燃ゆる夜
「あなたを抱いていいですか」
俺は黙って頷いた。バクバク心臓が跳ねる。今どんな顔してる?何も分からない。今俺、慧介に喋ってて、あれ?ここからはどんな風に話せばいいんだっけ。慧介はどんな奴とセックスしたいんだっけ。えーっと、えっと、思い出せない。女……じゃなくて。もっとこう兄貴っぽさのある感じだっけ?やさしくて、えーっと。
まだ考えがまとまっていないまま、キスをされた。押し倒されてる。向こうから押し倒されてセックスが始まるなんてすげー久しぶりじゃん。どーしよ。その角度から見る俺の表情、どんな感じ?
頬にキスされた。耳にも。それから首筋に。また唇に戻ってきた。
「慎作さん、あのね」
「……うん」
「今日は、慎作さんを、抱きたい」
「…………うん」
「だからさ、俺が全部やるから、だから……演技はしなくていい。痛い時つらい時くるしい時、もうやめたい時、ちゃんと言って欲しいし、俺にサービスしたげようとか、俺のためになんか…………なんもしなくていい……だから」
「…………ちょっと待って。分かった、分かったから。でも俺、今日セックスすると思ってなかったからさ、ごめん、準備が……その、後ろの……やってなくて…………ごめん、あの、男だから、やらないといけなくて」
「それも俺がやる」
思わずはぁ?とデカい声が出た。こいつ、なんでこんな、やる気満々……っていうか、腹括った感じなの。
「や、いや、それはやらせねぇよ、あんなこと」
「慎作さんは俺が準備手伝うの嫌?」
「嫌とかじゃなくて、そんなことお前にやらせられないでしょ。だから」
「慎作さんが、嫌なの?恥ずかしい?」
「…………いや、だ。いやだな。あんまり見せたいもんじゃ、ない。恥ずかしい、かも」
「じゃあ、俺待ってるから。俺のために準備、してくれますか」
「…………あーもう、わかったよ。してきてあげる」
トイレとシャワールームを往復するのすら慧介に見られ、聞かれている。俺は腹の中を洗い、ケツの中にローションを仕込みながら、一生懸命即興演劇の台本を組み立てている。
……慧介はどこがグッときて突然そんな気持ちになっちゃったの?誰にも愛されず可哀想な俺様?呪われてる俺様?やっぱりこいつ、きっとメサイア・コンプレックスのケがあるんだな。こうなっちゃったらおしまいだ、そこに欲情されたらいくら慧介がピュアな世間知らずの善良なボンボンだとしてもおしまいだ。俺はこの流れをよく知ってる。近いうち慧介も俺を殴るのだろうか。悲しいね。
だったら今日はとびきり甘くてやさしいセックスがいいのかな。幻想に浸る為のとっておきの前奏曲。くねくね善がってほろりと涙でも流してあげようか。
「おまたせ」
バスタオル一枚持って、裸で慧介の前に立つ。彼は一切怯んだ様子なく、淡々と俺からバスタオルを受け取って布団に敷いた。
「慎作さん、あのね」
「うん」
俺の手を引く慧介に従って、ゆっくりと寝転んであげる。見下ろされる姿勢になると、ゾクゾクする。いろんな意味で。
「今日はさ、ちゃんとしたいから。慎作さんはなんもしなくていいけど、ただ、俺が質問したら……答えられる範囲で、お返事してくれたら、うれしいんだけど」
「うん、分かった。今更だ……なんでも教えてあげようね」
「ありがとう」
慧介はこく、と静かに頷いた。
「あと、あとは……ちゃんと慎作さんの身体、見たいから、眼鏡掛けたままするけど……いい?」
