あの日、鐘が鳴ったので
千子
第1話
鐘が鳴った。
何を言っているんだと思われるかもしれないが、彼女と出会った日、確かに鐘の音が聞こえた。
ここは地球ではない。
地球はすでに滅んで新しく住む惑星を探すコロニーの中。
鐘なんてレトロな物は図書館で昔のデータを見た時くらいだ。
データの鐘の音は思ったより大きくて、図書館で注目を浴びてしまったのを覚えている。
そっとデータを戻して外に出る。
鐘というにも様々なものがあって、特に印象的だったのは結婚式に鐘の音が鳴るシーンだった。
俺もいつか、素敵な彼女が出来たら、結婚の話が出たら、そんな印象的な演出が出来るだろうか?
……出来るんだろうなぁ。
ここでは大抵のことはなんでも出来る。
死人を蘇らせる以外は。
いや、正確には出来ると技術的に証明されているが倫理観で規制されている。
死んだ人と会えたら、俺はどうするんだろうか?
数年前に病で亡くなった恋人を思い出す。
確か彼女も政府の研究機関に勤めていたはず。
葬式では大いに泣いた。
恥も外聞もなく泣いた。
恋人が病で亡くなって泣かない人間がいるだろうか?
そんなことを考えて帰路に着くと、彼女に会った。
その瞬間、先程図書館で聴いた鐘の音が聞こえた。
「エリィ!?」
俺が驚いて彼女の両肩を鷲掴むと、彼女は痛がった。
「あ、ごめん……。エリィ、何故生きているんだい?君は死んだはずだろう?」
俺は混乱して張り付く喉から搾り出して尋ねた。
彼女はにこりと微笑んで、残酷に告げた。
「申し訳ありません。私は政府に作られたAIです。エリィというのはこのボディの元データになった方ですよね?私とは違います」
俺は目の前が真っ赤になった。
いくら政府といえど、エリィの外見を勝手に使ってAIにボディを与えるなんて!
憤る俺に、エリィの外見をしたAIが触れてくる。
「急激な感情の昂りを感じます。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!」
叫びにびくりと肩を揺らされて意識がそちらに向いてしまう。
エリィ……。
違う。彼女はエリィによく似たAI。
「すまなかった」
「いいえ」
エリィなら、散々俺に怒るのに彼女はにこりと微笑んで許してくれた。
そもそもAIに人間を怒ることなんて許されていない。当然のことか。
こうなったら政府に直談判しに行こう。
いや、その前にエリィのご両親だ。
このことはご存知なのだろうか?
もし、もしも知っていて許可したのだとしたら?
エリィのご両親に限ってそんなことはないと思うけれど、政府が無許可で政府の研究機関の人間といえど勝手に外見を使うとは思えない。
そうと決まればエリィのご両親にとりあえず話を聞きに行こう。
それから政府に尋ねよう。
俺が踵を返すと、エリィに似たAIが袖を掴んできた。
「深い悲しみを感じます」
「悲しい……悲しいな、確かに。俺はエリィが亡くなってからずっと悲しんでいる」
結婚しようと思っていた。
指輪だって二人で選んでいる最中だった。
なのに悪性のウィルスが見付かってたったの数ヶ月であの世へ逝ってしまった。
亡くなる前に結婚しておけばよかった。
そうすれば、二人で選んだ指輪は俺の机の引き出しで時が過ぎるのを待つだけにはならなかった。
「私は治療用AIです。あなたを治したいと思います」
「無理だよ」
君がその姿である限り。
「なぜですか?」
小首を傾げる仕草はエリィに似ていた。
「エリィ……」
「それはこのボディの元データになった方ですよね?その方に似ているから治療を拒むのですか?その方と貴方とはなんの関係があるのですか?」
無遠慮な言葉の嵐に心が重くなる。
「世界で一番大切な相手だよ」
「……それは、かなしいですね」
「お前に何が分かる!」
カッとして叫ぶ。
道端でAI相手に怒鳴る奇人変人として周囲の人に見られている事に気が付いた。
「もういい」
これは悪夢だ。
そうだ。エリィのご両親に会わなくては。
フラフラと歩みを続けると、AIが寄り添う。
「そのままでの歩行は危険です。お掴まりください」
「お前の世話にはならない」
「お前ではありません。アリィです」
エリィのボディを使ったからアリィだとしたら随分と安直な名前だ。
乾いた笑いが出る。
「なぜ、悲しいのに笑うのですか?」
「悲しいから笑うんだ」
俺はそう言って、アリィに連れられてエリィのご両親の元へ行った。
「あらあら、お久し振りねぇ」
エリィのご両親は温かく出迎えてくれた。
しかしアリィを見たら固まる。
「この子は……これは一体……」
「ご両親も知らなかったんですね」
俺はアリィとの出会いを説明した。
「そんな、それじゃあ政府は勝手にエリィのボディを使ってこの子を作ったの!?」
「アリィと申します。治療用AIです。三人とも、深い悲しみに包まれています。早急な治療が必要です」
アリィがこの辺のマップを空に写した。
「この辺りだと精神科は……」
「もういい。アリィ。君は君の帰る場所に帰ってくれ」
「しかし」
「もう、いいんだ……」
