Prolog 2

 そして、二日後の午前五時。

 辺りは暗く、街灯が爛々と街を照らしている。

 高台に位置する覇山邸はどこの誰から見ても優美な洋館であり、いつ何時でも近寄り難い雰囲気を醸し出している。

 良くも悪くも周りとの毛色があまりにも違う為、どこか異質にすら感じられ、人々は近づこうとしなかったのだ。

 旋は家の誰にも気づかれぬように廊下をゆっくりと歩いていく。

 一般的な民家よりも圧倒的に長い廊下。そんな場所を物音ひとつたてないとなると、とてつもない集中力が必要になる。

 順調に思われ、とある部屋を横切ろうとしたその時。

 ガチャリとドアが開く。

 ドキリとしながら横を見るとそこには寝巻き姿の凛が立っていた。


「何処へ行かれるのですか?」


 数年ぶりに聞く凛の声は六歳の少女とは思えない程に落ち着き払い、大人びていた。


「い、いやトイレに……」


 咄嗟に出た言葉は人を騙すには苦しすぎる言い訳であった。

 旋の部屋は反対側で、トイレもすぐ側にある。


「そうですか。暗いので足元にお気をつけください」


 しかし、返ってきたのは思いもよらない言葉であった。


「あ、ありがとう……ございます……」


 凛にとっては自分など取るに足らない存在であり、昨日の天気と同じぐらい興味のない存在なのだろう。

 朝の静けさがやるせなさを助長する。

 旋が何も言えなくなっている間に凛は自室へと戻って行った。


「凛……」


 旋は無慈悲に閉まるドアを眺め、数十秒その場で立ち尽くしていた。


 ─────────────────────


 玄関を抜け、外に出る。

 無駄に立派な門の前には既に圭が荷物を抱き、膝を抱え待っていた。


「……おう。おはよ……」


 旋に気がついた圭は眠い目を擦り、立ち上がった。


「ごめん待ったよね」


「……んゃ? 平気平気……じゃ行こ」


 圭は寝足りないのか目をすぼめる。


「行ってしまわれるのですか?」


 旋と圭がギョッとして振り返ると、そこには裸足のままの凛が立っていた。


「り、凛様。お身体に触ります。お部屋にお戻りください……!」


 圭は旋と話す時とは違った口調だ。

 何を隠そう圭は人によって態度を変えるタイプだ。


「兄さん。何処へ言ってしまうのでしょうか」


 凛は圭に見向きもしないで旋に言った。

 魔眼によって左右で違う綺麗な目を潤ませて凛は旋をじっと見つめている。


「……知ってたんだ」


「圭がよく話してくれたので」


「……そうか。俺はここを出ていく。この家には俺の居場所がない。親父が、覇山が俺を必要としないように俺も覇山を必要としない」


「……そうですか。それなら仕方がないですね」


 もう一悶着ぐらいあっても良いと思うのだが、六歳の妹にそんなこと期待するのも酷だろう。

 旋はその場にかがみ、凛の目線の高さを同じにする。


「ああ。住む世界が違ったってやつだ。……兄貴として何もしてやれなかったことは申し訳なかったと思っている。凛、お前は俺と違ってすごいやつだ。将来きっとお前は日本の未来を担う。そんな存在になっているはずだ」


