れ、隙を見て飛び出し、周りの物を吟味ぎんみしながら廊下を慎重に歩く相手の頭を、


 ぐちゃ、


 強く殴りつけた。殴る殴る殴る。相手が突然の激痛にバタバタ悶えて苦しんで暴れても、殴る手は止めない。手を強く握りしめ、何度も何度も何度も振り下ろす。相手は命乞いなんてできず、叫び声すら出すこともできない。初めは体を唸って抵抗をしていたが、次第にその体は動かなくなっていった。母は気が済むまで家全体に響き渡るような鈍い音を出し続けた。

 私は廊下の奥にある自室の扉を半開きにして、その様子を隠れ見ていたが、最後には、グチャグチャでメチャメチャで、原型なんて全く留めてない、


 死体だけが残った。


 母は苦虫を噛み潰したような表情でその死体を眺めていた。

 私は部屋の扉を開いたまま、胃の中から喉元にせり上がってきたものを止めるため喉を手で押さえつけたが、その凄まじい勢いに負け、嘔吐してしまった。母の残虐性や害意がいい、一つの命が終わったこの惨状を目の当たりにして、あさ食べたものひる食べたものよる食べたもの、まとめて全部何もかも全てを吐き出した。

 今まで嗅いだことがない強烈な臭いの吐瀉物が円形状になってドロドロと床に広がっていく。吐瀉物が絨毯にまで広がりグチャ、という気味の悪い音を立て付着する。気づけば私は大粒の涙を流していて嗚咽が漏れそうになるが、胃から無限にせり上がってくる吐瀉物がそれを邪魔した。


 床を汚した。怒られる怒られる怒られる。


 キキキという扉の音がした。

 扉の隙間から廊下を覗こうとした。

 目の前にほっそりとした白い足があった。

 上を見上げた。

 お母さんが、私を見てる。



 母は不都合なことがあると、自分の正義が許さないと、沢山殺した。それでも死体は絶対に見つからない。捕まる可能性は〇パーセント。

 だって、うちには父がいるのだから。

 私は父の書斎から持ってきた椅子をリビングに置いた。そして家の最奥にある物置を目指す間に、父のを思い出す。



 父は悪知識に富む男だった。

 母が創り上げた、いや、壊してしまった死体の処理に困ると、父はその悪知識を活用し、そこには死体なんて初めからなかったかのように綺麗な地面だけが残る。

 父は後処理も完璧。死体を完全に消した後、警察が来たことなど一度もない。母が殺害した、という事実は、父の手によって私達以外誰も知らなくなるのだ。

 不法侵入の死体もそうやって消去された。そして死体を忘れ去った父はいつも、裂けてしまいそうなほど口角を上げて母と私にこう言うのだ。


「さあ、一緒にテレビでも見ようか」


 父は悪知識に富むだけでなく、人の血が通っていない、悪食だった。

 去年の夏、父が「僕の友人のキャンプ場に行かないか?」と提案した。母は「無理。虫とかいるし」と断った。

 正直、私だって断りたかった。だが、隣に立つ父を見上げると私を見下ろす父の目が不自然なほどに大きく開き、口が中途半端に開いていて、頬の肉を上げて微笑んでいた。私はその父の顔が恐ろしくて、

「……うん、私も行くよ」

 と言うしかなかった。


 一時間程電車に乗って、二十分くらいバスに乗った。バスを降りたら父の後ろを俯きながら歩いて、森にあるキャンプ場に向かった。時折父が「どうだ、楽しいか?」と私に問いかけた。ただ歩いてるだけでしょ、とは思いつつも、私は、あの父の顔が脳裏にチラついて、

