第35話 シチョウセイからの刺客


 アイチ達が遅い夕食を取り始めるのとほぼ同時刻、イーストパシフィック号は最初の駅へと到着した。

 エンドシティより人の多い町ではあるが、汽車を利用しようという人間で、わざわざ世代遅れのイーストパシフィック号に乗車しようという人間は少ない。急ぎの用事があったとしても、近場なら乗り合い馬車の方が安上がりで、長距離なら一日待っても別の汽車に乗った方が結果的に早く到着するからだ。


 それでも例外は存在する。

 食堂でアイチ達を相手に給仕の手伝いをした後、車掌のワイアットは本日最後の乗客を出迎える為に駅へと飛び出していった。


「ようこそ、イーストパシフィック号へ。本日はご利用、まことにありがとうございます」


 丁寧に丁寧に、誠心誠意の心構えでワイアットは頭を下げた。

 出迎えた乗客は三人組。一人は中肉中背で綺麗に整えた口髭を蓄えた中年男性で、皺一つない黒のスーツに蝶ネクタイを結んだ紳士風の人物。引き連れるように後から続く二人組は、揃いのロングコートを身に着けているだけで、取り立てて特徴は無いが何とも言えない不気味な雰囲気を纏っていた。

 ワイアットもその事に気づいてはいたが、態度には出さず笑顔で一行を出迎える。


「自分が当汽車の車掌を務めますワイアットで御座います。本日のご利用、まことに感謝しますぞ」


 そう言いながら握手を求めるワイアットの手を、髭の男性はチラッと一瞥する。

 差し出された手を直ぐには握らず、肘を曲げながら手を上にして両脇に突き出すと、控えていた男達は懐からスプレーのような物を取り出し手に噴霧し、指先まで綺麗にハンカチで拭った。ツンと鼻に届く刺激臭は、スプレーの中身が消毒液だという事を知らせる。

 そして改めてワイアットの握手に応じた。


「よろしく頼むよ、車掌」

「あ、ああ、これはこれは、ご丁寧に……綺麗好き、なのですね」

「紳士たる者、身嗜みは当然ではあるが、真の紳士は自身のみならず他者への清潔にまで気を使うモノなのだよ。それはとてもとても、グロリアスな行為だと思わないかい?」

「え、ええ。素晴らしいお考えです……えっと、お名前を伺っても?」


 見た目以上にがっしりと力強い感触と、普通の会話なのに妙に語気が強い声色に、ワイアットは戸惑い気味に問う。


「おっと、名乗られたのにも関わらず、名乗らないのは紳士にあるまじき行為だった」


 大仰に言いながら一歩後ろに下がり、男は胸に手を当てて優雅に一礼する。


「吾輩の名はグロリアス。大陸で一番の紳士で、グロリアスな男」

「は、はぁ……グロリアス、ですか」


 独特なノリに思わずワイアットも目を丸くする。佇まいは確かに名乗った通り紳士風ではあるが、握手の際の無駄な力強さや声の圧の強さなど、隠し切れない粗暴さが感じ取れてしまう。車掌として色々な乗客を見て来た経験から、おくびにも態度には出さなかったが、厄介な乗客が乗ってきてしまったと、内心では恐々としていた。