俺は泣いていた。
ご両親も泣いていた。
アリィだけが分からぬ様子でエリィに似た小首の傾げ方をしていた。
その後ろ姿はエリィにそっくりで、また鐘の音が聞こえた気がした。
アリィと別れて数日が経った。
政府への不信感から、ネットで似たようなことがないか調べてみると亡くなった身内や友人とよく似たAIと遭遇した話はちらほら出てきた。
やはり、政府が勝手に亡くなった方のボディを使ってAIとして活動させている。
俺はこの憤りを話し合う会に参加し始めた。
みんな、政府に対して怒り心頭に発していた。
「こんなこと、許されるはずがない」
「そうだ!みんなこんなことを知ったら政府に対してどう思うか!」
騒つく集会所に対して俺は冷静だった。
頭を占めるのはエリィとアリィのことだ。
彼女達のことを考えると不思議と鐘の音が聞こえる。
俺がプロポーズしたあの日、データで鳴らした鐘の音を流しながら膝付いて告白した。
「一生、側にいてくれ」
エリィは泣いていた。
泣いて頷くエリィを抱き締めて、俺は幸せの絶頂にいた。
それからはコロニー内で映し出される夜景を見ながら将来について語った。
それから数日後、エリィの健康診断で悪性の腫瘍が見つかるまでは。
「おい、大丈夫か?」
声を掛けられて我に帰る。
「すみません。亡くなった婚約者のことを思い出していて」
「……そうか。すまなかったね」
集会はもう終わっていたらしい。
俺以外はほとんど帰っていた。
俺ももう帰ろう。
集会所から出るとアリィがいた。
「なんで」
「貴方から深い悲しみを感じます」
「……それは、君が君だからだよ」
にこりと笑って線を引く。
「それじゃあ」
「待ってください」
袖を掴まれてまた鐘の音が鳴った。
ああ、この子は確かにエリィのボディを使っている。指のほくろが同じ位置にある。
「貴方は私がAIだから分からないと仰いました。しかし、あなた方も人間を模倣した存在のはずです。人間は地球と共に消滅しました」
「そんなはずは……」
俺は俺だ。
人間ではなくても俺なんだ。
AIとは違う。
違う?何が違うんだ?
俺とAIとの違いは?
でも、俺は人間として生きるように義務付けられて生きてきた。
人間のはずだ。
現に感情もある。
でも、これも作られたものだとしたら?
エリィへのこの感情は?
本物?偽物?
また鐘の音が聞こえた。
アリィが近付いてくる。
「貴方は貴方です」
アリィが蹲る俺の背を撫でる。
「大丈夫です。私は治療用AIです。貴方を助けてみせます」
撫でながらアリィは続ける。
「まずは正式な医師に診てもらいましょう。貴方は人間と勘違いしているようです。これは大きな語弊です。認識の齟齬はデータ破損の元です」
「データの破損……」
そう言われて、エリィの姿にノイズが掛かった。
また鐘の音が鳴る。
「エリィ……」
コロニーの空を見た。
あの日と同じ星空。
この艦内は同じものしか映さない。
「アリィ……」
「はい」
にこりと微笑む姿はエリィにしか見えなかった。
涙を流す。
「俺が人間じゃないなら、何故涙が流れるんだ?」
「あなた方の創造主が人間であることを望んだからです。愛すること、喜ぶこと、悲しむこと、怒ること。感情を持つことが我々との違いです」
「それ以外はアリィと同じだと?」
「はい。もちろん、エリィも。エリィの悪性のウィルスはコンピューター機能を蝕みました。政府に勤める身としては『もどき』達に知られてはいない事実もありました。エリィも『もどき』でありながら創造主、最後の人間に作られた通り『もどき』の一員としてデータを集めていたはずです」
淡々とアリィが告げる。
俺はエリィの笑顔にノイズが走り、どんどんエリィの顔を思い出せなくなっていった。
「そのために俺と一緒にいたんだと?」
「それは違います。彼女も『もどき』として愛故に貴方といました。これはエリィから引き継いだデータに残っています」
「エリィのデータ……?」
「はい。私はアリィであり、エリィでもあるのです」
にこりと笑った姿に鐘の音が聞こえた。
「指輪、まだ持っていてくれている?」
その言葉にハッとした。
「エリィ……」
「今はアリィよ、泣き虫さん」
ふふふと笑ってアリィが星空を見る。
「コロニーの星空は味気ないって思っていたけれど、同じ星を何度も見れるのはいいものね」
そう言って座って俺に寄り掛かる。
「政府には内緒よ。エリィは死んでアリィになったの。これは二人の秘密、ね」
悪戯っ子のように笑う姿はAIのように思えない。
「プロポーズ、今度はアリィにしてね。また鐘の音を鳴らして跪いて、顔を真っ赤にして」
「顔を真っ赤にして泣いたのは君じゃないか」
震える声で反論する。
彼女は、アリィはエリィなんだろうか?
俺は人間じゃなくて『もどき』なんだろうか?
そんなこと、どうでもいい。
「愛している」
鐘の音は今度こそ本当に聞こえた。
あの日、鐘が鳴ったので 千子 @flanche
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