浮いた死相

 その夜のことだった。

 寝床に入った許褚きょちょが眠りに落ちると、夢の中に現れたのは、全身黒尽くめの者たちだった。よく見れば、黒いかぶとよろいまとった兵士のようだった。

 兜を目深に被り、先頭に立った勇壮な将のような男が拱手きょうしゅしている。その後方には、整然と並んだ兵たちがかしずいていた。

 すると、黒鎧こくがいの将が言った。

窮地きゅうちから救っていただいたこと、決して忘れませぬ。もしも急な難儀においになられたときは、お知らせください」

 そう言うと、黒鎧の将と兵たちは、すうっと消えてしまった。

 目覚めた許褚は、いつものように許林杏きょりんあんの製粉作業を手伝うと、べい(パン)を頬張り、近くのほこらの掃除に出向いた。昨日の水溜まりは、もうなくなっていた。

 誰かに頼まれている訳ではなかった。祠の管理は、許褚が自ら始めたものだった。何をまつったものなのかわからないが、昔からむらにあると聞かされていた。加えて、邑の再建の証として、父の許淵きょえんが手始めに建て直したものだった。

 許褚は入念に祠の周りまで清掃すると、畑へと向かった。二頭の牛にすき牽引けんいんさせる。農作業で額に汗が浮き始めた頃だった。気配を察した許褚が振り返ると、畦道あぜみちあかざの杖を突いた元緒げんしょの姿があった。邑を案内していた許林杏がはべっている。休憩がてら、作業の様子を眺めていたようだった。

「もう少し畑を広げよう。冬小麦の収穫を増やしたい」

 畑に出てきた許定きょていが、耕し具合を見ながら言った。

「ん」

 許褚は額の汗を拭うと、二頭の牛の手綱を引いた。元緒の方に近づくようだった。

「許褚と言うたな。祠の清掃もそうじゃが、よく稼ぐわい。殊勝しゅしょうなことじゃ。だが、実に惜しい」

 銅鑼どらのような声音こわねは、尻すぼみだった。哀愁漂う視線を許褚に向けている。

 許褚は、それを気にも留めず農耕に没頭した。

 代わって、怪訝けげんな面持ちとなった許定が元緒に歩みを寄せて尋ねた。

 不思議そうにした許林杏が、元緒と許定を交互に見比べている。藜の杖の先端に赤い蜻蛉とんぼが止まった。それが飛び立つと、弾かれたような許林杏がそれを追っていた。

「元緒さま、褚が惜しいとは、どういうことでしょうか? 鈍重どんじゅうで寡黙な奴ですが、真面目で働き者の弟です」

もあらん。顔を見ればわかるわい。だが、別の相も浮いておるから惜しいのじゃ」

「別の相……?」

 許定は、眉間にしわを寄せていぶかった。

「許褚は、御年おんとし幾つになる?」

「もうすぐ、二十七になりますが……」

 残念そうに首を左右に振ると、元緒は許褚に聞こえぬよう声を低くして続けた。

「浮いておるのは死相じゃ。惜しいかな許褚は、二十七の歳に世を去るであろう」

「――――⁉」

 許定は、目をくと息を飲んだ。ゆっくりと振り返ると、その目で許褚の背を見遣みやった。

 大きくたくましい背だった。死が忍び寄っていることなど、微塵みじんも感じなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る