 だが、受け取ったチケットは一等客室。つまり彼らは上客だ。

 風邪っぴきの少年だろうと明らかに怪しげな紳士風の無法者だろうと、零細企業のイーストパシフィック社には金の生る木。ご機嫌を損ねるわけにはいかない。


「それでは僭越ながら私が客室までご案内しましょう。お荷物をお持ちしましょうか?」

「いいや、結構。だが、気が利くな車掌。実にグロリアス」

「ありがとうございます、えっへっへ。ささ、足元にお気を付けください」


 ワイアットが腰を低くして先導すると、腰の後ろに両手を回したグロリアスが、分厚い胸板を強調するように張りながら続いた。


「時に車掌、食事はまだ出来るのかな?」

「おや、夕食はお済みでは無いのですか」

「仕事が立て込んでいたのもあるが、折角の汽車での旅行だ。食事はゆっくりと食堂車で、グロリアスに楽しみたいと思っていたのだよ」

「左様ですか。それならばご安心を、ラストオーダーにはまだ時間がありますので、お酒もじっくり楽しめますよ、ミスターグロリアス」

「それはグロリアス」

「ええ、グロリアスグロリアス」


 軽妙なワイアットの口調も相まって、何とも奇妙な会話が停止した汽車の通路に流れる。

 車掌のノリの良さには、後ろを歩く二人の男達も困惑した顔を見合わせていた。


★☆★☆★


 同時刻。アイチの一等客室。

 アイチ達が食事とスペシャルチョコバナナクレープパフェを楽しんでいるであろう頃、無人の筈の客室には闖入者の姿があった。


 闖入者は二人組の男。もう一組の一等客室の乗客だ。

 ドアには鍵がかかっていたので、部屋を間違えたという事はあり得ない。彼らは備え付けの棚の中やアンジェリカが置いていったリュックの中などを、何かを探すように漁っていた。物盗りの割りには探し方は丁寧で、気取られるような痕跡を残さないよう配慮しているようにも見える上、取り出した金目の物を懐に入れる仕草すら見られない。

 それでもアンジェリカが持ち歩いているアレには驚きが隠せなかった。


「こ、こいつら、大量の金塊なんか持ってやがる……ってか、こんなに持ち歩いたら重いだろう」

「おい。余計な物に目をくれるな」


 金塊を手に取る男を、ベッドの下を調べていたもう一人の男が窘めた。


「オジキからは荒らすような真似はするなというお達しだ。盗みに入った事がバレて騒ぎになってみろ、指を詰めるだけじゃ済まないぞ。間違っても妙な欲を出すなよ、俺までとばっちりは御免だからな」

「わかってるって。ちょっと重さを楽しんだだけだ」


 睨みつけられた男は肩を竦めてから、金塊をリュックの中へと戻した。

 明らかな家探しなのだが、元よりアイチ達が持ち込んだ荷物は少ない。痕跡を残さないよう慎重に探し回ったとしても数分とかからず、男達は直ぐに全てを探し尽くしてしまったが、目的の物が見つからなかったのか、互いの顔を見合わせ首を左右に振っていた。


「見つからないな。部屋には置いて無いって事か?」

「そう大きい物では無いからな。もしかして、持ち歩いているのかもしれん」

「チッ。って事は無駄足じゃないか」


 舌打ちを鳴らしながら男は上着の内ポケットに手を突っ込むが。


「おい、煙草は止めろ。部屋に臭いが残る」

「……了解」


 もう一度、舌打ちを鳴らした男は、イラつくように室内を何の気なく見回す。


「それにしても、古臭い客室だぜ」


 イーストパシフィック号は古い汽車だけあって、内装もクラシカルと言えば聞こえは良いが、要するに世代遅れの作りをしている。会社にお金が無いので、機体の整備に精一杯で内部の改装にまで手が回らないのが理由だ。

 綺麗に磨かれているが、細かい傷や塗装の剥げが目立つ収納棚の上には、客室には不釣り合いな物が置かれていた。

 目立つそれに男の視線が注がれる。


「人形か。派手に着飾って客室に置いておくなんて、ガキ臭い連中だぜ」

「女子供の二人組だ、お似合いじゃないか」

「そう考えると、これから殺されるかもしれないのは、可哀想な話だな」

「仕方があるまい。シチョウセイに目を付けられたんだ、逆を言えば殺されない方が不幸な末路を辿る事になる」

「確かにそうだな」


 くくっと、含み笑いを貰いながら特に理由無く人形に手を伸ばした。

 手が人形に触れる寸前、閉ざされていた瞳がカッと見開いた。


「お触りは厳禁よ」

「――なっ!?」


 驚いて反射的に手を引く男。同時に収納棚の上に座って気取られないよう、動かない人形のフリをしていたジゼルは素早く正面に跳躍、驚愕に表情を崩す男の顎を細い足で蹴り上げた。


「な、何事……ぐわっ!?」


 突然、相棒が人形に蹴り倒された事に動揺するもう一人の男に、状況を理解する間も与えず、気絶して仰向けに倒れようとする男の胸板を踏み台にして、ジゼルは霧のような魔力粒子を噴出して加速、高速スピンによる遠心力を乗せた蹴りで驚きに止まる男の側頭部に蹴りを叩き込んだ。

 鋭い蹴りの一撃は簡単に男の意識を刈り取り、二人は仰向けと横向きの態勢で床の上に倒れ白目を剥いた。

 魔力粒子を翼のように羽ばたかせながら、ジゼルはふわっと床の上に着地する。


「やれやれ。ただの物盗りかと思ってましたが、中々にいわくつき悪漢共でしたか」


 首を左右に巡らせて気絶している二人に視線を捲る。

 それぞれ旅人を装った普通の服装をしているが、注意して見てみれば腰に護身用と語るには大振りなナイフを身に着けている。部屋を漁っていた際の動きも無駄が無く、ただの食い詰め者の盗賊や無法者の類では無かった。

