パテナ・シンタータの誤算 第4話

 【バベルの図書館】というシステムの名称は、第三惑星時代の作家 ホルへ・ルイス・ボルヘスの同名小説から拝借したものだ。その小説は、世界にある全ての本が収蔵される〝バベルの図書館〟で一生を過ごした書司のはなし。


 〝バベルの図書館〟に収蔵される本のフォーマットが決まっていて、そこには二冊として同じ本が無い。つまり、本に題名を付けることはできない。題名を付けて〝圧縮〟して本を認識してまうと〝同じ本は二冊としてない〟のルールが破綻する。この図書館に収蔵されている本を識別するためには、書司が一語一句間違えずに本を読んでいく必要があるのだ。


 この図書館に収められる本は〝25の1312000乗〟にもなる。


 この冊数を収められる図書館は、人類が確認できる宇宙の広さを超えていて〝無限〟とも思えるが、答えが出ている以上〝有限〟だ。ただの巨大な数にしかすぎないという話。この数字を作者から取り〝ボルヘス数〟という。


 本に〝題名〟が付けられないように、ヒトが名前を付けられないものがこの宇宙にはある。それは神という凄腕プログラマーが未来に起こす〝ナラティブ〟かもしれない。


 大学敷地内を走る路面電車は【バベルの図書館】のスタッフと学生共用だが、途中の停留所で眠たそうに一限目に向かう学生とは別れる。あちらに向かう学生は数年前まで【バベルの図書館】に携わることに憧れていたぼくで、こちらの路面電車に乗るぼくは彼らの未来だ。停留所のプラットホームは〝可能性〟だとも言える。

 毎日、複雑に入り組み、多種多様な事象のナラティブを考え出させ、蓄積されたデータとリアルタイムでリンクしている各種観測所からのデータを用い、ノイズを除去してヒトの手に負えなかったはずの〝未来にある事象〟を見つける【バベルの図書館】は、いち生命体が〝奇跡〟と名付けてしまった可能性を奪い取る行為かもしれない。


 凄腕プログラマーの〝神〟が不可能とした意地悪で、ぼくら人類は乱数のなかから可能性を手探りで見つけ出してきた。それをたかだか六十年間のコーディングで〝奇跡〟としていた事象ひとつひとつに題名を付け、管理しようとしている。


 研究棟に近い停留所で感じた不穏はエントランスに入り、目が合った警備員が殺気立っていたことで答えが理解できた。吸いづらいくらいに重たい空気が、廊下を進み研究室に近づくにつれ、質量を増す。IDで認証をし、扉を開くと同僚たちがモニタの前に集まり議論をしているようだった。その光景にため息を吐いて、大方、起きている事態を把握する。ブースには、いつもにも増して不機嫌そうなパテナが頬杖を突き「おはよう、タタミ君。朝一番の会話が階層DE4+4.22A3.f3000番台各フォルダ及び、リンクレベルE4FF/C+2で繋がる全フォルダで問題が発生しているという話と、今朝、玉子を焼こうとし、生まれて初めて二つの黄身がフライパンの上に落ちた話、どちらの話題がいい?」と、丁寧に話題のあらすじを説明をしてくれた。

 パテナに背を向け、荷物を置いて白衣を羽織りながら「じゃあ、黄身が二つだった玉子の話を聞こうか」と言うと、案の定、彼女に鼻で笑われる。


「それで? 問題はいつ起きたの?」

「正確な時間の特定は後回しだそうだよ」

「なるほど。つまり事態は深刻で進行中だ」


 昨日の作業工程を浮かべ、トラブルが起きた領域の状況を想像して椅子に座り、パテナと同じく頬杖をつく。かなり浅い階層とはいえ、データ量が膨大な領域だ。ゲートやフィルタが何重もあり、絶えず監視プログラムが走っているのにも関わらず、特定の条件で問題が伝播する可能性は極めて低い。