 すると凛はキョトンとした顔をして


「になう……ってなんですか?」


「担うってのは……うーんなんて言うか……みんなの代表みたいな……弱い人の代わりにやってあげるみたいな……難しいな」


「だいたい分かりました。私が全部担います」


 凛は寝巻きの裾を掴む。


「きっとこれからもうダメだって思うことがあると思う。そんな時は自分の直感に従う……自分がやりたいようにやるんだ」


 旋は立ち上がり、圭に向き直す。

 圭はジト目気味で旋を睨んでいる。


「……じゃ、じゃあ最後にサヨナラのハグをしよう」


 旋が腕を広げると凛が思い切り抱きついてきた。

 人生最初で最後の妹とのハグだ。

 朝の冷気に当てられ、末端こそ冷えてはいるが、それでも生命の温もりを感じる。


「凛様。私は旋様を無事にお送りするだけです。その後は必ず戻って参りますのでご心配なさらないでください」


「……はい」


 凛との別れを噛み締め、旋と圭は覇山邸を後にした。


 ─────────────────────


「……しかし、俺と凛とでは話し方が違うんだね」


 圭はバツの悪そうな顔をして、頬を掻く。


「ま、まぁな……世話係になってから直すように言われたんだよ石崎に」


 石崎とは古参の執事のことだ。

 死んだ先代の当主の頃から務めており、厳しいと評判である。

 旋自身も礼儀作法を指導してもらったことがあるが、あまりの鬼教官ぶりに記憶が抜け落ちている。


「石崎はすげえぞ。あいつの特技知ってっか? モノマネなんだよ。ただのモノマネじゃなくて雰囲気がすっげえ似てんだ」


 圭がやや興奮気味に話す。


「人の事しっかり見てるんだなって感じがするよな。尊敬するぜ」


「……それで、圭の実家は確か……天霊駅の近くなんだっけ?」


「おう。……っても最寄りがそこってだけで十分十五分は歩くんだけどな」


 二人は覇山邸からの坂道を下り、天霊町へと降りて行く。

 西東京の東東京寄り、都会とは言い難い町、天霊町。

 現在、日本に公式に登録されている魔術師は約三千人。

 その仕事は町の平和を影から守ることである。

 その区市町村に二人から三人程の担当魔術師が常に駐在しており、無許可での魔術の使用をした者の対処を行っている。

 覇山はこの天霊町の管轄である。

 だが、その担当も直ぐに外れることになるだろう。

 覇山凛の誕生によって覇山の評価が上がることが予想されるからだ。

 評価の高い魔術師は市区町村という枠組みから外れ、応援要請のみで動く、言わば自由に活動の出来る魔術師に昇格する。

 覇山がその『魔術師』に昇格するのは約十二年ぶりとなる。


「圭は俺のこと話してくれているんだよね?」


 念の為に尋ねる。

 話を通していなければ早朝に急にやってきたはた迷惑で、図々しく家に住み着くヤバいやつというレッテルを貼られる可能性があるからだ。


「当たり前だろ……ふぁあ……まぁちょっとだけ反対されたけど、なんとか説得したから平気平気」


 欠伸をしながら圭は言う。


「ならいいけど……」


「心配ばっかすんなハゲるぞ。ほらもう見えてきたぜ」


 と、約三十分程歩いた先に圭の実家が見えてきた。

 閑静な住宅街に位置する圭の実家。

 第一印象は普通の二階建ての一軒家である。

 所々に改築された跡が残っており、彼女の両親にとっても、彼女にとっても思い入れの深い家であると感じられる。


「鍵開けっからちょっと待ってろ」


 圭はポケットやカバンや果てには靴の中を探し始める。

 ……おい、忘れてないよな?