 何よりも彼らが口にした気になる名称だ。


「シチョウセイ。何かしらの組織名なのは、間違い無いでしょうね」


 呟きながら既に動き出している汽車の振動で、ジゼルの身体はゆらゆらと揺れる。

 彼らの言動から無作為に盗みに入った訳では無く、何かしらの目的があった事が推測される。金塊では無い事から金目の物では無い事と、この部屋には置いていなかった事から、ジゼルは直ぐに彼らが何を狙っていたのかを察する。


「罪石。まさか、アレを狙っていると言うの?」


 金塊以外で、目的があって盗もうと思えるのはアレしか存在しない。

 ただ、疑問もある。


「けれど、彼らは何処からその情報を?」


 罪石がアイチ達の手にあるのは偶然の産物な上、彼ら自身も憂鬱のメランコリックから聞くまでは存在を知らなかった。そもそも罪石には宝石のような金銭的価値は皆無な上、ある種類の才能が無ければガラス球に等しい。

 罪石の存在と価値を知っていて、手に入れようとする人間がいるとすればそれは。


「……シチョウセイは、枢要罪のグループ、という事かしら」


 よほど酔狂な好事家でも無い限り、それ以外の答えはあり得ないだろう。

 会話から察するに他にも仲間が居るらしい。この程度の相手ならば、何人いてもアイチならば一蹴できるだろうが、気になるのは『オジキ』と呼んでいた人物。オジキというのがどのような意味を宿すのかはわからないが、二人より格上なのは会話から理解できた。


「その人が枢要罪なのかその下僕なのか、判断するのは難しいけれど、足手まといを二人連れたマスターでは心配ね」


 その上、今のアイチは病気の身。足元もおぼつかないのに、まともな戦いになるとは思えない。表面上は平静を装いながらも、ジゼルの胸の奥、心臓の位置にある歯車がカチカチと不協和音を奏でた。


「……わたくしのマスターを傷つけたら、許さないんだから」


 誰にも聞こえない音量で呟いて軽やかに、けれども急く速度でその場を後にする。


★☆★☆★


「馳走に、なりました……げふっ」


 両手を合わせて一礼しながら、若干の胸焼けに口元を押さえる。正面には僅かに生クリームを付着させ、空になった大き目のグラスと温かいココアが注がれたカップ、それと同じく空っぽのスープ皿が置かれていた。

 隣に座る一足先に食べ終えていたアンジェリカは、頬杖を突いた態勢で呆れ顔を向ける。


「無理して全部、食べる事は無かったんじゃないの? 顔色、ちょっと悪くなってるわよ」

「そうだぜアイっちゃん。滋養の為に無理して詰め込んだのに、後で吐き出しちまったら本末転倒じゃんか」

「吐きゃしませんよ、もったいない……ずずっ」


 込み上げる吐き気をココアで無理矢理流しつつ、アイチは脱力するよう背もたれに体重を預けた。アンジェリカも砂糖を多めに入れた甘い紅茶を一口含んでから、テーブルの上に用意してあった袋から、紙に包まれた粉薬を取り出して、丁寧に開いてからアイチの手首を取り持たせる。


「お腹いっぱいになったところで、ほらお薬。ちゃんと飲まないと」

「……粉薬は、あまり得意じゃないんですけどねぇ」

「あっそ」


 微妙に渋る態度にアンジェリカは、額と後頭部を掴んで上を向かせ鼻を摘む。


「むぐぐ……ぷはっ!」

「ホランド、薬」

「はいはい、我慢してくれよぉアイっちゃん」


 呼吸が出来ず口を開いたら、透かさずテーブルの上に身を乗り出したホランドが、手の平の上に乗せられた粉薬を取り、開けっ放しの口内にサラサラと流し込んだ。

 細かい粒子が吸い込む息と共に喉へと張り付き、粘膜から水分を急速に奪っていく。同時に舌部分にも付着した粉薬が、何とも言えない独特の苦みを生み出す。


「はい、白湯。ゆっくり流し込むから慌てちゃダメよ」

「んぐっんぐっんぐっ……」


 鼻を摘んでいた指を離してから、薬を飲む為に用意して貰ったカップの白湯で、アイチの口内に溜まった粉薬を流し込んだ。粉薬の苦味は口内に一瞬広がるが、飲み易い温度の白湯のおかげで一気に飲む干す事が出来た。

