虚話異談

殻艸(殻頭)

そんなでかいサナギはいない

「ズミくん」という若い友人がいる。

  共通の趣味持つ者同士の集まりでよく顔を合わせる青年だ。

 大学生の彼とは相当に歳も離れているので、面と向かって話したことがあまりなかったが、先日あるイベント帰りに話をする機会を得た。これはその時に聞いたばかりの話だ。


 ズミくんは私たちの集まりの趣味とは別に、虫が好きらしい。

 世間では虫に強い嫌悪を抱く人も少なくない。だからズミくんはあまり公言していなかったが、偶々そのことを知った大学の友達から相談を受けたのだという。

 それはその友達が撮ったという、スマホの写真に関することだった。

 ズミくんがまず見せられたその写真には、未舗装の道端で撮られた、白と黒の斑模様のネコが写っていた。夕刻なのか薄暗い。ネコの背後には藪と低い柵があって、その奥は木々が茂ってさらに暗い。

 散歩中に見かけたネコを追いかけて、自然公園や雑木林がある区域に入り込んだ時に撮ったものだという。

 どう見ても、画面の大半が暗く判然としない中に、ぼんやり写ったネコがいるだけだった。これだけでは虫がどう関係するのかわからない。ズミくんは説明を待った。

 一旦スマホを手元に戻した友達は「ネコをはっきりさせたくて、明るくした時に気付いたんだ」と、加工済みの写真に切り替えて、少し拡大してみせた。

「こんな虫、いるかな?」

 ネコの背後にあたる写真中央の奥は木々が開けていて、最初の画像ではそこに四角い何かがある以上には判別できなかったが、それが平屋の建物であることがわかった。おそらくプレハブ小屋の資材倉庫か何かだろう。

 何の変哲もない、簡素な建物だった。

 その端に、突起のようなものが付いていることを除いては。

 右手側面の壁から斜めに、生えているというか、ぶら下がっているというか。

 船形の尻を、もしくはひし形の下部を引き延ばしたような形のものが、下端の先を壁につけて、仰け反るような姿勢で斜めに伸びて天を向いている。

 ズミくんはそういうことかと納得した。

 露出を上げてもシルエットのままで判然としないが、ズミくんはその形と姿勢から蝶のサナギを連想した。というか、それより似たものを思い浮ばなかった。

 友達もそうだったのだろう。だからズミくんに訊いてきたのだった。

 とはいえ、建物との比較から考えれば、このサナギ型の突起は1メートルは優に超えている。

「こんなでかいサナギはいないよ」

 ズミくんはそう言うしかなかった。

 サナギに限らず、そんな巨大な虫はいない。史上最大と言われる古代の昆虫、メガネウラでも70センチ級だ。

「でもそれにしか見えなくない? 気になって仕方なくて」

「サナギだったらとっくに大騒ぎだよ。化け物じゃん。いつ撮ったの?」

「一昨日。でもこの道、あんま人通らなそうだし、まだ気づかれてないのかもよ」

「明るいうちに見てくれば終わる話じゃん。近所なんでしょ?」

「2駅分くらい距離あるんだけど」

「近いじゃんか。行け」

「でも本当に虫だったらイヤすぎるよ。ねえ、虫が好きなら平気でしょ。なんか奢るからさ」

「ええー?」

 要は自分の代わりに見に行けと言うのだ。

 ズミくんはちょっとだけうだうだと言って一応の抵抗はしてみた。とはいえ、シルエットの正体は気になった。このまま拒否したら本人含めて誰も確認しないまま終わりそうだ。それもモヤモヤする。

 結局、ちょうど次の日は受ける講義もなかったので、当の画像と場所の詳細を送ってもらい、確かめに行くことにした。

 そこは緑濃い木立の中を貫く、まっすぐな小道だった。たしかに人気はない。昼間通る分には気持ちの良い散歩道になるけども、街灯がないので日が暮れたらあまり利用したい道ではなかった。ネコに導かれたとはいえよく入る気になったものだなとズミくんは呆れた。

 とはいえ、問題の場所は市道から入ってすぐのところにあった。さすがに三日も四日も人の目が入らないとは思えなかった。

 藪と柵の向こうに、たしかに倉庫はあった。例の写真と比較しても、ここで間違いなかった。

 写真には、その倉庫にサナギ型の突起が付いている。

 しかし一方、目の前の倉庫には何も無かった。

 抜け殻のようなものも見当たらない。飾り気のない四角い倉庫があるだけだった。ここから倉庫まで視界を塞ぐものはない。手前のものが重なって見えたという線もなさそうだった。

 もちろんサナギということはないにしても、何かはあるだろうと思っていたズミくんは肩透かしを食らった。

 写真を撮った時にはあった何かが、今日までの間に撤去されていたとしたら確かめようもない。空振りの可能性に気を落としながらズミくんは藪に足を入れ、柵に手をかけてできるだけ近寄って倉庫に何か手がかりが残っていないかと眺めまわした。

 そうして、覗き込まなければ見えなかった倉庫の足元に、あるものを見つけた。

 大きさも形もサナギとは似ても似つかないそれを見て、ズミくんはイヤな予感がした。

 友達への報告のために一応元画像のアングルに寄せた写真を撮り、早々に立ち去ることにした。

 そうして元来た道を戻ろうと踵を返した時。

 市道の方からこちらに歩いてくる人に気づいた。

 五、六十代の女性だ。服装からしてウォーキングの最中だと思われた。なら近所に住む人だろう。

 ズミくんが柵に近寄って倉庫を眺めていたところを見られていたはずだ。そのことに少しの気まずさはあったものの、道端で虫を見つけると躊躇なく写真を撮ることもあるズミくんは、こういうのを取り繕い慣れていた。平然とした態度でスマホ確認するようなそぶりをしたり足を払ったりしてやりすごす。

 それでも多少は警戒されても仕方がないなと思っていたが、意外にも彼女から不審そうに見られている様子がうかがえない。でも非常に気にはなっている様子で、何か言いたげにしきりにこちらを見ている。ズミくんと、倉庫を。

 彼女からは警戒よりも勝っている感情を感じた。

「……あのスイマセン。あれって」

 ズミくんは思い切って声をかけてみた。

 倉庫の方を指す。

「あそこにあるの……お花ですよね」

 それだけ言うと、彼女は何も問い返すことなく「ああ、あれねー」と応えるや、ズミくんが二の句を継ぐ間もなく滔々としゃべりはじめた。

 彼女の話は、おおよそズミくんが抱いた予感どおりのものだった。

 倉庫に置かれているもの。それは花束だった。

 そこで首を吊った人がいたのだという。花束はそのために手向けられたのだ。

 身元については彼女は知らないようだった。少なくとも地元の人間ではないらしかった。

「それが本当に酷くてねえ」

 嫌そうな顔をしつつ、彼女はこちらが聞いてもいないのにその「酷い」現場について説明をした。

「たぶん、すぐには死ねなくて、相当苦しんだんでしょうね。苦しくて、軒に吊った縄をこう掴んで、足をのばして壁に掛けてたって話よ」

 と言いながら、両手を頭の上にあげて何かを掴むようなポーズをとって、足も探るように上げて現場を再現してみせた。

「何とか助かろうとしたんでしょうね。でも、壁に掛けた足がどこかに引っかかってしまって、逆に身動きが取れなくなっちゃったみたいなの。それで結局そのまま死んじゃったみたい。すごい顔してて、手なんかものすごく力が入ってて縄から引きはがすのが大変だったんですって。よっぽど苦しかったんでしょうねえ……」

 彼女は心から同情するようにそう言っていたという。

 別れ際、最後にズミくんは尋ねた。確かめたくはなかったが、確かめるしかなかった。

「それっていつの話ですか」

「一昨日よ。朝、犬の散歩をしてた人が見つけたんですって」


 ズミくんはここまで話しきると、私の反応を確かめるようにしばらく黙って、やがて、

「この後、友達にこの顛末を報告しなきゃいけないんです」と、何とも言えない表情で言った。


                ***


――「聞いた話」としてはここまでなのだが。

 この話、というか私とズミくんのやりとりはまだ続きがある。

 ファミレスで向かい合わせに座って、一通り話し終えたズミくんに、私はなんと返そうかと悩んだ。

 気の毒なことだと思うし、嫌な話だとも思う。

 でも正直なところ、少々腑に落ちないところがあった。

 そのことを言うかどうか迷ったのだった。

 疑問点を確認するには、あることをしなければならないからだ。

 黙っている私を見て、ズミくんは言った。

「……見ます? 写真」

 写真とはもちろん、サナギの写真――つまりはそれとは知らずに撮った首吊り現場の写真だ。

 悪趣味ともいえる提案だったが、それはまさに私が言い出そうか迷っていたことだった。

 当然のことだが、すすんで見たいものじゃない。ズミくんは私が見たがっていると誤解しているのかもしれないと思いつつ、そのことをわざわざ言うのも逆に言い訳じみて見える気がして言わなかった。それに行きがかり上、確かめないと話は進まない。私は承諾するほかなかった。

 ズミくんはスマホではなくタブレットを取り出した。予想外に大きな画面で見ることに怯みながら「スマホからわざわざ移したの?」と聞く私にかまわず、例の画像を表示させてから渡してきた。

 そこには、私が概ね想像していた通りのものが写っていた。

 暗がりの中にたしかに蝶のサナギとしか見えないシルエットがあった。

 それだけに、疑念は確信になった。

 話の整合性をとれば、これは痛ましい自殺者の姿ということになる。

 でも。

 ズミくんが通りがかった女性から聞いた話によれば、軒に吊るしたロープに首をかけた状態から、苦しさに耐えかねてロープを掴み、さらに壁に足を掛けた姿で亡くなったらしい。それを横から見れば、たしかに蝶のサナギのようなポーズにはなる。けれども、こうもサナギらしいシルエットになるものだろうか。まずもって上半身の身幅がありすぎる。

