逆行した悪役令嬢は、善行ライフで贖罪する

濃厚圧縮珈琲

第1話

 ──断罪の鐘が、冷たい大気を震わせた。

 石畳の広場に集まった群衆は、押し寄せる波のようにざわめき、処刑台の上に立つ私を、好奇の目で見上げていた。


 人々はひそひそと罪人を蔑む言葉を交わし合い、これから死に行く愚かな女がどのような苦悶の表情を浮かべるのか、黒く歪んだ笑みを浮かべている。


「リリアーナ・ヴァルトハイム。お前は、第一王子殿下の元婚約者でありながら、私情でその御身を傷付け、害そうとした。王家への反逆!万死に値する!」


 判事の声は氷の刃のようで、彼から吐かれる言葉の一つ一つが胸を貫いた。  

 それでも反論など、一言もできない。できるはずもない。

  

 何故ならこれは……紛れもなく、私自身が選び取った結末なのだから。


 視線を上げれば、処刑台を見下ろすように櫓の上から私を見下ろす、あの人の姿があった。


 蒼穹のように澄んだ瞳を曇らせた第一王子アルベルト殿下は、その腕の中にひとりの少女を抱きしめていた。


 セシリア。

 

 出自は卑しくとも、真っ直ぐで、心優しい娘。

 

 私は突然現れた彼女を、まるで気にも留めていなかった。数多くいるただの木っ端の一欠けらだと。

 

 それでも、彼女は私の持たぬ輝きを秘めていた。

 

 アルベルト様が、私には見せない微笑みを向けられた。それが憎くて……。


 けれど今、その彼女が殿下に抱きしめられ、震える肩を必死に押さえていた。

 涙で濡れた美しい宝石のような瞳は、痛ましげに私を見上げている。


 ――どうして。

 

 どうして、そんな顔をするの?あなたは勝ったのよ。私を打ち倒し、殿下の愛を勝ち取ったのに。


 ……でも、違う。

 その瞳は、勝利の喜びではなく、救えなかった悔しさと悲しみで揺れていた。

 まるで──自らが断罪されたかのように。


(あぁ……なんて愚かなの、私……)


 胸の奥が張り裂けるように痛んだ。

 これまで浴びせた嘲笑、押しつけた屈辱、そのすべてが刃となって逆に私を突き刺す。

 

 なぜ気づけなかったのだろう。

 

 殿下が私に向けていた優しさも、セシリアの差し伸べた手も。

 

 ただ、私を想う善意しかなかったはずなのに。


 私は嫉妬に狂い、愛という名の執着を盾にして、周りを傷つけ、ついには殿下をも……。


 もう枯れ果てたとばかり思っていた涙がとめどなく溢れ、頬を濡らしていく。


 処刑の日を迎えるまで、牢屋で自らの不運を嘆き、呪怨をまき散らしながら泣き喚いた時とは違う、後悔の涙。

 

 足元の板がきしみ、縄が首筋に食い込んだ。

 判事の声が響く。


「時は満ちた。──罪人を処す!」


 群衆の歓声が大きくなり、足踏みをする音が重なる。


「————ッ!!」


 セシリアが何かを叫ぶように口を動かしていたが、熱狂する人々の歓声でかき消され、何も聞こえない。


 ――ただ、彼女が涙を流しながらこちらへ手を伸ばしている姿が見えた。


 次の瞬間、板が外れる。

 

 冷たい空気が肌を叩き、身体が重力に従って下へ下へと落ちていく。


 首に絡みつく縄の圧迫。

 視界が白く弾け、肺が焼けるように痛い。

 最後に見えたのは、殿下がセシリアを庇うように抱きしめ、彼女が泣きながら私を見つめる姿だった。


 あぁ……こんな私を、まだ……


 後悔と愛惜が胸を灼き──意識は闇に落ちた。






 *       *       *






 ──ドサリ、と鈍い音が響く。


「……痛ったッ……!」


 私は床の上に転がっていた。

 息が苦しい。でもそれは縄で首を絞められているせいではなく、ベッドから床へ背中から落ちたせい。



 痛みに声を漏らせば、その声は甲高く震えていた。背中に走る痛みも、自重で骨や関節が伸びきった激痛ではなく、ただぶつけたような表面上の痛み。


 そして妙に……身体が軽い。


 自由の利かない短い手足。

 それは、まるで……子供の身体に戻ったかのようで。


「……え……?」


 混乱する頭で周囲を見渡す。


 見覚えのある自室……けれど、なにかが違う。

 壁の装飾も、家具の大きさも、すべてが妙に大きく見える。

 それは自分が縮んでしまったせいだと、直感で理解した。


 震える手を持ち上げる。

 小さくて、細くて、皮膚の下に柔らかな脂肪が残る子供の手。

 握り込むと、指の関節がぽきりと鳴るような頼りなさがあった。


 慌てて鏡へ駆け寄り、映った姿を見て、息を呑む。


 そこに映されたのは、処刑された十七歳の私ではなく──まだあどけない少女の顔。

 桃色がかった金髪は肩にも届かず、瞳は大きく澄んだ緑色。

 頬はふっくらと丸みを帯び、愛らしく桃色に染まっている。


「……五歳……の、私……?」


 信じられない。

 けれど、これは夢ではない。

 処刑の瞬間、私は時を遡ったのだ。



 思い出すだけでも胸が締めつけられる。

 あの時の殿下の瞳。セシリアの涙。

 全てが、私の心に刻まれて消えない。


「もう二度と……あんな未来にはしない……!」


 小さな拳を強く握りしめる。


 私は変わらなければならない。

 

 傲慢な公爵令嬢ではなく、慈悲深き善き人として。

 

 殿下を、人々を支える国母として。


 あの子が、セシリアが最後まで案じてくれたように、誰かの為に

 尽くせるように。




 ──その時、部屋の扉がノックされた。



「リリアーナお嬢様、殿下と王妃様がお見えです」


 侍女の声に、私は凍りつく。


 殿下と……王妃様が?



 そうだ、五歳の婚約の日……!


 あの日が、また訪れたのだ。


 震える胸を押さえながら、私は扉を見つめた。

 これは、再び与えられた運命。

 もう決して、過ちを繰り返すわけにはいかない。


 

 リリアーナの二回目の人生が、今再び始まろうとしていた。









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