 鼻から抜ける息に僅かな薬臭さを感じながら、アイチは唇の水滴を親指で拭う。


「……ふぅ、やれやれ。粉薬ってのは、何度飲んでも慣れませんね」

「そんなに不味いモンなのかい? オレっちってば粉薬を飲んだ事も無ければ、風邪を引いた事も無いモンでよ。ほら、馬鹿は風邪ひかないってやつ?」

「風邪を引いてても気づかないだけですよ、馬鹿だから」

「……自虐のギャグをマジで返すのは止めてくれよ、傷付くから」

「はいはい。盛り上がってるところ悪いけど、そろそろ客室に戻りましょ。熱もちょっと上がってきてるみたいだし、いつまでも放っておいたらジゼルの奴が拗ねて面倒臭いから」


 直接、口に出して文句は言わないだろうが、戻るのが遅くなれば遅くなるほど、アイチ達に向けられる態度は刺々しいモノになるのだろう。寂しさの裏返しだと考えれば可愛げがあるのだろうが、ジゼルの棘の鋭さを向けられる者にとってはたまらない。


 それを一番に向けられるのはアイチなので、辟易しつつも気怠い身体を持ち上げる。


「そうですね、けほ。食うだけ食って寝るだけと、たまの贅沢だと思い込みましょう」

「そうかい。俺っちはもうちょっとここに居るぜ。ここからは大人の時間だ」

「どうせ酒でしょ」


 同じく立ち上がるアンジェリカはジト目を向ける。


「飲み過ぎて酒代払えなくても、建て替えたりはしないからね」

「んなにガバガバ飲まねぇって。寝酒だよ、寝酒」


 楽しげに鼻を鳴らしながら、メニューを再び開き始めるホランドを尻目に、アンジェリカは既にふらふらのアイチの杖を引き客室のある車両の前方へと歩く。食事代は下車する時にまとめて清算するので、この場で払う必要は無いから安心だ。


「……けほ?」


 不意に妙な気配を感じてアイチは足を止めた。


「どうかした? もしかして気分が悪いとか……」

「いや、けほ、気分はずっと悪いですけど……アンジェリカさん」


 少しだけ神妙な口調でアイチは見えぬ視界で顔を巡らせる。


「近くに、妙な人間がいやしませんか?」

「妙な人間?」


 言われてアンジェリカも車両内を見回すが。


「……別に、怪しげな人はいないわね。お爺さんが一人でお粥を食べてるくらい」

「そう、ですか」


 気の所為だったのだろうかと、アイチは腑に落ちない顔で首を傾げる。


「すみません、けほ。戻りましょう」


 怪訝な表情のアンジェリカを促がし、二人は食堂車を出ようとドアに近づく。立ち止まってアンジェリカが手をかける直前、反対側から来た乗客がドアを開いた。ガラガラと音を立ててスライド式のドアが横開き、アンジェリカは反射的に邪魔にならないよう、横に避けて人が通れる隙間を空ける。


 瞬間、アンジェリカの肩が掴まれ、思い切り後ろへと引っ張られた。

 入れ替わるように踏み出したのはアイチ。直前までのぶっ倒れそうな雰囲気から一転、殺気混じりの俊敏な動きで前に出ると、開きっぱなしのドア目掛けて逆手に抜刀した仕込み杖の一撃を放った。


 飛び散ったのは輝く粒子と花火に似た弾ける派手な音。

 ドアの向こう側に居たのは、放たれた斬撃を素手で受け止めた髭面の男だった。


「失敬。不愉快な気配を感じてしまったのでつい手が出てしまった。謹んで謝罪させて頂こう」

「謝罪なんて不要ですよ。先手必勝ってのは、喧嘩の定石じゃないですかい」


 言いながら握った仕込み杖に力を込めるが、皮膚に触れた刃が通る手応えは無い。


「アンタ、何者だ? 明確にこっちを狙っておいて、まさか名乗らないって事は無いだろう」

「ぐふふ。ならば超一流の男として名乗らせて頂こう」


 膠着状態を維持したまま男は大きく息を吸い込む。


「俺様はこの大陸で一番グローリアスな男、グロリアス。またの名を……ふん!」


 押し返すように受け止めていた刃を弾き、アイチはバックステップで距離を取りながら男を警戒するよう逆手で仕込み杖を構える。

 広い場所を確保するように数歩進み出てから、両腕を横に広げて天を仰ぐ。


「虚飾のグロリアス! 枢要罪にしてシチョウセイの若頭補佐を務める超一流の紳士だ」


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