「……うん、楽しいよ」

 と微笑んだ。微笑んだはずだ。


 キャンプ場に着いて、父が受付を済ませた後、河川敷の設営エリアに向かって、テントを張った。

「めったに森なんて来ないし、もっと奥の方に行こう」

 父が周りの森を見渡しながら、川辺に座る私に言った。私は言うまでもなく、

「……うん、お父さん」

 と言うしかなかった。


 森は昼間だというのに薄暗く、不気味だった。

 父は地面に落ちている先の尖った枝や、昨日の雨でぬかるんだ土に気をつけながら森の奥へと歩いていった。私は、父以上に足元を注意して歩き進めた。


 しばらく歩くと、父が前方を見て「おっ」と声を漏らした。私は父の大きな体で前の様子が見えなかったから、少し右にずれて前を見た。

 そこにはゲームでよく見るような先が真っ暗な洞窟があった。

「おお! 洞窟、初めて見たぞ!」

 父は喜びの声を上げて、先ほどまで足元を注意して歩いていたのが嘘みたいに駆け出した。まだ昼だったし、暗くなるまで時間があった。私は先ほどと同じ速度で歩き進め、洞窟の入口に着いた。


 父が洞窟に入ってすぐの所で止まって地面を見ていたから、私はどうしたのか気になり父に近寄った。

 地面では『何か』を食べようとしているのか、蟻の大群が列を作っていた。

 私は列の先の方を目で追いながら洞窟の奥にゆっくりと進んでいくと、蟻の最前列が地面に倒れている『何か』を貪り食っているのが見えた。暗くてよく見えないため、私は更に洞窟の奥に進んで、見た。


 その『何か』は首がほとんど切れかかっていて、文字通り、首の皮一枚で繋がっている死体だった。


 一歩後退りする。

 何かにぶつかる。

 後ろを振り返る。

 お父さんが、私を見てる。


 父は死体に駆け寄り、死体の頭を掴んだ。首がほとんど切れていたから可動域が広くなっていて、首が変な角度にダラんと曲がる。

「お父さん! やめてよ!」

「大丈夫大丈夫。こういうのが意外と美味しいんだよ」


 は? 美味しい?


 その瞬間、父が死体の後頭部に勢いよく歯を立てガリガリ、バリバリ、と不快な音を立てた。その振動で首はブラブラと揺れた後、完全に切れた。頭と体が分かれてしまった。首だった所からは体の断面、断面が見えて……。

「あ、あ、あぁ……」

 言葉が思うように出なかった。そして、父が数秒間不快な音を出し続けた後、その後頭部は父の歯の勢いに負けグチャ、と砕けてしまった。

「うん、美味しい。次はこっちにしようかな」

 父は指の関節に噛みついて、ぶちり、ぶちり、一つずつ食していく。私は必死に泣き叫んだ。


「やめて、もうやめてよ!」


 父はそんな私の言葉が聞こえていないのか、ぶちり、ぶちり。残酷な害意で死体を弄ぶ。一つ、また一つ。手を全て貪り尽くしたと思ったら、ついには足の関節にまで手を、いや、口を出して。


 ぶちり、



 父を思い出して吐きそうになりながらも、なんとか物置からキャンプロープを取り出せた。

 私は嫌いな父と母のことを思い出したが、うちの家族で一番大嫌いなのは私だ。私自身だ。

 父と母は常に狂っているわけではない。普段は至って普通の夫婦だ。だが時折、異常な好奇心や歪んだ正義を相手に向けて、大切な命を奪い去ってしまう。そのとき二人は、


 の塊だ。


 そんな父と母が嫌いだから、父と母への嫌悪が増すごとに、私が二人の血を色濃く引いているという『話』が私の心を襲う。その『話』を一番実感したのは昨日だ。昨日私は、


 初めて殺しを経験した。


 私はキャンプロープを持ってリビングに向かい、私のを思い出す。



 数年前、車を運転できるくらいの年齢になった。父はそんな私にスーパーカーを買い与えた。母は「女の子にこんなものはいらないでしょ」と言ったが父は「まあまあ、これで僕らがいなくとも遊べるじゃないか」と母を宥めた。私は父も母も嫌いなのに物欲に負けて、

