パテナ・シンタータの誤算 第18話
パテナが注文したオレンジジュースの氷が溶け始め、バランスを失い、カリッと音を立てた。熱々のお好み焼きを口の中に放り込み、ビールを流し込む。テーブルを挟んだ向こう側で困り顔のパテナが停止していた。数分前、ぼくに対して〝自分の魅力を認識しているか〟という質問をしてきた。そして、同じ質問を返したところ、今の状況となってしまった。
この話題を持ち出したからには、こうなると想像がついていたはずなのだが……。
カマド先輩と〝彼女〟の二人にまつわる話と、パテナにまつわる話で彼女が抱く気持ちというのは〝人気というやつをカテゴリー分けしたときの単語〟だろうか。恐らく、周りがパテナにまとわりつかせる〝魅力〟というものに、彼女自身が困っていて理解できずにいる可能性。ただ、この一連の会話や質問の内容から、もうひとつ前提がないと成り立たない。
「もしかして、ぼくがパテナを異性として見ていないと思っているのか?」
「いや、すこし、ちがう。そうだな………………」
また困り顔で顎に手を当て、温め続けられているお好み焼きを見つめる。この姿や〝すこし、違う〟という曖昧な返事が答えのようなものだと思えるのだが……。
「こんなに長い間一緒にいるのに、どうして手を出してこない?」
「手を出すって………」
パテナの素直さが、稀に品のない言い方になることに軽く笑ってしまった。
食事を終えると21時過ぎの冷たい風が吹いていた。街路灯の光をひとつ、ひとつパテナのアパートメントに向けて踏む。冬の訪れに風と落ち葉が一緒に煉瓦の上で、はしゃぎまわり喜んでいるのを見て、ぶかぶかのコートにマフラーをぐるぐると巻く冬のマトリョシカは真逆の表情をしていた。
夢のなかで〝初夏の湖畔〟を、はしゃぎまわっていたパテナは、白地に小さな花柄のワンピースを舞うように踊らせていた。そんなに走っちゃ駄目だ、転けるよ、と、声を掛けようとしたら目が覚めた。夢の世界ではしゃいでいた冬のマトリョシカは、現実世界の寒さにはいない。
「何が可笑しい?」
「いや。何でもないよ」
「身長差か?」
「パテナは小柄なのを気にしているのか?」
「そうだな、嫌な思いもしてきた。それと……」
君に好意を寄せていた女性達は女性らしいスタイルをしているだろう。それがすこし気になるというか……、とまで言って詰まり、また困り顔で考え事を始める彼女の感情は〝嫉妬やうらやましさ〟というやつなのだと思うのだが、彼女自身が感情にラベリングできず悩んでいるのだろう。
最近の【バベルの図書館】に関連する情勢を考え、アパートメントの前まで送るとパテナらしくない……一言が投げかけられた。
「ここまで送って、タタミ君は帰ってしまうのか?」
その付き合ってもいない男女のあいだで使うには、よろしくない意味を含む言葉をパテナが使ったことに驚き、思わず〝いけない言葉〟を覚えた子どもに注意するよう、屈んだのがまずかった。
「意味は分かっている。わたしはこんな見た目だが、君と同じ28歳だ」
「ごめん、失礼な事をした。悪かったよ、パテナ」
「それと……わたしが嫌だと感じた男どもも、そうやって目線を合わせた」
「本当に悪かった。ごめん」
彼女に声を掛けてきた男性たちが持つ好意の意味と、彼女が感じ取った嫌悪の意味がわかった。
「パテナ。君が知りたいのは〝恋〟という感情だろう?」
「もう一点。わたしが君に対して、その感情を持っているかだ」
「それなら〝恋〟を理解しないといけないんじゃないのか?」
「そのためには、こういう風に君を誘えばいいという助言があった」
「誰に聞いたのかは聞かないでおくよ。だけど、こんな事をすると恋を間違うよ、パテナ」
珍しく……というか、初めてぼくからの言葉でパテナが大きく目を開いて、息を止める。
「そうだな……。明日、パテナの予定は?」
「い、や。ああ……いや。何も予定は入れていない」
じゃあ、ぼくからデートのお誘いだ。
翌朝、後輩からヴィーグルを借りて、カマド先輩とシキイを含む何人かに声援を送られるという冷やかしを受けアパートメントを出た。ハンドルを握りながら思い出す、隣にいた〝彼女〟の面影。ぼくと〝彼女〟が付き合った年数だと、ふつうの恋人なら出掛けた回数を数えることなんて出来ないのだろう。逆にぼくらは少なすぎて回数を数えられない。〝彼女〟と過ごした日というのは何だったのか。今日に限って、こんなことを考えるのはパテナに失礼だと思うのだが、ぼくも痛みをひとつ、ひとつ、まとめて、消化しないといけないと思う。
〝奇跡的な寒がり〟を待たせまいと、かなり早めにアパートメントを出たのだが、いつも来ているコートとはちがう、真っ白なコートをまとった君が立っていた。
「おはよう。もしかして待ち合わせ時間を間違えた?」
「いいや。むしろ約束の時間よりずっと早い」
「ちょっと待って。君はいつから待っていたんだ?」
まさか一晩とか言わないだろうなと〝奇跡的な天才〟の思考に驚かせられないように身構える。しかし、彼女には別の意味で驚かされてしまった。
「秘密」
初めて見る表情と初めて聞く声だった。
パテナ・シンタータの誤算
第十八話、終わり。
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