「そ、そういえば……レストランは何処なの?」


「それならこの家の裏だな。……鍵探してる間に見てきてもいいぜ。てか見てこい」


「……はい」


 旋は圭に促され、半ば強制的に店に向かわせられる。

 住宅街であるので回り込まなければならないところが難儀な部分だ。

 でかでかと『あじじまん』と書かれている店の前に到着した。

『あじじまん』が目印だと圭は教えてくれていた。

 シャッターで閉められているその店はどこか哀愁を漂わせている。


「は!?」


 思わず声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。

「うるせぇぞ」と、圭が塀を乗り越え、こちらへと向かってくる。

 旋は口から手を離し、震える指でシャッターを指差す。


「ったく、なんだってんだよ」


 そこには紙が貼ってあった。

 暗くてよく見えず、目を凝らしてみると、そこには、大きな文字で『閉店』と、書かれていた。


「……はぁ? ちょ……ちょっと待ってよ……」


 圭はシャッターから紙を無理矢理剥がし、駆け出したかと思うと、慣れた様子で塀を乗り越えた。


「圭!?」


 旋は慌てて圭の後を追う。

 圭は家の鍵を開け、ドタバタと音を立て、二階へと上がって行く。

 圭の実家はしっかりと整理整頓がなされており、清潔な印象で、他人の家特有の何となく嫌な感じがしない。

 旋も同様に階段を登って行く。

 すると、階段を上がった先の部屋の直ぐ前に圭が佇んでいた。


「……いない」


 圭がそう呟く。


「いない! いないんだよ! 今日来るって言ったのに! なんで!? なんでだ!?」


 取り乱しているのか顔を手で覆いながら、手のひらの中で叫ぶ。


「さ、散歩に出てるのかもしれない。俺たちが早くに着きすぎて間に合わなかったのかも……布団は……あ、靴! 靴がなかったら外行ってるって証拠にならないかな!?」


「そ、そうか」と、圭は忙しなく玄関へと向かう。

 その間に旋は二人が寝ていたと思われるベッドを確認する。

 ごくごく普通のダブルベッドの上には布団が丁寧に敷かれており、直前まで人が寝ていたという気配はない。


「暖かい……けど、人がいたって感じじゃないな」


 旋はぐるりと部屋の中を見回す。

 なんてことのないただの寝室だ。

 窓の外を確認するが特に手掛かりとなりそうなものは何もない。

 窓枠を指で擦る。


「……埃じゃない。土か?」


 青臭い土が何故か窓枠に付着していた。


「旋くん! 靴なかった! やっぱりどっか散歩にでも行ったんだ!」


 圭が少しだけホッとしたような顔をして戻ってきた。

 しかし、圭も旋も一抹の不安が心の中に残っていた。

 ──じゃあどこに行ったんだ

 と。


 ─────────────────────


 旋と圭は誰もいなくなってしまった家の中で今後どうするべきかを思案していた。

 その時、ふと旋が出窓から庭の方へと目をやると、庭の端に木の苗が二つ植えられていることに気がつく。


(桜の苗木かな? この庭の大きさ的に平気だろうけど珍しいな)


 気になった旋は圭に庭の苗木について尋ねる。


「ねぇ圭。あの桜の苗木ってなんの種類なのかな?」


 圭は 「桜?」と言ったと思うと出窓に近づき、庭をまじまじと眺める。


「…………さくら……桜ね桜。知ってる知ってる」


「どうした圭?」


 圭の口調に違和感を覚える。


「いや、知ってる。知ってるんだけど……うーん


「なんだよ気になるじゃん」


「あー……なんて言うかなぁ存在は知ってたんだけど……いつそれを知ったのかを知らないんだ」


 圭も自分で言っていて違和感なのか納得のいっていない顔をしている。


「どういう経緯で、誰が買ってきて、誰が埋めたかってのは知ってるんだが……情報として誰が教えてくれたのかが思い出せない」


 旋は嫌な予感がし、庭へと駆け出す。


「お、おい旋くん?」


 旋は苗木の下を手で掘り返す。

 そんな訳がないと、そんなはずはないと、安心するために。

 爪の間に土が入り込み、不快な気分になる。

 掘っている間、圭が近づいて来る気配はない。

 五十センチ程掘り進めた時、土とは違った嫌な感触が旋の両手に伝播した。

 人の髪の毛であった。

 全て合致した。

 覇山の魔術『響花』は触れたものを植物に変える能力を持っている。

 ものが大きければ大きい程、進行は遅く、植物の成長が遅くなる。

 人の身体が完全に植物になるまで約三十分。

 つまり────


「まだ近くにいる……」


 圭に知らせないと、魔術師が覇山がまだ近くにいると。

 恐らく、この桜の木になってしまったのは圭の両親だ。こうなってしまった以上、彼らを救うことは旋には不可能だ。


「圭! ここから離れろ! 今すぐ!」


 旋は彼女の名を叫ぶ。

 ここはもう既に安全な場所ではなくなってしまっていた。

 否。そもそも覇山の管轄の街である以上、安全な場所などこの街にはどこにもなかったのだ。

 圭は旋の尋常ならざる雰囲気を察したのか急ぎ足で家の中へと戻っていく。

 旋もそれに続き、遠くへ逃げる為に部屋の中へと戻ろうとしたその時。

 背後からとてつもない殺気に襲われ、振り返るとそこには───

 般若の面を被り、全身黒で統一された魔術師が、今にも旋に刀を振り下ろさんとしていた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る