第六夜 襲来



「慧介、ん、もっと……もっと……」


今夜は慎作さんがやけにしおらしく素直だ。なにか怖いことでもあるのかな。


慎作さんとのセックスは今や数え切れない程に回数を重ねてきた。彼は身体を重ねる度に、いろんな悲鳴をいろんな表現で上げて、俺はそれを抱きしめた。


……正直、言葉は悪いが飽きがこないと言ってもいいな。本当に慎作さんには悪いけど。俺は普通にセックスしてるだけでも、慎作さんは万華鏡のようにいろんな姿を見せてくれて、どんなふうにこれまで傷ついたのか教えてくれた。


今日は寿司を食べて、家に帰ってのんびり過ごして、ふと慎作さんが俺の肩に頭を預けて、静かに低く甘い声で俺を呼んだ。俺はもうこの一ヶ月ぐらいで慎作さんがキスをねだる雰囲気が分かってきたところだったから、静かにキスして、それで絡み合ってもう訳も分からなくなりそうになった頃にちゃぶ台を片して布団出して、改めて抱きしめて。


「けーすけ……♡もう、だめかも……だめだ……」

「大丈夫、大丈夫。慎作さんの気持ちよくなってるところちゃんと見せて」

「だめ……もうだめ……」

「だめじゃない、まだだめじゃないよ」


まだ背中に爪は立ててくれない。俺の背中に沈むのは慎作さんの指の腹ばかり。キスマークもつけてくれない。噛み痕もつけてくれない。友達に痕がバレて〜みたいなの、憧れあるんだけどな。でもいずれは、と思う。ちゃんと慎作さんは毎日一生懸命、迷いながら光の方に歩いている。




「……はい、水。開けれる?」

「うっせぇ、そこまで貧弱じゃねぇよ」


で、ちゃんとペットボトルの蓋開けれちゃう。かわいくなくて、かわいい。あーあ、もう俺はとっくにだめだよ。慎作さんにベタ惚れだよ。さっきさ、どこにもいかないで、なんて泣きそうな声で言われたけど、もうどこにもいけないよ。あなたみたいな面白い人、捨てられるわけが無い。


「けーすけぇ……あのさ」

「なぁに?」

「俺さ、ずっとここに居ていいの」

「…………え?それは……えっと、俺の気持ち、意気込み、としては、そう。当たり前だよ。そうなんだけど……あのさ、物理的にね?男二人暮らしならもっと広いおうちがいいな〜とか、就職したらこんな事故物件出て引越ししようかな〜とか、でもあと一年半、二年弱?あるわけで、それまで慎作さんが俺……俺に飽きずにいてくれたら、一緒に……とか、考えてる……けど……」


慎作さんの湿った声に対して、ついうっかり喋りすぎてしまった。だってさ、わかんないじゃん。女の人だったら結婚とかの話かもしれないけど、男同士だったらどうやって将来の約束をしたらいいんだよ。俺は知らない。まだ何も知らないから、こう言うしかない。


「っ……ふふ、くく、あはは、ははは」


慎作さんは混乱して頭抱える俺を見て、全身力が抜けたみたいに笑った。なんかずっと笑ってる。まだ笑ってる。そんな笑うことないじゃん。ガキだからってバカにしないでよ。


「慎作さん、笑わないでよ」

「ひひ……や、すまん、ごめん。ホントさ、お前って会った時から変わんない。バカ正直。あのさ、違う、俺が……ふふ、俺が聞きたかったのはそうじゃなくて、あのさ。ほんとに明日とか来週も来月も、俺はここにいていいのかって…………慧介は、もうとっくにそんなん良かったんだ」

「当たり前でしょ?!」

「っふ、あはは、あーあ、ホントにな、ホント、考えるだけ無駄だわ。俺が考えてること、お前にとっちゃ八割無駄だな。あーあ」


ごろん、と慎作さんは布団に仰向けで寝転がって長い身体を伸ばした。薄くて白いお腹がまだ笑いの余韻でヒクヒク震えてて、どこかエロい。


「慧介、俺はもうだめだ。だめなんだよ。あーあ、おかしくなっちゃった」

「……慎作さんはそういう言い方しかできないんだもんな」

「うん、そう。俺はこういう言い方しかできないの」

「責任取るから」

「うん、取ってよね。もう戻れないんだから」


なんとなく目が合って、キスした。慎作さんの方から舌を絡められて、ちょっと待ってよ、今日はもう終わりにする感じだったのに、と悔しい気持ちになる。慎作さんが両腕を伸ばして、俺の首の後ろで組む。取って食われちゃう。あーあ。でもいいんだ。慎作さんが今、きっと安心したくて、もっと触れ合っていたくて誘ってるんだから。俺はそれに応えてるだけ。応えたいだけ。



その時だった。

ピンポーン、とチャイムが鳴ったのは。



「ッ、え、慧介」

「……慎作さん、待ってね、ここにいて」


慎作さんに布団を被せて、とりあえずその辺に落ちてたパンツ履いて、あっこれ慎作さんのだなお尻がきついや、まあとりあえずそれでゆっくり玄関の方に向かう。事故物件の家賃3万シャワーのみ築年数激ヤバ木造アパートであるうちに上等なカメラ付きインターホンなんてなくて、本当にチャイムがついてるだけ。申し訳程度についた覗き穴から外を見る。