「ありがとう、お父さん」

 と言ってスーパーカーを受け取ってしまった。これが、ダメだった。


 昨日、父も母も仕事に出掛けていた。私は暇だったから、父からもらったスーパーカーでいつものようにありとあらゆるところを走り回った。

 午前十時頃、私は人が滅多に通ることがなく、広大で、スーパーカーで走るにはベストな場所を走っていた。私はよくあそこを通るし、心地が良い。あそこは私の庭だった。だから私は完全に調子に乗っていて、油断していた。


 私は心地よい風を一身に受けながら、スーパーカーを加速させた。嫌いな父や母なんて、今はいない。

 私の、私だけの時間だ。

 風を切り、陽を浴びて、加速して、加速して、加速して、


 ぶちゃり、


 母が殴る音と、父が貪り食う音の中間のような音がした。その音のせいで嫌な想像が頭をよぎって身体中から変な汗が吹き出てくる。私は車をすぐに止め、音が聞こえた辺りを見た。

 頭が潰れて、全く動かない体があった。

 頭はグチャグチャで、そこからぐっちょりとした液体が地面に飛び散っている。顔は何個かに分裂し、地面にへばりつき、目玉が一つ、私の目の前に落ちている。これは私のじゃない。


 ねえ、死んだ? 私が、殺した?


 もう、この命は戻らない?


 神様ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


 私は頭が潰れた死体の前で膝から崩れて泣き叫んだ。パニックに陥ってわけが分からなくなった。

 そして私は言い訳をするためだけに母に電話をかけた。今考えるとそれは最高に最低で、幼稚な考えだった。

「だってあんなところを通るなんて思うわけないじゃん!」

 電話が繋がって開口一番、私はそう叫んだ。

「待ってよ。いきなり電話してきてどうしたの?」

「車で……車で轢き殺しちゃったの!」

「え、殺したって……ああ、。詳しいことは家で聞くから。お父さんも今日の帰りは早いし、処理してくれるわよ」


 どうして? 失われた命は戻ってこないのに、どうしてこの人は冷静でいられる?


「仕方ないわ。あなたは悪くない。そうだ、明後日はお父さんと一緒に新しい車を買ってきたら?」


 ああ、この人は殺害を『仕方ない』で済ませて車の心配をするのか。尊い命が一つ消えたことなんて何とも思っていない。やはり、害意の塊。でも私は違う。違う違う違う。害意なんてなかった。


 いや、あんな場所であんなに速度を出したのだ。飛び出し事故を、私は少しも予想しなかったのか? それこそ違う。必死に気づかないフリをしていたけど、心の奥底には、


 害意があった。


 多分、気持ち悪いから。


 電話を切った。私は全力で家の自室に戻り、掛け布団にくるまってブルブル震えた。両親とは違うと思ってた、違うと思ってた、違うと思ってた。でも私の本性は、


 両親と同じだった。


 私は、私はどう償えば……。

 私は精神が限界に達して、気絶するように眠ってしまった。 



 リビングに到着し、ロープを柱にくくりつけた。

 命に優劣なんてないのに、殴って苦しめて殺して処理して食して轢いて、それでも自分は今ものうのうと生きているなんて、みんな、虫がいい話ね。


 でも、私はもう耐えられない。


 椅子は用意した。

 ロープも柱に固定してある。

 私は椅子に乗って、背伸びした。


※※※


 やっと仕事が終わった。でも、これから会社のみんなと飲み会に行かないといけない。

 飲みすぎないようにしないと。だって、明日は愛しい一人娘と一緒に車を選びに行くのだから。

 そういえば、僕が無理を言って今日の飲み会で初めに、田村君に面白い話をしてもらうことにしたんだっけ。でも、多分面白くないだろうな。

 そうだ。虫がいい話だけど、田村君に頼んで代わってもらおう。昨日ので起こった、大事な娘のほっこりする話を、僕に話させてもらおう。


 僕と妻とは価値観が違って、


 誰にでも絶対的に平等な娘が、

 小さいのに聡明で愛らしい娘が、

 どんな相手にでも優しくする娘が、



 ミニチュアカーで、虫を轢いて泣いたって。


※※※


 みんな、虫がいい話ね。

 ほんとばなしね。


 首を縄でくくった。

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