第7話 アルスとの旅立ち

 出立の朝、屋敷の門前に一家と使用人たちが集まった。


 最初に口を開いたのは父・ビンゴだった。


「ルーナ。お前の決断を、父としても領主としても誇りに思う。だが忘れるな。どれほど遠くへ行こうとも、お前の帰る場所はここだ」

「はい、お父様……ありがとうございます」


 ルーナは深々と頭を下げ、その瞳に力強い光を宿した。


 それからビンゴは、懐から小さな銀の笛を取り出した。

 長い年月を経た鈍い輝きは、ただの装飾品ではなく、家の誇りであることを物語っている。


「これはダックリバー家に代々伝わる家宝の笛だ。本来は成人を迎えた者に託すものだが……今こそお前に持たせる時だろう」


 笛を両手で差し出す父の眼差しは、厳しさの奥に深い慈愛を宿していた。


「ルーナ。どこへ行こうとも、この音色がお前の心を支えるはずだ。そして、必ず帰ってくる証となる」

「……こんな大切なものを……! ありがとうございます、お父さま!」


 胸の奥に熱いものを感じながら、ルーナは両手で笛を受け取った。


 銀の笛は彼女の掌の中でひんやりとした重みを放ち、それが家族の想いそのものだと直感できた。


 ルーナは静かに首元へ笛を掛ける。

 小さな音を立てて鎖が揺れ、銀の笛が胸に落ち着いた。


 まるで彼女の旅立ちを祝福するように、笛は一瞬、光を返した。


「お父さま……必ず、この笛を無事に持ち帰ります」


 そう告げたルーナの視線がふと横に向く。

 そこには、じっと彼女を見つめるアルスのつぶらな青い瞳があった。


『……ルーナ。それ、すっごく似合ってるよ』


 不安げだった瞳に少しずつ笑みが戻り、アルスは大きな頭を擦り寄せてきた。


 ルーナはその頬に手を添え、力強く頷いた。


 続いて母・ステラが歩み寄り、扇を胸に当てて言う。


「母としては、危険な旅に送り出すのが辛くてなりません。でも……あなたが選んだのなら止めはしません。ただひとつ、無茶だけはしないと約束して」

「ええ、必ず守りますわ」


 ルーナが微笑むと、ステラは目を伏せながらも安堵の息を洩らした。


「ルーナ!」


 感情を抑えきれないララが、思わず駆け寄る。


「あなたが危ない目に遭うなんて、考えただけで胸が張り裂けそうですわ! でも……もう決めたのですね?」

「はい、ララお姉さま」

「……ならせめて、必ず無事で戻ってきて。今度は旅の話をたっぷり聞かせてちょうだいね」


 ララの瞳に涙がにじみ、ルーナはそっとその手を握り返した。


 一方でラビィは腕を組み、冷ややかに告げる。


「正直、まだ認めたくはないわ。巨体の魔物を連れて旅に出るなんて、愚かに思えてならないもの」


 厳しい言葉に場の空気が張り詰めたが、ラビィは小さく息を吐いて続けた。


「……けれど、あなたの目を見れば、もう誰も止められない。せめて愚か者にはならないように」

「ラビィお姉さま……はい、肝に銘じます」


 その空気を和らげるように、婿養子オスカーが穏やかに言葉を添える。


「君の勇気は本物だ、ルーナ。だが勇気と無謀は違う。どうか恐れず、しかし油断もせずに。私たちはここで無事を祈っている」

「ありがとうございます、オスカー義兄さま」


 そして、メイドのナミがトランクを提げて一歩前に出た。


「お嬢様……わたくしもお供いたします。ずっとお世話をしてきたわたくしが傍にいなくて、どうして安心して旅立てましょうか」

「ナミ……! 本当にいいの?」

「はい。これはわたくしの意志でもあります」


 ルーナの頬を伝う涙を、ナミがそっとハンカチで拭った。


 こうしてルーナは家族に見送られ、ナミとアルスと共に、新たな旅へと踏み出したのだった。


 ルーナはまずアルスの頭にちょこんと乗った。


「ナミ、あなたも乗るといいわ」

「お嬢様、しかし……」


 ルーナに促されても、ナミは巨体に近づくのを躊躇う。


「大丈夫よ、アルスは怖くなんてないわ。ほら」

「キュイ~」


 アルスが愛嬌たっぷりに鳴くと、ナミはふっと微笑み、ルーナの手を取ってアルスの背に上がった。


「そうですね……分かりました」


 二人が並んで腰を下ろすと、ルーナは胸を張って叫んだ。


「それじゃあ――出発!」

『おー!』


「……お待ちください。まず、どこへ向かうのか決めていらっしゃいますか?」

「……あ」


 ルーナが間抜けな声を出すと、ナミは深いため息をもらした。


「やはり考えておられませんでしたね。まずは東へ進み、王都を目指すのがよろしいかと。補給も情報も揃います」

「王都!」

『おーと?』


 ルーナの目は星のように輝き、アルスはきょとんと首をかしげる。


「王都ってね、この国で一番大きくて賑やかな都なの。王様もそこに住んでいるのよ」

『……おいしい魚もある?』

「もちろん。ここでは手に入らない魚だってあるはずよ」

『わーい! 楽しみ!』


 興奮して巨体を弾ませるアルスに、ルーナとナミは思わずしがみついた。


「ちょっと、アルス! 急に動いたら危ないでしょ!」

『ご、ごめんなさい!』


 ナミは苦笑しつつ、姿勢を正す。


「……目的地も決まりました。では、改めて参りましょうか」

「ええ。それじゃあ――出発よ!」

『よーっし!』

「スピードはゆっくりでね」

『はーい!』


 アルスが宙を泳ぎ出す。屋敷や家族の姿が小さくなり、港町の喧騒が遠ざかっていく。


 こうしてルーナたちは、王都を目指し新たな旅路へと踏み出した。

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