第2話
扉の向こうから、衣擦れの音が近づいてくる。
心臓が早鐘を打ち、喉が渇いた。
今、アルベルト様にお会いしてしまったら、私……。
心の準備が間に合わぬまま、無常にも控え目なノックの音が響き、王妃とアルベルトの来訪を告げられる。
リリアーナは慌ててベッドの中へと潜り込み、上擦った声で返事をした。
「ど、どうぞ……」
重厚な扉が静かに開く。
入ってきたのは、絹のドレスを纏った気品ある女性と、その傍らに寄り添う小さな少年。
王妃殿下。そして、幼い第一王子アルベルト。
――未来で私が愛し、そして傷付けてしまった人。
あぁ……本当に初めてお会いした五歳の時のお姿だ。
アルベルトは背筋を伸ばし、緊張した面持ちで王妃の背後に隠れている。
時折こちらを伺うその瞳は、幼いながらも王子としての気品を漂わせているが、まだ少年らしい柔らかさが残っていた。
その姿を見ただけで、胸の奥が苦しくなる。
「リリアーナ、病み上がりにすまない。さぁ、お前の可愛い顔を見せておくれ」
王妃の声は、優雅にして落ち着いていた。
――あの方の慈愛に満ちた声さえ、私は前世で裏切り、失望させてしまった。
その罪を思い出し、胸がきゅっと締めつけられる。
「……っ」
喉が詰まりそうになる。だが、今度は違う。
ベッドから身体を起こし、深く礼をした。
「お会いできて光栄です、王妃殿下……そして、アルベルト殿下。ベッドの上からで失礼致します」
幼い声が震えてしまったが、それでも必死に気持ちを込める。
王妃が目を見開き、そして微笑んだ。
隣のアルベルトも驚いたようにこちらを見つめて──その頬が、ほんのり赤くなった。
「まあ……リリアーナ、あなた……随分と礼儀正しくなって」
王妃が驚きと喜びの混じる声を漏らす。
前世では、この場面で私は拗ねたように顔を背け、幼いながらも公爵令嬢の傲慢さを見せつけていたのだ。
「リリアーナ……」
アルベルトが小さな声で名を呼ぶ。
母の背に隠れながらも、そっとこちらに向けられたその視線に、私は胸を射抜かれた。
未来の彼の凛々しさを知るからこそ、今の柔らかな声が胸に響いた。
私はぎゅっと拳を握りしめる。
(アルベルト様……、今度こそ私は、あなたに相応しい淑女になります)
こうして、運命を変えるための第一歩が、静かに幕を開けたのだった。
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