第2話 小園の兄



 佐竹伊織は、旗本の家柄に生れた三男坊である。

 長い間、冷飯ひやめしだったが、一年ほど前に、同じく旗本である叔父の家に養子に入った。

 叔父の役職は目付役で、その職を継ぐと同時に広一郎から伊織と改名した。

 目付は、若年寄に属し、旗本・御家人の行動を監視する役であるが、まだ、二十三歳の伊織は若輩でしかなく、先輩に叱られる日々であった。

 しかし、堅苦しく真面目な役職は、伊織の性分に合っていた。


 毎日、登城し、四角四面の生活を過ごしていると、じょじょに冷酷になっていく自分自身を冷ややかな気持ちで見ていた。

 そんな時、辰之助が帰って来た。

 辰之助を見た途端、心を大きく揺さぶられた。

 今までの自分は一体なんだったのだろう。


 立ち止まっていた伊織は深呼吸をして再び歩き始めた。

 辰之助の姿を思いだすと、顔が熱くなる。

 ずいぶん成長して帰って来たなと思う。体付きもがっしりしていて上背もあり、昔から見目はよかったが、筋肉がついた分、一層精悍に見えた。

 江戸へ行く前は、何か思うことがあるのか思い詰めた顔ばかりだったのに、三年ぶりにあった彼は幼い頃のような無邪気な笑顔で話しかけてくれた。


 笑顔で迎えることができなかった自分に臍を噛む。

 幼い頃からずっと好きだった。

 思いを隠すために友だちのふりをしていたのに。

 黙って江戸へ旅立たれたとき、自分の気持ちを見透かされ、嫌がられたのではないかと恐怖に駆られた。

 そんな暗い日々に、谷村たにむら小園こそのと出会った。


 小園は、一年前に婚約をした谷村家の次女である。しかし、小園は二十歳になる前に流行り病で死んでしまった。

 見合いをした時から、小園は伊織の気持ちを見抜いていた。見抜かれたときは恥ずかしくて縁談を断る事も考えたが、落ち込んでいた伊織を慰めてくれたのは彼女だった。




 小園が眠る菩提寺に着いた頃には、あたりは薄暗くなっていた。

 風が吹くたびにススキが揺れている。

 閼伽桶あかおけに水を汲み、しきみに水をあげてから、墓の前で手を合わせた。

 辺りは自分の手も見えないほどに暗くなっていたが、かまわずに目を閉じた。

 辰之助が、小園の話を持ち出したときには驚いた。


 儚い命だった。

 小園が亡くなる寸前、彼女と約束をした。

 彼女の秘密を生涯、誰にも話さない。そして、小園の事は忘れない。月命日には必ず墓参りをする。

 だから、友だちの平井ですらも、縁談の話は何も知らない。


 ひとしきり拝んでから身を起こしたとき、後ろで影が動いた。刀の柄に手を伸ばし暗闇に溶け込んでいる人影に目をやる。


「拙者だ、伊織」


 聞き覚えのある声に刀から手を離した。

 のっそりと現れたのは、中間に提灯を持たせて明かりに照らされた小園の兄、谷村たにむら孫四郎まごしろうだった。


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