「外から?」

「その線でプロテクトを張って時間稼ぎ…のつもりなんだろう」

「それすら特定できていなくて拡大中か」

「シキイ氏のいるチームが解明にあたっている。ただ、わたしも君と同じく外からの影響と考える」


 いくら惑星連盟や各国が推し進める計画だといっても、反対をしている国や人達がいないわけじゃない。なかには過激な行動を取る人や団体も存在する。〝地球を失った人類〟という共通のトラウマが、科学、化学、物理を色濃く扱う研究機関や企業に対して拒否反応を示す無意識下の感情もある。


「世界の終わりは、いつもそこにあるというのに人間は愚かだ」

「歴史は繰り返す、っていう言葉があるくらいだからね」


 パテナが呟いた〝人間は愚か〟という言葉は、ある種の業だ。ヒトは失敗に対し敏感で、さらに答えが想像できない〝挑戦〟というものに嫌悪を抱く傾向がある。自ら信じていないことを許容し、見守るのが苦手な生命体。正しい乱数の理論が組まれていないプログラムのように、同じ反応と同じ失敗を正しく繰り返す〝完璧で不完全な生命体〟だ。そのことにパテナが、ぽつりと「盤面の広さが決まっていないオセロゲームのようだ」と呟いた。


「そういえば、もうひとつ良くない話がある」

「何? 他階層にも影響が出始めているとか?」


「正確には、他の階に住む奴らにも知れ渡っている、だな」


 その良くない話とは、昨晩、ぼくがカマド先輩の部屋へ入ったきり、朝まで出てこなかった……という噂話。こちらも、たった一晩で伝播し大騒ぎとなっているらしい。


「まったく、小学生かよ。先輩には玉子を貸しただけだ」

「男性諸君のあいだで、カマド女史は大層な人気者らしいじゃないか」

「面倒見が良くて、やさしい人だからね」

「君たちの思考が単純と言えば、単純なのか」


 パテナお得意の毒舌は正しい答えだ。ヒトは優しさや慈愛にあふれた行動に騙される傾向がある。最初にその面を見せていれば〝悪い面〟が認識できなくなり、悪行であっても擁護をしようとする。これも〝正しく不完全な生命体〟が同じ失敗を正しく繰り返す例のひとつだ。

 ただ、昨夜の先輩とのことには、真実と噂話、事実に食い違う点があった。これをパテナに話すとまた面倒なことになると思い『玉子を貸しただけ』と嘘を吐いたのだ。事実は『お礼じゃないけど、ついでだからタタミ君のオムライスも作るよ〜』と、夕飯が先輩の手料理だったということ。もちろん、自宅で食し、オムライスが乗っていたお皿は、今朝、出勤前に返した。そのときも彼女の部屋に踏み入っていないのだから、皆が噂する〝色っぽいこと〟は起きるわけがない。


「どうして、ここのチームの奴らは色恋沙汰が好きなんだろう」

「まったくだ。君らは恋に愛に忙しいな」

「ただえさえも緊急事態で忙しくなりそうなのに」


 惑星ふたつ分の資金が滝のように注がれる【バベルの図書館】に起きた緊急事態から、玉子の黄身がふたつだった話、さらに妙な噂話まで。表情を変えず、淡々と話すパテナが〝恋〟に興味がないというのも有名だ。それなのに彼女を口説こうとし、鼻にも掛けられず撃沈した同僚がいるのも、有名。


 【バベルの図書館】で起きた問題は予想通り〝外部からの悪戯〟だと特定された。応急措置としてサーバーは外部ネットワークから切断され、大学内ネットワークからも切り離された。今後、早急に修正プログラムを作成し【バベルの図書館】に走らせるという特務。

 人類を苦しめ〝天災〟として受け入れるしかなかった事象に、対策を講じるために創られるシステム。ぼくらが四苦八苦しているというのに、この仕打ちかと思うと全身の力が抜ける。


 父の苦しみも、このような悩みだったのかもしれないと、最近は思う。


パテナ・シンタータの誤算

第四話、終わり。

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