第26話 妻の度胸
ニナの報告によると、アベル様は金曜日の夜中の外出を続けている。
(もう昨日で、尾行した日から三度目の金曜日を迎えたわ。どれほど待たなきゃいけないのかしら……)
私は尾行の後、すぐにでもアベル様を問い詰めるつもりだったのだけれど、ノエルから様子見することをすすめられたのだった。
「今の状況では、アベル様に偶然だとはぐらかされてしまうかもしれませんよ。それに、別の理由があるかもしれませんし、もう少し見張りを続けましょう」
ノエルの言い分も一理あるということで、しばらくはアベル様の行動を確かめることにしたのだけれど……。
――「ユージェニー、泣きボクロさんの素性が分かったわよ!」
クレマン家を訪れるやいなや、マリーズが少し高揚した様子で話し始めた。
今日はマリーズの部屋で作戦会議をすることになっている。
「マリーズ、えっと……」
「あっ、ごめんなさい、興奮してしまったわね。 どう? 少しは落ち着いた?」
「うん。落ち着いて考えたら、私は離婚を保留にしていただけなのよ。それなのにアベル様の浮気を知って動揺するなんて、どうかしていたと思うの」
「そうなの? ほんとに、ほんとにそう思ってる?」
「ほんとに、ほんとにそう思ってるわ!」
「アベル様に少しも心が傾いてないと言い切れるの?」
「もうっ、マリーズもくどいわよ! もし……もし、そうだとしてもこの状況を考えてみて」
「でも……ほんの少しでも気持ちが動いていたのなら、答えを早まって後悔してほしくはないから」
「マリーズ、何が言いたいの?」
「だって、ユージェニーはアベル様を慕っていないのに、浮気には腹が立つのよね?」
「そうよ……」
「それって、すごく矛盾しているような気がするわ」
「うっ……」
マリーズの正論に言葉が返せない。
「ユージェニー、周りに振り回されても、あなたの誰かを想う気持ちは曇らせないで。一番大事なのは『あなたがどうしたいか』、ではなくて?」
「お嬢様、少々、ロマンス小説の読み過ぎでは……」
「ノエル! せっかく私が綺麗にまとめているのに」
マリーズがノエルの鼻をつまんで軽いお仕置きをすると、ノエルが手をバタバタとさせて大げさに痛がっている。
二人のやり取りに、私は思わず吹き出した。
(いつだってそうよ。この二人は……私を元気づけようとしてくれているのね)
私は、すーっと心の中でとぐろを巻いていたものが静まっていくのを感じた。
「ふふっ。マリーズも、ノエルも、ありがとう……」
「ユージェニー様、まずは女性の素性を聞いてから作戦を考えてはいかがでしょう?」
「そ、そうね……ノエルの言う通りだわ」
「ユージェニー、動揺しないで聞いてね。ノエル、女性の素性を……お願い」
ノエルはひとつ咳払いをすると話し始めた。
「名前はナタリー、20歳、平民ですので姓はありません。家族もおらず孤独な身の上のようです」
「ん? それだけ? それなら、どうしてダルボン家の木札を持っていたの? ロベル様やアベル様……それにドット公爵様との関係は?」
私は情報の少なさに拍子抜けしてしまった。
「それが……」
言葉を濁したノエルは、マリーズの答えを待っていた。
「ノエル、続けて。ユージェニーは知る必要があるわ」
「はい……ナタリーさんは15歳の頃から、貴族専用のセクレという高級娼館にいます。亡くなった養父母に借金があり、美しい容姿もあって娼館に売られたのでしょう」
「養父母? 娼館?」
今度は情報の多さに頭が整理できないまま、私は矢継ぎ早に質問した。
「ナタリー家に家を貸していた者の話では、赤ん坊の頃に養子で引き取られたそうです。ただ、だんだんと暮らし向きが悪くなり、最後はそのようなことになったと」
「そんな……さぞ、辛かったでしょうね……。では、アベル様とは娼館で?」
「それは、分かりませんが、アベル様は半年ほど前からあの酒場に出入りしていたようです」
「半年……。どうして娼館じゃなくて、あの酒場で逢引きしているのかしら?」
「確かにユージェニーの言う通りね。アベル様は辺境伯家の令息よ。お金には困っていないはずだわ」
「体面かしら? でも、結婚後も高級娼館に通う貴族は大勢いるわ」
私はそう言うとマリーズと顔を見合わせ、しかめっ面をした。
ノエルが気まずそうに口を開いた。
「お嬢様方には理解し難いかもしれませんが、娼館以外で逢引きというのは……本気で愛し合っているのかもしれませんね。ただし、他の男の話に限ってですが」
私とマリーズは言葉の意味が理解できずにポカンとしていると、ノエルが再び口を開いた。
「私は断言できます。騎士学校でのアベル様しか存じませんが、彼は決していい加減な人間ではありません。いつも、大義に忠実な男でした。ユージェニー様、どうか答えを焦らないでください」
ノエルの揺らぎのない瞳に、私はまだ自分の覚悟の足りなさ突きつけられたような気がした。
「ユージェニー、これからどうするの?」
(私は凄まじい過去から戻って、再び生きる機会を与えられた。こんなに弱いままでどうするの! それに、望んだ結婚ではないけれど、私とアベル様は夫婦だわ)
「この程度で……うろたえている場合じゃないわね」
「アベル様と話し合うの?」
「……ナタリーさんに会ってみたい」
「はっ?」
私の突飛な願いに、マリーズとノエルが声をあげて驚いた。
「またノエルに頼んで悪いのだけれど、その娼館に連れて行ってもらえるかしら?」
「ユージェニー、本当に行くつもり? 危険過ぎるわ。私たちが安易に足を踏み入れていい場所ではないのよ」
「わかっているわ。ノエルの言うように、私の知るアベル様も噂とは違った……だから、どうしても放蕩者とは思えないの。だけど、彼女が身分の違う三人の男性と接点のある理由が……娼館となれば説明がつくのも事実だわ」
「だから、ユージェニー様は確信が持ちたいのですね? 男の方が本気だとしても、娼婦はあくまでも商売。場合によっては、正直に話すかもしれません」
「私の勘違いでなければ、ノエルも、ユージェニーも、ナタリーさんにお金を渡して真実を話してもらうつもり? あまりにも……」
「お嬢様、ユージェニー様を責めてはいけません。お金で解決できない関係の方が辛いはずですから……」
「直接、彼女に会わなければ何も進まないように思うの。だけど、マリーズが反対するなら別の方法を考えてみるわ」
マリーズは目を閉じしばらく考え込んだ後、決心するように深く息を吸い込んだ。
「行くなら夜はだめよ、分かった? それに私も一緒に行くからね」
「私ももちろんお供しますよ。止めなければならない立場ですが、私がお嬢様方をけしかけてしまったようなものですから」
「もう……本当に心強いわ……ありがとう、マリーズ! ノエル!」
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