君を数える

はるこ

第1話

 一颯いぶき、ふられたんだって? ウケる。

 大学の食堂の窓際の席で遅めのお昼にありつこうと、箸を手に取りかけた瞬間、そんな姉からの連絡と、高校三年のときのクラスのグループチャットが同時にスマホの通知を鳴らした。

 姉からの連絡には即レス・即対応が鉄則として身に付いているので、反射的にそっちを開く。

《いつの話?》

 とりあえず直近でふられたりしていないのでとんだ風評被害だった。スマホを睨んでついつい眉間にしわが寄った。

《え? ふられてないの?》

《ないです。暇かよ社会人》

 働いているにもかかわらず、昼下がりにこのどうでもいい連絡である。それに、ふられるどころか付き合っても告白してもいなかった。色恋沙汰からは夏以来、もう半年遠ざかっている。ファミレスの水の氷がからんと鳴った音が蘇った。テーブルにたっぷりと膨らんだグラス下の水の輪も。暑くて日差しが強い日だった。ボックス席の目の前に座った彼女が、もはや開き直ったかのように顔を上げて口を開く――「吉井くんって、」

《なんだ。勘違いか。面白いネタ掴んだと思ったのに》

 始まりかけた回想を姉の返信が遮ってくれた。危うく思い出すところだった。あの、いまだにどこか消化しきれていない別れの言葉。

《あ、それか、いつの話ってことはちょっと前なのか》

 妙に鋭い追撃をかわすべく、質問で返した。

《どこ情報だよ》

《決まってるじゃん、一颯の親友♡ だよ。私のしもべ二号》

 踊るハートがうさんくさい。わざわざ聞かないが一号は自分のことに違いなかった。

《あいつの言うこと信じなくていいから》

 ったく、とその親友と言われた男――梨本なしもと恭平きょうへいのトーク画面を開こうとして、先程一度スルーしていた高校のグループチャットの未読が十件になっていたのに気づく。なんだ? と思った瞬間、さらに会話が飛び込んだ。

《なんかそこにさ、うちらの代の卒アルがあったらしいよ》

 そこに、というのがなんとなく気になってトークを開き、会話の最初に遡った。目の前のとろとろたまごたっぷりのチキンカツ丼を大きめの一口ぶん持ち上げて、口に運びながら眺める。

《聞いた? 昨日学校に警察来たんだって》

《学校って、うちの高校?》

 いきなりの物騒な始まりに少々面食らいつつ、箸で次の一口を掬う。

《そう》

《やば、ウケる。誰かなんかしたのかな。事件?》

《あ、それ私も聞いた、部活の後輩からこれ送られてきたもん》

 数枚届いた写真は学校に入っていく警察官二人の後ろ姿だった。焦って撮ったのかちょっとブレている。

「マジだ」

 ごくんと米を飲み込んだ。都内のそこそこの進学校だ。特に面白いことも事件もない平和そのものみたいな高校だったので、警察官が来たというだけでもニュースには間違いなかった。よく見ると、警察官が入ろうとしている昇降口のガラスの奥、暗めに写った室内には、二人を案内しようとしているのか、副校長の姿があった。

《なんでかは不明なん?》

《それがさ、一週間くらい前、多摩川で小さなボヤ騒ぎ? かなんかがあったらしいんだけど》

 ここで最新のメッセージに戻った。

《なんかそこにさ、うちらの代の卒アルがあったらしいよ》

 ――ん? とつい目を留める。

《別の先生んとこ呼び出されてた現役生が、校長室からちょっと漏れてくる会話聞いたらしくてあんま他は聞こえなかったんだって》

《え? どういうこと? うちらの卒アル?》

《そー。五七期って》

 まぎれもなく自分たちの学年だった。米と肉をかきこむ手が鈍る。食べている最中だというのに、体が冷えるような気がした。卒アル自体はどうだっていい。もらったきり仕舞い込んでろくに見てもいなかった。だけど――。

 ――誰かが燃やそうとした?

 そう考えたとき、チャットでも同じ会話になる。

《えーこわ。誰かが燃やしたってこと?》

《え、やば。恨まれてる人でもいんの?》

《てか、持ってるのって基本うちらだけだよね?》

《じゃあ自分のってことじゃん? 捨てただけとか》

《えー、でも捨てるならゴミでいいじゃん》

 序盤では要点が掴めていなかった人も興味を惹かれたのか会話の速度が上がり、スタンプだけの投下もされて、あっという間に画面が流れていく。だが、誰も答えを出せはしなかった。とりあえずチキンカツ丼をかき込みながら眺めていると、突然話題が切り替わった。

《てか、来月同窓会するんでしょ? そこで何かわかるんじゃん?》

《そうじゃん。吉井、会場押さえた?》

 ごほ、と咳き込んで、一颯はスマホを掴んだ。

 わかってるって、今日下見行くから。

 そう打ち込んで送る。なぜかいつもこういう仕事が回ってくるのだ。なぜかというか、クラスの女子たちに「吉井でいーじゃん」と思われているからだけど。

 最後のひと口を飲み込んで、一緒に買っていたペットボトルのウーロン茶を煽った。

《素敵な店頼みまーす♡》

《おしゃれなとこね!》

 高校時代いわゆる一軍だった女子たちから身勝手な要望が送られてくる。はいはい、と苦笑いしつつ、立ち上がって丼を載せたトレイを運ぶ。開きっぱなしの食堂のドアから、二月にしては軽やかな風が吹き抜けた。

 

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