26. 妖笛の行軍奏3
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手は指の美しいフマーリャから。私の指はあいつの理想より少し短かったから。胸と腹の筋はすべらかさが美しいルファン兄さまから。私の骨付きというのが、あいつの理想より乳房が膨らむらしかったから。背は熱の病であばたが1つ残ってしまって、背姿が美しいコヤ兄さまから。
最も美しい部品がなくなったらあいつのご飯。皆あいつが大好きだから、喜んで従ったんだ。だけど、私は。あの強すぎるランプで照らされるベッドで目覚めるたびに、どんどん兄弟たちがいなくなるのが、寂しくて仕方なかった。
だからひとりきりになったあと、後からかわいいマーリヤがやってきて、とても嬉しかったんだ。私は十四、あの子は八歳。あの子はとても活発で、おてんばで、なにより感情を体いっぱいで表すんだ。たくさん笑って、怒って、泣く姿を。ずいぶん羨ましく思っていたよ。
それでまた、私はあのベッドで目覚めたんだ。
あいつは言ったよ。これでもう大丈夫。美しいお前を苦しめる発作をおこす悪い心臓を、マーリヤのと取り換えたよ。とても力強い心臓で、ヒミンを識る音がする。きっとお前を助けてくれるよ、とね。
私はあいつにお礼を言いながら、はじめて、なにかがおかしいと思った。
でもそれがなんなのかわからなかった。忘れてしまっていたんだ。
私もあなたと同じだよ。私も英雄に憧れた。あの時、あいつを殺した灰甲冑は……恐ろしいほどに怒ってくれた。身勝手に殺されたあの子たちと、私のありさまを。
私は、自分が怒りたかったんだとわかった。
あの人が怒り方を教えてくれたんだ。
私たちの命を、体を、心を、好き勝手に、つぎはぎにして、なんとも思わない。当たり前だと思っているあいつらを。私はみんなと一緒に、みんなの代わりに怒ることにした。でもこれはみんなの身体だろう。みんなを傷つけたくないから、傷つかないように強くなった。……本当に、これだけなんだよ。私は。
……ここまで話したのは、陛下とあなたにだけだ。内緒だよ。
(クラムは、喉の奥で掠れた声で、なんで、と呟いた)
(英雄は明朗な笑顔の口元を、わずかに歪めた)
あなたも、怒っていいからだ。
*****
荒野にいくつもある深い罅。地が割り開いた断崖の底は真昼であろうと見通せず、常に暗がりが満ちている。千年落ち続ければ地の国に降り立つとも、万年落ち続けようとも何処にもたどり着かぬのだともいう。
地嶮の断崖を覗き込めば、遠目にその中腹にはいくつも、蟻が掘りぬいたような穴が見える。だが実際に穴へと近寄れば、それが小さく浅い穴ではなく、入口の広く、砂交じりの風に幾星霜と掘りぬかれた、大穴の入口だとわかるだろう。月の光が罅に差し、断崖の内まで照らされている夜半——矢を射られ、肩を押さえた一人とそれを支えるもう一人。断崖を駆ける血まみれた大猫の背に、しかとしがみ付いた女たちが逃げ込んだのも、そうした風食洞のひとつであった。
大猫は。年を経た長毛の王猫は、喘息めいた息をしながらも、主たちの降りるを懸命に待った。大口に差し込む月光に白んだ岩の地べたを、女たちの白い爪先が踏むまで身を起こし続け、離れるやいなやどうと倒れる。女たちは荒く上下する柔らかな猫の腹にすりより、労わり撫でながら——傷を負った女でさえ、その顔は実に楽しげであった。
——くすくす、くすくす……
『あいつがいたわ、ズルヤ』
『ええ、ズルヤ。あいつがいた』
『あいつのせいかしら、ズルヤ』
『ええ、ズルヤ。きっとあの恥知らずのせい』
『王さまにお慈悲をいただいたのに、なんて恩を知らぬのかしら』
『王さまにお情けをいただいたのに、なんて厚かましいのかしら』
——くすくす、くすくす……
そうして同じかんばせを見合わせては、小童のように笑い合うのだ。
『さようならズルヤ。きっとまた会いましょう。私たちの音色で、王さまをお慰みしなくては』
『ええ、さようならズルヤ。きっとまた奏でましょう。私たちの音色がいっとう、王さまを慰めるのだから』
女たちは互いの指を絡ませ、互いに口づけ——指を解いた。射られた女が立上がり、もう一方の手に支えられながら、浅い息を繰返す猫の口元へと己の頸を寄せる。そして——短く、口笛を吹いた。瞬間、息も絶え絶えであった王猫の目が見開き、大きく咢を開いて————閉じた。
夜陰に溶け込む駿駆の大狼が、青白く月の照らす岩肌の床に降り立った時、其処には二つの影が在る。ひとつは女、ひとつは白毛の老王猫。女は笛を構え、老王猫は身を低く構え——笛の一声の響く時。岩壁の無数の穴より、黄泡にまみれた病鼠の群れが、狼に向かい殺到した。
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