真夏日の影
階段甘栗野郎
真夏日の影
午後五時半。アスファルトがまだじんわりと熱を放っている。
蝉の声が耳に刺さるほど響いていた。高校からの帰り道、俺は団地の敷地内を歩いていた。
背中のシャツは汗で肌に張り付き、足元のスニーカーはコンクリートの熱でじんわりと焼けているようだった。
今年の夏は異常だ。
テレビもネットも、毎日のように「真夏日更新」「観測史上最高」と騒いでいる。
けれど、問題はそんな記録ではなく、この団地で起きている「あの噂」だった。
「・・・また、出たんだって」
先週、隣の棟に救急車が来た。
女子中学生が熱中症で倒れたらしい。
そのとき彼女が口走っていた言葉が、今では団地中の噂になっていた。
曰く、「夕方、誰かが部屋に入ってきた」、「顔が焦げてて、真っ黒だった」、「熱い熱いって、こっちに乗ってきた」と。
救急隊が駆けつけたとき、彼女の部屋の室温は50度近くあったようで、エアコンは切れていて、窓も閉めて、換気扇も壊れていたらしい。
だが、奇妙なのはそこではない。
部屋の隅に、黒く焦げた足跡のようなものが残っていたのだという
夜八時。団地の部屋に戻ると、母親が扇風機の前でぐったりしていた。
「・・・エアコン、壊れたの」
「マジで?」
「管理会社には連絡してるけど、修理は明後日だって・・・最悪よ。水風呂でも入ってなさい」
扇風機から送られる風はぬるく、まるでドライヤーのようだ。
俺はうんざりしながら自室にこもった。
窓を開け放ち、ベッドに寝転がる。天井を見つめながら、スマホで「団地 幽霊 真夏日」と検索してみた。
「真夏日の霊」と呼ばれる都市伝説があるらしい。
検索結果のひとつが目に留まった。
怪談系のまとめサイトらしい。
「真夏日が数日続くと、熱に焼かれた「なにか」がやってくる」
「エアコンのない部屋、暑さにやられた人間のそばに、焦げた人影が現れる」
「それは、かつて熱中症で死んだ者の怨念であり、冷気を奪うために人に乗り移る・・・」
そんな事が、書かれていた。
「・・・バカバカしい」
そう思ったのに、体が冷や汗をかいていた。
母さんの部屋もエアコンが壊れている。
俺の部屋も、さっきから冷房が効いていない気がする。
温度計を見ると、32度。
「・・・あれ?」
リモコンを確認すると、設定温度は26度、運転モードは冷房のはずだった。
だが、冷たい風は一切感じられない。
そのときだった。
・・・ギィ・・・ギィ・・・
廊下の床を、何かが這うような音がした。
俺は思わずベッドから身を起こし、耳をすませた。
音は続いている。何か粘ついた、湿った音も混じっていた。
だが母の声は聞こえない。
「・・・母さん?」
そっと部屋のドアを開けると、廊下の照明がぼんやりと灯っていた。
扇風機の風音が止んでいる。
母の部屋のドアも開いていたが、中を覗くと、誰もいない。
扇風機も止まっていた。
部屋の奥、カーテンだけが揺れていた。
「・・・おかしいな?・・・」
ベランダの窓は開いていた。
そして・・・
そのカーテンの隙間から、黒い足が見えた。
人の足だ。
それは、どす黒く焼け焦げたような皮膚。
剥がれ落ちたかさぶたのようなものが、窓辺に散っている。
全身が凍りついた。
そいつは、まだベランダの外に立っていた。
しかし、この部屋は四階だ。外に立てるわけがない。
だが、確かに「誰か」がいる。
焦げた足。焼け爛れた皮膚。
そして、こちらを覗き込むように、ゆっくりとカーテンがめくれた。
目が合った。
その顔は、表情がわからないほどに真っ黒だった。
皮膚は炭のようにひび割れ、目の奥に光が宿っていた。
赤い、炭火のような光だった。
「嫌だ・・・!」
俺は全力でドアを閉め、自室へ駆け戻った。
エアコンのスイッチを連打するが、風は出ない。
温度はどんどん上がっていた。34度、35度・・・。
そして、壁際に置いていた鏡に、そいつが映った。
部屋の角、天井付近。
まるで熱気が集まるように、黒い影がじわりと浮かび上がっていた。
そいつは、俺の上に覆いかぶさるように、ゆっくりと・・・
俺は、そのとき気づいた。
こいつは「熱」に寄ってくる。
熱を感じている人間に取り憑く。
エアコンを・・・とにかく冷やせれば・・・
ダメだ。もう冷えない。
俺は台所へ飛び出し、冷蔵庫を開け放った。
冷気をかき集めるようにして、氷を取り出し、首筋に当てる。
その瞬間、黒い影が消えた。
部屋の温度も、少しだけ下がったような気がした。
翌朝、管理会社の修理担当がやってきた。
「へえ、エアコンの内部、焼けてますね。こんな壊れ方、あんまり見ないなあ」
母も、俺も体調を崩し、数日寝込んだ。
そして、隣の棟、五階の部屋に、また救急車が来ていた。
暑さにやられた高齢女性が、夜の間に倒れていたのだという。
その部屋のベランダ、カーテンの隙間から、焦げたような黒い足が・・・わずかに見えた気がした。
それ以来、真夏日が続くときは、俺は必ずエアコンの点検をする。
氷を常備し、部屋を冷やす。
あいつが来ないように。
また、「真夏の霊」が乗ってこないように・・・。
真夏日の影 階段甘栗野郎 @kaidanamaguri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます