せめて最期は人であれ〜あの日、彼らは〜

樹里

第1話 岬悠(前)

長らくの梅雨が明けて、久しぶりの快晴だった。

2年ぶりくらいに高校時代の仲間から連絡を受け、同窓会ではないが、遊びに出てこないかという話が来て、珍しくそれに乗っかったあの日。


電車でいくつか先の駅に向かって、そこで待ち合わせた懐かしい顔の数人とどこにでもある喫茶店に入った。


そこで仲間の一人が持ってきたお出かけガイドなる物を広げながら、あまり出費なく遊べる所を探していた時から、ずっと『彼ら』はいた。

店の中にも、外にも。

普段見ないような数の亡者たちに、ああ嫌だな、と思いながら、あまり気にしないようにしていた。

奴らは、こちらが視えるのだと分かると途端に集まってくるからだ。


今にして思えば、あれはある意味警告だったのかもしれない。


店外から絹を裂くような悲鳴が響いたのは直後だった。

何事だと、誰も彼もが動きを止める。

喫茶店の男性店員が様子を見に外に出て、何を見たのか足をもつれさせながら恐怖に引き攣った顔で戻って来ると、足下の自動ドアの電源を落として鍵を掛ける。


そして店内のスタッフに警察への通報と、すぐに裏口も閉めるよう指示を飛ばして、窓際に座る客へはすぐにそこから離れてと叫ぶ。


何が何だか分からず、しかし数人の客が言われた通りに席を立った直後、窓へ血にまみれたサラリーマンがへばりついてきた。

開けてくれ、助けて、と窓を叩くサラリーマンの右耳は無かった。

騒然となる店内で、誰も、もちろん岬も動けなかった。


バンバン窓を叩いていたサラリーマンが突如消えた。

横から、別の誰かに飛びかかられたのだ。

一瞬の後に絶叫。

窓にびしゃりと血が飛び散って、初めて店内で悲鳴が響いた。


慌てて男性店員が客に見せないようにと日よけのカーテンを引き下ろす。

その瞬間、岬は先ほどから異様な程に見掛けていた亡者たちが、窓の外に一列に並んでこちらを指差して嗤っているのに気付いた。


そこからはどうだったか。


戦う術も、ゾンビが何なのかも分からなかったから、岬には何も出来なかった。


店のガラスを破って雪崩込んできた死人の群れにも、それらに捕まって助けを求めながら貪り喰われていく誰かがいても、自分を守るので精一杯。


気付けば岬はスタッフルームにいて、他に三人。

女性店員と、まだ小さい子供と、その子の母親らしき女性。

岬は共にいた友人達とははぐれた。

逃げようとして、転んだ女性店員を見てしまったのだ。


そのまま見殺しに逃げたって誰のせいでもない。

実際誰も他人の事など見ていなかったし、気付いていても助けになんて行かない。

その状態で、岬は思わず踵を返してしまった。

後ろから岬を呼ぶ友人たちの声がする。

それに振り返る余裕もなくて、先に行けなんて叫んだ結果がこれだ。


格好なんてつけるからだよ、馬鹿野郎。


店員を引っ張り起こして、そこから更に逃げ遅れて店の隅でしゃがみ込んで怯えていた親子も拾って何とか店員が開けたスタッフルームに転がり込んだ。


この扉一枚向こうの惨状など考えたくもない。


せめて友人達は安全な場所に逃げ込んでいてくれないだろうか。

誰かから連絡があるかも知れないとスマホを頻繁に確認し、何人かには安否のメールやラインを送ったが返信どころか既読すらつかない。


いや、それより助けを、警察を呼ばなければ。

そう思う反面、そもそも機能しているのか、と冷静な部分の自分がいる。


これだけの騒ぎで、パトカー1台走らない。

消防も、救急車も恐らく走っていない。

サイレンがちっとも聞こえやしないのだ。


緊急の放送すら流れなかった。


110番にタップしようとした指が震える。


どうしよう。

もし電話をして、誰も出なかったら。

どうしよう。

もし、生きている人間がここにいる4人だけだったら。


そう思いながらも、他に頼るべき宛もいない。

誰か出てくれ、と願いながら何とか数字を押して、藁にも縋る思いで耳にスマホを押し当てる。


しかしそこから聴こえてきたのは温かみのある人の声ではなく、回線が混み合っています、という淡々とした機械のそれだった。


ああ、くそ。

きっと一人きりだったら舌打ちして、苛立ちのままにスマホを投げていたかもしれない。

辛うじて岬にそれらを思い止まらせたのは、同じ様に怯えている他の人間がいた事と、大切な連絡機器を自ら潰してはならないと、ギリギリで堪えられたからだ。


落ち着くために数度深呼吸。

よし、よし。

まだ大丈夫、まだ冷静に判断が出来る、大丈夫。

言い聞かせて、次を考える。


武器どころかここじゃあ食べ物や飲み物すらない。

立て籠もるにしても限界はある。

外に出るにも窓は換気のためだけのそれなのか、子供でも通れないような小ささで、更に内柵が付いている。

スパイ映画よろしく、通風口は、なんて思いもしたが現実的ではないと諦める。


扉の向こうは見えない。

どうなっているんだろう、と、そっと扉に寄る。

後ろから店員が押し殺した声で制止してくるが、それに喋るなと指を自分の口に当てて黙らせる。


何も開けるわけじゃない。

扉に耳を寄せる。


ズル、ズル、と引きずりながら歩く音がする。

呻く声がする。

痛い、痛い、食べないで、もう殺して下さい、と啜り泣く誰かの声がして、それに被るようにブチブチと何かを千切るような、クチャクチャと噛むような音がする。


ダメだ。

出れない。


ばくばくと激しく鳴る心臓の音が扉の向こうにまで聞こえてしまう気がして、そぉっと離れる。


大丈夫そうですか、と女性店員がメモにペンで走り書きしたそれを見せてくる。

ふる、と首を横に。


ああ、と母親の方から絶望に満ちた息が漏れた。


それを貸して、とメモとペンを寄越す様に手を差し出し、それが渡ってから聞こえた情報を書く。


扉の側にいるが、まだここに気付いた様子ではない。

誰かが襲われているが多分もう手遅れ。


子連れの手前、もう少しオブラートに書こうかとも思ったが、気を遣ったところで結局なにも変わらない。


雑ではあるが、記されたそれに、店員が青褪める。


何か壁に出来そうな物は?

と付け足すが、店員はふるふると首を横に振る。

だろうな、と思い分かったと頷きながら、岬はメモとペンを店員に返した。


ざっと見た感じ、良くて隅に積まれている雑多な物が詰め込まれた段ボールくらいだ。

それすら恐らく中身に重量のある様な何かが入っている風には見えない。

壊れて使われてないハンガーや、期間限定のドリンクセット、と書かれた幟旗が丸められているくらいだ。


気休めのバリケードもどきにすらならない。


壊れたハンガー片手に飛び出して、強行するしかないかな、と半ばやけくそ気味になり掛ける。

まぁ無理だろうな。

良くて一人二人殴って転がせても、それだけ。

きっと直ぐに押し負けて全員死んでおしまいだ。


どうする、どうしたらこの状況が好転する?

いや、好転は望み過ぎだろう。

そこまでは求めない。求めないから、頼むよ神様。

せめて店の中にいる人の形をした死を、他所にやってくれないか。

そしたら後は自力で頑張るから。

頼むよ。


いるかも分からない神様に祈る事など、死ぬまでただの一度も無いと思っていた。


みんな死ぬよ。


耳元で、誰かが囁いた。


ギョッとして仰け反る。


顔を向けたそこに、首の肉を骨ごとごっそり抉られて、ぺったりと顔が肩にくっついている亡者がいた。

白いブラウスを赤黒く染めた、女性だ。

真っ暗な眼窩から、ぼたぼたと血を流して立っている。


みんな死ぬよ。

私が死んだみたいに、みんな死ぬよ。

食べられて死ぬよ。

痛いね、怖いね、死にたくないね。

食べられたらアレと同じになるよ。

噛まれたらアレと同じになるよ。


嫌ならあの親子を放り出せ。

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