記憶の運び屋
紡月 巳希
第四章
記憶の地下道
カイトの「あなたの記憶の真実を、あなた自身で見届けて」という声が、暗闇の階段を駆け降りる私の背中を押した。木箱を抱きしめ、息を切らしながらひたすら下へ。足元は滑りやすく、どこまでも続くかのような螺旋階段に、私は軽い眩暈を覚えた。背後から聞こえる争いの音は次第に遠ざかり、代わりに、地下特有の湿った空気と、微かな水の流れる音が耳に届き始めた。
どれくらい降りただろうか。階段の先には、わずかな光が見えた。そこは、古い地下道だった。石造りの壁には苔が生え、天井からは水滴が落ちている。光は、道の奥から漏れているようで、どうやら人工的なもののようだった。
「ここが…別の場所へと通じる裏口…。」
私は囁いた。喫茶店「メメント・モリ」が、こんな地下道に繋がっているとは、想像もしていなかった。カイトは一体何者なのだろう。そして、この場所は…?
足元は土と小石が混じり、歩くたびにジャリジャリと音がする。私は慎重に奥へと進んだ。地下道の壁には、所々に古びた配管やケーブルが這っていた。まるで、かつて何らかの施設として使われていたような痕跡だ。
光が強くなるにつれ、私は道の突き当たりに大きな金属製の扉があるのを見つけた。その扉は古く、錆びついているが、上部には奇妙な紋様が刻まれており、中央には複数のコードが接続されたパネルが埋め込まれている。そして、扉の横には、小さなランプが点滅していた。微かな緑色の光が、私の進むべき道を指し示しているようだった。
私は扉に近づいた。カイトが私に託した木箱が、私の腕の中で微かに振動している。その振動が、まるで扉のパネルに呼応するかのように感じられた。私は意を決して、木箱をパネルに近づけた。
すると、点滅していたランプが、ゆっくりと青色に変わった。そして、パネルに接続されていたコードの一部が、まるで生きているかのように動き出し、紋様の中に吸い込まれていく。扉から、重く低い機械音が響き始めた。錆びついたギアがゆっくりと動き出すような、摩擦音。巨大な扉が、重々しく内側へ開いていく。
開かれた扉の向こうには、広い空間が広がっていた。そこは、地下にも関わらず、どこかSF映画に出てくるような、未来的な研究所のような雰囲気だった。白い壁と、天井から吊り下げられた複数のモニター。そして、中央には、いくつものガラスケースが並べられていた。そのケースの中には、まるで標本のように、無数の小さなクリスタルが浮かんでいた。
クリスタルは、それぞれが異なる色に輝いている。赤、青、緑、黄…そして、その中には、私が見たことのある、あの第一章でカイトが木箱の中に見せてくれたような、微かに青みがかったクリスタルも混じっていた。
私は息を呑んだ。このクリスタルの一つ一つが、記憶なのだろうか。誰かの、失われた記憶。あるいは、盗まれた記憶。
「アオイさん、その先へは進まない方がいい。」
その時、背後から突然、声が聞こえた。振り返ると、そこには誰もいない。しかし、その声は、私の頭の中に直接響いてくるような感覚だった。女性の声だ。どこかで聞いたことがあるような、しかし思い出せない。
「ここには、触れてはならない記憶がある。あなたを苦しめる、真のノイズが…。」
私は周囲を見渡したが、やはり誰もいない。一体、誰が、どこから話しかけているのだろう。
「誰…?どこにいるんですか?」
私の問いかけに、声は答えない。しかし、頭の中に、さらに別の声が響き始めた。
複数の、男女の声が、同時に、囁くように私の意識を侵食しようとする。まるで、この空間にあるクリスタルの一つ一つから、記憶の声が漏れ出しているかのように。
『…消せ…』
『…隠蔽しろ…』
『…見つけるな…』
その声は、アオイの幼い頃の記憶に混じっていた「ノイズ」に酷似していた。私は頭を抱えた。この声が、私の記憶の混乱の原因だったのか?そして、この場所が、その「盗まれた記憶」の源なのだろうか。
混乱する私の意識の中で、カイトが私に託した木箱が、さらに強く振動し始めた。その振動は、私の頭の中に響く声と共鳴し、クリスタルの輝きが一段と増す。私は、この場所が、ただの研究所ではないことを悟った。こここそが、記憶が盗まれ、操作される、闇の中心なのだ。
記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel
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