「……ふうん?ノンケのお前にも俺のこの身体の魅力が分かったか。よかろう、存分に見たまえ。一本しかないんだろ、壊さないように気をつけろよ」
「うん」
慧介は静かに俺に覆いかぶさり、唇を触れ合わせるだけのキスをした。繰り返し、小鳥の戯れのように。俺を抱きしめて、ピアスだらけの耳をじっと見つめてふうと息を吹いた。
「慎作さんは……ピアス何個あいてるの」
やや低く掠れた、やっと声変わりが終わったような若い男の、明確に欲情した声で子供みたいな質問をするから俺は笑ってしまいそうになった。かわいそうだから笑いを噛み殺してあげる。
「覚えてないなぁ。いっぱいある、としか。今いくつ開いてんのか慧介が数えてよ、今度」
「……俺は、ピアス開けた時、ピアッサーの音にビックリして、左右の高さがズレたんです」
ちゅ、ちゅ、と首筋にキスを落とされながら、なぜか若者のイキリ失敗談を聞いている。あーあ、なにやってんだろ。
「慎作さんはもう慣れっこなの。どんな時にピアス開けようって思うの」
「……ああ、慣れっこだよ。ピアッサーはデカい音するもんな、怖かったろ。俺みたいな上級者はニードルつって、針だけのやつでグサッとやって開けるんだよ。安全ピンで開けた穴もある。どんな時に……そうだな、ムシャクシャした時かな」
「……そっか。タトゥーもそう?」
項の近くにキスを落とされる。ああ、項のとこのタトゥーも気になってたのか。
「いんや、タトゥーは……呪いだよ。俺は呪いを刻む為に、節目に彫るの。左腕の話はしてあげたろ?項のこれは……そうだなあ、俺の、心を、いつもちゃんと見てるの。そして、バックでヤッてるときも……寝てる時も、お前を、他人を見てるよ」
「……慎作さんはさ、いつも誰かに見られてないと嫌なんだね」
「そりゃあ誰だってそうだろ。誰に向かって話せばいいか分からねぇのは不安だろ?」
「…………僕はあんまりそうじゃないかも」
「ふーん、そう」
俺からも手を伸ばして、手慰みに耳や輪郭や首筋を愛撫してやる。慧介はやや不満気なご様子。今夜の主導権は自分が握りたいのね、はいはい。
慧介にされるがままになる。指先と唇はゆっくりと丁寧に下半身へ降りていく。俺の腹を静かに指先がなぞる。この家に来たあの夜真っ青だった痣は醜く黄ばんだ色になっている。縫合の痕を辿る。知ってるか、他人に刺された時は第三者行為になるからそもそも健康保険が使えなくて、保険証なくてもなんとかなるんだぜ。
「慎作さんは、味わかんないって言ってたじゃん、痛いのもわかんないの」
「……痛いのしかわかんないの。」
「そっか。でも俺が今触ってるのは、分かる?」
「分かるとも、ゾクゾクしてるよ」
「じゃあさ、別に死んでないじゃん、この身体は」
「そうかもね」
丹念にキスを落とされて、はぁ〜あ、とため息つきたい気持ちになる。大事に大事に扱ってくれてどうも。どうせ俺がお前の所有物だって明確になったら、好き勝手するんだもんな。
とうとう唇が下腹部や性器に触れる。やめな、ばっちいから。振り払うようにしても上手くいかない。
「慎作さんてさ、最初の夜も、その次も、勃起してなかったよね」
「よく気付いたな。だって嫌だろ?お前、ノンケなんだから。勃起した他人のチンコなんか見たくなかろうよ。存在感を抑えてるの」
「……ちんこってコントロールできるもんなの」
「できらぁよ。俺は天才だから」
「…………本当は別に俺とセックスしたかった訳じゃないから、じゃないの?別に慎作さん、俺に興奮してないでしょう」
「……卑屈な男はモテないぜ?違うわ。あんなあ、俺様は……つい三日だか四日前ゴミ捨て場に捨てられて、そん時の傷が癒えてないの……それだけ。」
「……俺はてっきり、不感症なのかと思いましたよ」
「ソコは現役だわ、舐めてんのか」
「違う。あんたの演技が上手すぎるから、だよ」
「あっ、そ」
そう、別に俺は不感症なんじゃない。普段はこんなにベラベラ話しながらセックスしないし、意識がここにないだけ。お前の芋臭くて垢抜けないかわいいお顔が、ジャンク品の俺の内腿に恭しくキスして、あらぬ所を舐めしゃぶってると、ちゃんとそこそこ興奮してる。あーあ。綺麗な雪を汚すみたいに、砂場に水の入ったバケツを持ち込むみたいに、イケないことをしてる興奮はちゃんと感じてるよ。お前が今必死に首輪つけてリード引っ張ってるそれとは違うけど。
「ね、慧介、もーいーだろ、気が済んだらやめて……さっさと好きにして」
「慎作さん、あの」
「今度はなーに」
「俺、ちゃんとさ、男同士でセックス……するときの、調べたんだけど」
「殊勝な心掛けですこと」
「これまで、慎作さんとしたときってさ、女の子みたいに……勝手に濡れてて、ていうか濡らしてくれててさ、それ以外にローションとか使わなかったじゃん」
「無かったからね」
「でも本当はもっといっぱい使うもんじゃないのって、調べてて、思ったんだけど。尻の穴ってさ、本来そういう場所じゃないし……えっとつまり、その、これまで、足りてなかったんじゃないかって。痛くなかったの」
「布団汚れるだろ」
「痛くなかったのって、聞いてんの」
「関係ねぇだろ」
「俺には、関係あるの」
「ええ……」
関係ある、と力強く繰り返す慧介を見て、困った。なんで急に当事者意識持ち出したの、怖。いや、だってさ、しょうがないじゃん。汚したら怒られるし。だから射精も潮吹きもしない。ナカだけでイク。あんたも怒るかもじゃん?ああ、でもこいつ、俺が布団にゲロ吐いても怒んなかったな。いや、ゲロとセックスの汚れの序列が違うのかもしんないし。わけわかんない。こいつはなんて言ったら納得するんだろう。黙ってる時間長いかも。どうしよう。
「ね、これまでの俺とのセックス痛くなかったのって、イエスかノーじゃん。」
俺二択嫌いだもん。
「……まあ、ノーじゃない?俺ってさ、メスの才能あるって言われたし……」
「慎作さんってさ、そうやって、自分がどう感じてたか、どう思ったのか、すぐ分かんなくなるんだ。人に言われたことしか覚えてないんだ、そうでしょ」
「…………だってお前には関係ないから。関係ないでしょ?俺がどう感じて、痛いとかつらいとか、関係ないじゃん」
「関係ある」
「ねぇよ」
「ある」
「ねぇ〜だろうがよ」
「ある。だって俺、慎作さんのことッ好きに、なっちゃったから……もう関係ある…………」
はァ?
なにを言ってんの、コイツは。
ちがうちがう。勘違いだよ。お前がそんなさ、良くない。お前はだってさ、女の子と付き合ってて、将来もちゃんとあって、真面目に勉強してて、俺との……あれそれは無かったことにして、ただの火遊びなんだから、そんなさ、真剣にそんな、そんなの、
「……だめじゃん」
「だめ?」
「ダメだよ、慧介」
俺は俺の脚の間にいる慧介をじっと見つめた。そんな叱られたみたいな顔しないでよ。かわいいじゃん。あーあ、泣きそうな顔にならないで。抱きしめてあげなくちゃ。でもそんなことしたら俺にもっと惚れちゃうだろ?