 無意識に同じポーズをとって確かめている私を見て、ズミくんは苦笑いをした。

「やっぱり変だと思いますよね」

 ズミくんは私の疑念を察して言った。

 そう、変だ。

 でも、ありえなくはなかった。

「こう」見える状態は、ありえる。自分でポーズを取ってみてなおさら思った。

 ありえるが。

 それは多少無理がある形だ。そしてより嫌な形だ。

 しかし幸いなことに、この画像では暗すぎて、大写しにしてもその実態を確認できそうになかった。

 多少モヤモヤは残るけれど、少なからずほっとしている私に、ズミくんはまたとんでもないことを言い放った。

「あんまりやりたくなかったんですけど、実はフォトショで改めて調整してみたんですよ」

 この時、わりとデカい声で「はあ?」と言ったと思う。

 フォトショならスマホのアプリ以上の画像調整ができる。そのためにタブレットに写真を移したのだとズミくんは言った。

「それがあるならはじめからそうしろって話ですけど」と付け加えるが、そんな余計なことをするなというのが偽らざる気持ちだった。

 そこからズミくんは沈黙した。

 今度こそは「見ますか」と気安く言えないようだった。

 それはつまり、フォトショが期待に応え、何かが確認できる程度にはなっていることを意味していた。少なくともサナギではない、何かが。

 さっき以上に、すすんで見たくはない。

 でもここまできたら、写真を見ること自体は別に構わなかった。

 それに、ズミくん一人に抱えさせるのも気の毒だ。

 私は自分で操作していいかとズミくんに許可を請うと、ファイルの場所教えてもらって、封印するように何重ものフォルダの奥にに収められた画像を開いた。

 覚悟をしていた私の口から、思わず悲鳴に近い声が漏れた。

 荒く、ノイズも多いものの、かなり明るくなった画像にはそれがはっきりと写っていた。

 話には出なかったが、女性だったようだ。年の頃はよくわからない。

 暗い色のブラウスと、パンツ姿というところまで判別できる。

 その女性が、軒から下がった縄に首をかけて吊ったものの、その苦しさに耐えかねて、頭上の縄にしがみつき、壁に足をかけて逃れようとした……おおよそ話通りの光景がそこにあった。

 ただし、体は壁側でもなく外向きでもなく、こちらを向いていた。

 プレハブの建物によくある、補強のために壁面を対角線状に交差するワイヤーに、足はかかっていた。画像からは詳細はわからないが、裾か足首かがそのワイヤーに引っかかって身動きが取れなくなったのだと思う。つま先の向きからして元は壁側を向いていたのだろう。

 それを強引に捻じ曲げて、横向きになっているのだった。

 頭の上で縄を掴んだ腕は、首に掛かる負担をなんとか減らそうと、肘を横いっぱいに広げている。

 これならばたしかに、身幅のあるサナギに似たシルエットになる。

 そこまでは想定内だった。

 この時。この写真が撮られた時。

 女性はまだ生きていたのだ。

 まさに耐え難い苦しみから逃れようとのたうっているただ中だった。

 そうしてちょうどサナギのシルエットになった瞬間を撮ってしまった……と私は考えていた。だから2分の1の確率で「偶々」こちらを向いているだろうとは覚悟していた。

 でも実際の写真は、もっと嫌な事実を示していた。

 目が。

 私が呻いたのは、写真の人物と目が合ったからだ。

 女性は目を見開いて、はっきりとこちらを凝視していた。

 口は外れんばかりに開いている。何かを叫ぼうとしたのかもしれない。縄が首を絞めつけて、声を出せる状態ではなかったろうが。

 いわく言い難い形相だった。

 偶々こちらに身をよじっている時に撮れてしまったわけではなかった。

 彼女は苦しみから逃れようとしているそのさなか、道端に立つ人間に気づいていた。木が覆っていない道側が、まだ多少明るかったためだろう。

 そうして、無理やり体をこちらに向けて、締め付けられた喉からあらんかぎりの声をあげようと――。

 ……いや、これは想像がすぎている。瀕死の状態で遠くの人間に気づける余裕があったかも疑わしい。やっぱりたまたま苦痛に身をよじっている瞬間が写ったにすぎないのかもしれない。

 どちらにしたって彼女の苦しみ喘ぐ表情が消えてくれるわけでもなかった。

「すいません。ついでにその画像、一番上のフォルダごと消去してくれませんか」

 若干震える手でアプリを落とした私に、ズミくんは心からすまなそうに言った。

「あ、一旦おんなじ名前のファイルを作って上書きしてからお願いします」

 他のは自分で消しますけど、そればっかりはなるべく自分でも触りたくなかったんで……と付け足す。

 いや、全部俺が消してやるよと、私はすべての画像をダミーで上書きしてから消去してやった。

 タブレットを返しながら「報告はどうするの?」と訊ねた。

「どうしましょう」

 ズミくんは本気で迷っているようだった。

 でもあまり聞こえのいい嘘だと、向こうの画像はそのままになってしまうのではないか。

 そのことを指摘すると、ズミくんは首を振って

「あっちの画像は僕に送った時点で消しちゃったみたいです。そいつ、虫嫌いなんで」

 あっそう、と言う以外の言葉が浮かばなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る