パテナ・シンタータの誤算 第3話

 ぼくらが構築する演算システム【バベルの図書館】が格納されるサーバー建屋を路面電車のベンチシートに座り、反対側に座るパテナ越しの車窓に見ていた。この電車に乗る客は【バベルの図書館計画】に携わる五人だというのに、彼女はぼくと距離を置いて座り、膝のうえに手を重ねたまま携帯端末にメッセージを送ってくる。一体どうすれば映画のようなことが出来るのか。


 古いスパイ映画のようなことを現実のものとする〝奇跡的な天才〟から送られてきたメッセージには、ぼくの〝彼女〟に興味があると記されていた。情報買収のオプションは〝彼女〟の話としてもいいとのことだ。


 〝彼女〟と知り合ったのは、この大学の同期として同学科に入学したからだ。授業でよく顔を合わし、昼食時も近くの席に座っていることが多かった。そのうち話すようになると学術的センスや思考のプロセスも似ていたから、さらに仲が良くなっていった。そうやって時間を過ごすうちに……という人類史上多くのケースであろう経緯で恋人となる。

 ぼくらは、この大学に置かれている【バベルの図書館計画】のチームに入ろうと、ともに歩んでいた。ぼくも、皆も優秀な〝彼女〟のチーム入りは確実視していたから、おのずと応援は、ぼくばかりに向けられる。よく〝彼女〟からも「大丈夫。タタミなら上手くいくよ」と励まされていたから頑張れた。


 だが、ある日。教授連中が〝彼女〟を呼び出し「君に才能が無いとは言わない。しかし、概念に囚われ過ぎて閃きがない。残念だが、ただの優秀な生徒止まりだ」と、計画の選考試験に推さないと伝える。教授連中は【バベルの図書館】への夢を諦め、一日でも早く別の道に進むことを提案したのだ。それが例え〝やさしさ〟であっても〝彼女〟がそう思えなければ、ただの残酷な言葉だ。

 その日から〝彼女〟は泣いていた。一緒に過ごせない時も泣いていた。皆が心配をしていた。一緒に過ごせる時は、いつもぼくの腕のなかで泣いていた。


 【バベルの図書館計画】の選考試験が終わり、初冬だった長い冬は終わろうとしていた。当時、住んでいたアパートメントに郵便配達員が来て、封筒を受け取る代わりにサインと身分証明書IDの提示を求められた。何度も封筒の裏表を見ながら〝彼女〟の座るソファに戻る数秒間、この事をどう伝えようか何十回も考えたと思う。惑星連盟や【バベルの図書館計画】のロゴが入った封筒が届いた現実を〝彼女〟に、どう説明しようか、何度も考えたと思う。


 穏やかで透明感のある、やわらかな笑いかたをする〝彼女〟。手がきれいで、ひとつひとつの所作が美しく、すこし伏せたまぶたから伸びる長いまつ毛が素敵な〝彼女〟。自身の才に驕ることなく、他人に振りかざしもしない。ぼくが〝彼女〟の恋人であることが嫉妬の対象となるくらい皆に憧れられていた〝彼女〟。

 自身の才と人生を捧げてきても、夢に届かない虚しさと悔しさで打ちのめされていた隣に座った〝彼女〟が手にしていた一通の封筒。欲しかった紙一枚を手にするぼくを見て〝彼女〟は変わってしまった。


「気安く聞く話ではなかった。申し訳ない」

「いいや。むしろパテナとは六年の付き合いになるのに、知らなかったのが不思議だよ」


 路面電車からプラットホームに足をつけて三歩目で、パテナから「気分を害してしまった。本当に申し訳なく思う」と伝えられた。


「まあ………興味のない話は、だいたい知らない話ばかりだから仕方がない」


 気にしないで……、そうは言っても、久しぶりに思い出す過去に暗澹たる気持ちになっていた。どんな関係性でも〝こころ〟の内は話し、聞いてみないと分からない。人間は言わずとも分かるなんて言うが、それは嘘であり、あり得ない。それが例え、親子だろうがあり得ない。


「タタミ君は彼女氏と過ごしていて辛くないのか?」

「どうかな。あまり感情に波を立てないようにしているから……、わからない」


 人生において、どの道を歩めば最善なのかという答え合わせは本人にしかできない。誰も教えてくれず進んだ先にしか解答はないのだ。ぼくが〝彼女〟と別れないのも、ただ善い未来があると信じているだけだ。ただ、それだけの理由なのだ。

 穏やかな性格だった〝彼女〟は【バベルの図書館】に携われずに変わってしまったけれど、夢が叶ったぼくはどうなのか。変わったのは〝彼女〟だけだろうか。日々続く、禅問答。ただ同じ結果しか吐き出さない演算と、同じ結果ばかりを眺めて頭を掻きむしり絶望する、ぼくの頭のなかにいるマッドサイエンシスト。


「どうして、タタミ君は彼女氏と別れない?」

「同情ではなく、最後まで全うするのが愛や人生への責任だと思うからだよ」


 空の明るさが失われていき、薄桃色から藤紫色に変わっていく。あとは彩度を失っていくだけの宙に浮かぶ、惑星〝プリトヴィ〟を見上げた。


 パテナから提示されていた情報買収案は〝彼女〟の話をしたことにより、パテナ側から情報の破棄と無礼への謝罪を受け、そのまま別れることになった。惑星連盟からプロジェクトチームに与えられたアパートメントに帰り、階段を上がっていると同じ三階に住むカマド先輩と鉢合わせる。


「こんばんは、先輩。今から出掛けるんですか?」

「あっ、うん。玉子を買い忘れて、ねっ」


 不安げな笑顔の先輩に、確か玉子なら三個余っていたはず……と伝えると、とても歳がふたつ上だと思えないはしゃぎようで、ぼくの手を取り「ありがと〜、タタミ君っ。私、夜道が苦手なんだよーっ」と笑って、ぴょんぴょんと跳ねるのだ。先輩が夜道を苦手にしているのは知っている。それは、ぼくが一番よく知っている。大学時代からの仲間なら、皆、知っている。


 あんなことがあって、そうならないわけがない。


「はい、どうぞ」

「わあ、ありがと〜っ」

「何を作ろうとしていたんですか?」

「オムライスだよっ」


 先輩の出身地域で食されているという郷土料理オムライス。彼女はそれを週三回も食しているというのも有名。習慣的に高カロリーな料理を食べていても、スタイルが変わらずいることも有名。それが女性陣からの憧れと顰蹙を買っているのも、また有名。


「じゃあ。おやすみなさい、先輩」

「あっ。ちょーっと待って!」


「タタミ君、夕飯はまだかな? まだなら持っている玉子を全部出してっ」


 先輩が母や姉のように面倒見がいいというのは、ぼくらの常識だ。


パテナ・シンタータの誤算

第三話、終わり。

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