「俺にそんなに、真剣に向き合う価値はない。なんの思いつきだか知らないけど、今日セックスすんのが…………その為なら。やめときな。俺はお前に本気で恋してあげることはできないし、お前も本気で俺に恋なんかしちゃダメ。分かる?人生遊びで寝ちゃうのも、爛れた関係作るのも、別に悪いことじゃない。でも本気になったら終わりの男ってのはいるし……女もいる。そこを分かるようになんなきゃダメだよ、慧介。今後の人生の為にも」
しばらくそのままじっと見つめていると、慧介はずっ、と鼻を鳴らして、とうとうそのきらきらした目にいっぱいに溜めた涙を、ぽたりと俺の肌に落としてしまった。焼けるほど熱い。ぼたぼたぼた。あ、一気に降ってきたね。すごく痛い。
「わっ、わ……わッ……そんなっ、そんなんッ……わかっ……」
「…………落ち着いて喋んなさい」
「わかっ……分かってるもん、わかってる、し!いぺ、いっぱい、ぼくだって、!いっしょッけんめ、かんが、考えてッ、そんで、あだけッ、つもりもねっ、し、慎作さんの……いちがいこきッ……!ぼくっ、ぼくは……ッ」
「うん……」
「しょうがないだろッ!もうお、遅いだろ……!ひどいだろ……!そんなさぁ、もう無理、無理だ……し、慎作さん、もうさ、おれさ、あんたのこと……ほんとに、ほんとに、あんたに、どーにか、笑ってて……味も分かってさあ、セックスも気持ちよくてさあ、そういう風に、なってる未来が、ちゃんとあって欲しくて、ゴミ捨て場で死んで欲しくなんかなくて、そうしてあげるのが、俺……ッ!俺で、ありたいなって、もうそれで、それなんだもん、思っちゃったから。もう、いいんだ、どうでも…………その為だったら、もう、ぜんぶ、あげる。俺の全部、あげるから……」
「ばかなこと思っちゃったもんだね」
慧介の腕を掴んで引き寄せた。簡単に倒れ込んできた発展途上の若い肉体は、俺の上でちゃんと温かい。抱きしめるとこっちの骨がきしむくらい、ちゃんとした身体だ。
「全部あげるなんて軽々しく言っちゃだめ」
頭を撫でてやる。あーあ。あーあ。かわいいなぁ。ひぐっ、ひぐっ、としゃくり上げて一定のリズムで震える身体を撫でて、とんとん背中を叩いてやって、気分は本当にお兄さんみたい。俺はお前のお兄さんなんかにはなれないのにね。
「慎作さん、ひどいよ。全部だめなんだ」
「うん、だめ」
「なんにも許してくれないし、自分にもなんにも許してあげないんだ」
「そうだよ、俺は地獄行きだから」
「……そんなにまじめなの、嫌にならないの。俺はもういやだって、思って、まじめなのやめて、慎作さんが嫌なのわかってて、全部聞き出そうと……したん、だけど」
「……そっか、慧介はかしこいねぇ。うん、なるほどね……お前、まじめクンやめたいの」
「うん……すごく、やめたい」
「やめたいのに、あんなに俺にまじめに問いただしちゃったの?」
「好きな人だから」
「……そっか」
ほんとに……困ったなぁ。どうしよう。あーあ。もう取り返しつかねぇや。どうしよう、どうしよう。もう鼻をすする音もなにもかも愛しい。もう全部この未成熟で不器用できまじめな男に委ねて楽になりたい気持ちが、ずっと僅かに、でも確かに俺の中で鎌首をもたげている。それが俺は怖い。そこまでちゃんと分かってる。慧介も、ちゃんと全部分かってる。ノンケが男抱く、ってことも含めて、全部ちゃんと考えてる。俺のためにたくさん考えてくれたんだ。あーあ。あーあ。どうしよう。全部見えてるのに身動きが取れない。全部分かってるのに。本当はどうしなきゃいけないか全部分かってるのに、今だけ、今だけ楽になりたい。慧介を弄ぶな。でももう、寒い。つらくて、つらくて、ぜんぶ、痛い。目を三つとも閉じて、楽になりたい。
「ごめんな、慧介」
慧介の唇を奪った。塩味で甘いキスだった。手を伸ばして、すっかり勢いを失った慧介のペニスをやさしく包んで軽くしごき、先端を撫でてやった。
「お前の全部、ちょうだい。許してあげる」
ひゅう、どろどろ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。最悪なことには、ならないかもしれないし。
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