第7話 嵐の前の静けさかしら?
思わず横目でロベル様の表情を窺ったが、その横顔は穏やかなままだった。
(びっくりしたわ……やっぱり、私の聞き間違いみたいね)
「ユージェニー様?」
「あっ、えっと、あの……」
そう言葉を濁しながら私は立ち上がった。
(やっぱり謝らないつもりなんだな。まぁ、男爵家のような格下相手に謝るわけないか)
「ユージェニー様、もう結構ですよ。期待した私がバカで……」
グレイ卿が言い終わらない内に、私は大きな声を上げながら頭を下げた。
「ラージュ男爵令嬢を悲しませて、ごめんなさい! それに、グレイ卿の気持ちも踏みにじってしまって」
「……した。へっ? ユージェニー様、顔を上げて下さい……いや、本当に謝られるとは……」
それでも顔を上げない私にダンがそっと近づいて、肩に手を置くと優しく引き上げた。
「お嬢様、もう十分お気持ちはグレイ卿に伝わったと思いますよ」
そして、ダンは唖然としてるグレイ卿には目もくれず、同じように驚ているロベル様へ声を掛けた。
「この通り、お嬢様は大変お疲れでございます。ロベル様には改めて侯爵家よりお礼申し上げますので、本日はこれで失礼させて頂きます。お嬢様、行きましょう」
謝れた――という高揚と疲労からぼんやりとしたままダンに背中を押され、応接室を後にした。
「ユージェニー嬢、また連絡をしますから!」
名残惜しそうなロベル様の声だけが私の耳に届いた。
――帰りの馬車に揺られ、ダンが私の前でぶつくさと文句を言っている。
「お嬢様が謝罪されたと言うのに……男爵家ごときが……いや、お嬢様は立派に成長されて……ロベル様も何ボサッと座っていたんだ……まったく」
「ダン、あなたのその大きな独り言、それ本当に私に聞かせる気はないのよね?」
「はい、お嬢様」
「その割には私が反応するのを待っているみたいだわ。それにねぇ、そういうのは心の中で呟きなさいよ。どうせ今日のこともお父様に報告するのでしょう?」
「はい、そうやってお嬢様が拗ねたような顔をされてもご報告いたしますよ」
「ふぅっ、まぁ、いいわ。……ねぇ、ダン、ジュール男爵令嬢には直接謝罪した方が良いわよね?」
「お嬢様は侯爵令嬢です。たとえジュール男爵令嬢がお嬢様のせいで気分を害したとしても、謝る必要はありません」
「それは爵位のことを言っているの? でも、それでは私は――ただの卑怯者にならないかしら?」
「爵位は貴族社会の秩序を守るためのものです。もちろん、それには義務も伴いますが。ただ、まだ19歳のお嬢様には、この謝罪は、この先、本物の人脈を築いていくための有用な“武器”にもなるでしょう」
「つまり、貴族たるもの、謝罪さえも“武器”として使えということね。うーん、そういうつもりじゃないのだけれど、お父様の手前、そういうことにしてもいいわ。ジュール男爵令嬢にはどうやって謝罪するのがいいかしら?」
「そうですねぇ、お嬢様がお茶会を開いて、さりげなく謝罪する姿を他の令嬢方にもお見せするのが宜しいかと。あくまでも戦場は手のひらの上、見せたい姿を効果的に人々に見せ、人心を掴むのです」
「分かったわ。お茶会はマリーズに相談するのがいいわね。今日はもう疲れちゃったわ」
「そうですね。今日のお嬢様は、とてもよく頑張られましたよ」
ダンは優しい表情でそう言うと、そのまま寝てしまった私の顔に夕日が当たらないよう、窓のカーテンを引いた。
――ちょうど、ユージェニーたちが馬車で皇宮を後にした頃、皇室騎士団の団長室にも差し入れが届いた。
「なんだ? この桃は」
「こ、こちらはサレット侯爵令嬢からの差し入れだそうです……」
ユージェニーが団長であるドット公爵――ジョセフ団長に執心していることは社交界でも有名な話。
持って来た騎士は嫌な汗を額に浮かべ、おずおずと答えた。
「……そうか」
その桃をそのまま捨てるかと思いきや、ジョセフは受け取ると口に運んだ。
「甘いな。お前、恋人はいるか?」
「えっ? ああ、まぁ、はい」
「そうか。お前の恋人は、お前のことを好いているのだろう? どんな目で見つめてくるのだ?」
「どんなと仰られましても……熱い眼差しで、恥ずかしそうに身をよじったり……」
「身をよじる? 睨むような眼差しで、手が震えている……そういうものではないのか?」
「へっ? アハハハ、団長、それは愛情表現ではなくて、まるで嫌悪じゃありませんか!」
騎士の言葉に、感情を露わにしないジョセフの顔にわずかに不快の色が表れた。
「あ、あの、何か私がお気に障ることを申しましたでしょうか?」
「いや、ただ驚いているだけだ。もう、下がれ」
(やはり、今日の侯爵令嬢の態度は、私への拒絶。あれほど執心していたはずが、なぜだ? しかし、それでは私の計画が狂ってしまう)
ジョセフは桃をかじりながら、これから罠を仕掛ける捕食者のように、どこか愉し気な笑みを浮かべていた。
◇
今日は、マリーズにお茶会の相談をするため、クレマン伯爵家を訪れていた。
「そんなことがあったの? 大変だったわね。ジュール男爵令嬢のことだけど、グレイ卿の話は本当よ。ユージェニーは忘れているでしょうけどね」
「ううっ、やっぱりそうなのね。穴があったら入りたい気分だわ」
「まぁ、でも、私もダンの意見には賛成よ。私がお茶会を開いてあげるわ。ユージェニーがお茶会を開いても、警戒されて参加者が少ないかもしれないでしょう?」
「マリーズ、頼りにしてますぅ……って、ちょっと、今……私、失礼なこと言われなかった?」
「ふふん、細かいことは気にしないの。それより、ドット公爵様とロベル様の話の方が重要案件よ!」
「どういうこと?」
「ドット公爵様に直接謝罪したのは大きいわ。ロベル様との関係性を考えると余計にね。これからは、徐々にロベル様との距離を縮めていくのも悪くないわ」
「距離を縮めるって言っても……」
「まったく……今まで一方的に追いかけてばかりだったから、無理もないわね。ユージェニー、まだ始まったばかりでしょう? 今は、街を二人で散策するだけでも十分なのよ」
「それなら、私にもできそうだわ。公園の池のボートも乗ってみたかったし、街の露店も見てみたいわ」
(ロベル様と散策するところを思い浮かべるだけで楽しそうね……だけど)
一瞬、私の不安そうな表情にマリーズが気づいた。
「どうしたの? 何か他に、気になることでもあるの?」
「えっと……私のこの気持ちは、ちゃんとした恋なのかな? 今までドット公爵様に向けていた気持ちが、何だったのか、もう分からないの。恋と執着は違うの? どうやって恋に落ちるの?」
ふっとマリーズの顔が綻んだ。
「ユージェニー、答えは焦らなくてもいいから、ね。これから私たちは、政略結婚という義務を果さないといけないかもしれない。だけど、今は恋を楽しんで、ゆっくり答えをさがしましょう」
私はマリーズに思わず抱き付いた。
「やっぱり、大好き!」
こうして私たちの作戦会議は、この先の波乱を知らぬまま和やかに終えたのだった。
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