見知らぬ美しい女性が立っていた。

三〜四十代?いや、もっと?女の人の年齢はまだよく分からない。けれど、艶のある長い黒髪に真っ赤なリップは、自分の母よりは若く見えた。その纏う雰囲気はなんだか既視感があって。


ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。


連続で押されるチャイムに、なんだか嫌な予感がふつふつと沸き起こる。これ、出ない方がいいんじゃないか。どうすれば、どうすれば。


ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。


「……あの!すいません、もう夜遅いんでっ」

「え?なに?サクちゃーん、サクちゃん。いるんでしょーー?なんで出てきてくれないのー?」

「…………ママ」


慎作さんはいつの間にかパンツも履いて、Tシャツも着て、ふらふらと俺の方に近寄ってきている。あ、だめだ。これ、会わせちゃいけない、だめ、だめだ!


「サクちゃ〜ん?」

「……ママ!」


慎作さんは、さっきまでとろとろに甘えきって脱力していたとは思えない力で俺の静止を振り切りドアを開けた。


「サクちゃん!久しぶり〜。パパに似て大きくなったねぇ、ママだよ〜」

「……ママ、なんで」


慎作さんの、お母さん。

ああ、だからか。なにもかも似すぎてる。顔立ちも、雰囲気も、その大人になりきれない幼さも。

彼女は長い黒髪に真っ赤なリップ、そして極端に体のラインが出るセクシーな服を着ていた。まるで繁華街を歩く大人の若いお姉さんみたいに。でも確かに慎作さんの母親、と分かる程度には老けていて、なにもかもちぐはぐだった。


「え〜?来ちゃ悪い?サクちゃん、ママが来て嫌だったの?」

「…………いや、じゃ……」

「ん〜?」

「嫌じゃないよ……」

「だよね!サクちゃん、もう秋だよ、ちょっとお外寒いよ。早く入れて」

「分かった……」


俺の家なのに、勝手に慎作さんが上げちゃった。うわ、マジか。うわあ。どうしよう。こういう時どうしたらいいの。俺にできることってないの。


彼女はヒールの高いきらびやかな靴を乱雑に脱ぎ捨てて、まるで自分の家のように狭いキッチンを横切った。きらきらのいっぱい着いたジャケットをどさりと慎作さんに押し付けて、ぐるりとボロくてさっきまでセックスしてた部屋を眺める。はあ、とため息をついてこれまたきらきらしたカバンからたばこを取り出し、慎作さんにライターを渡した。慎作さんは従順な執事のようにお母さんの咥えたたばこに火をつける。怖かった。


「……でさあ、あなた誰?サクちゃんの何?」

「…………え、あ、俺?俺ですか。えっと、恋人……ですっ。二ノ倉慧介、といいます」

「年齢、学歴、仕事」

「え、えと、ハタチです、今は専門学校に通ってて、えと、臨床工学技士を目指してます」

「なにそれ。よく分かんない仕事目指してるね。サクちゃんは何?こんな男がいいの……?」

「……うん……」

「でも明らかにおカネ持って無さそうじゃん。こんな男といてもなんも楽しくないでしょう?どうせ娯楽なんてエッチしか無かったからヤッてたんでしょうに」

「ちが……ちがう、の……ママ、あの」

「何?」

「……ごめん」


ふう、と彼女はイラついたように換気扇に煙を吐く。俺は変な汗がドパドパ出てきて脇の下と手のひらががぬるぬるしてる。ほんとにどうしよう。この人どうしたら帰ってくれるんだろう。どうしたら二度と慎作さんの前に現れないでくれるんだろう。


「ニノくん」

「……俺ですか?」

「うん。ニノくんはさ、いいよね。慎作もそんな素直にかわいい男じゃなかったでしょ?私、この子のこと連れて帰るから。迷惑かけてごめんね」

「……え?」

「うん。今日はそのつもりで来たの。大丈夫、もっとニノくんには釣り合うちょうどいいのがいると思うから。サクちゃん!帰るよ」

「待ってください、あの、慎作さんは…………慎作さん?」


慎作さんは、もう既にお母さんに手を握られていた。


「………………ってことだから。ごめん、慧介。俺は……帰るわ。ほんと、これまで……迷惑かけてごめんね」


ああ、俺、ミスったんだ。捕まえて離さないように、物理的に慎作さんをこっちに留めとかなきゃいけなかったんだ。あそこで固まったのがいけなかったんだ。どうしよう。どうしよう。なんとか、なんとか……


その瞬間、慎作さんは俺に駆け寄った。強く強く俺を抱きしめて、震える喉と胸が泣き出しそうに揺れていた。


「慎作さん……やだよ、行かないで」

「ごめんね、慧介、巻き込んじゃって」

「違う、慎作さん」

「もうしょうがないんだ。こうなったらこの人、聞かないから」

「待って」


何度も説得しようとした。慎作さんのお母さんに頭も下げた。それでも、そもそも話が通じなかった。彼女にとって慎作さんを連れて帰るのは決定事項で、既に決まった結論であり、俺がどうこう言ったところで考えを変える気はないらしい。慎作さんはあのハグが最後の力だったかのように俯いて、無気力に手足を持て余すばかりだった。




がちゃん、とドアが閉まった。

九月の末にしては寒い日だった。

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