第6話


 家の外からミノルの元気いっぱいな声が聞こえてきた。クママは窓からひょい、と首を出すと、

「ちょ、ちょっと待ってー!」

「準備、終わってないの?」

「終わってる! ああ、いや、今終わった! 水筒に水を入れていたんだ!」

「そっか。じゃあ、ここで待ってるね!」

 ミノルがカバンに入りきらなかったのだろう大きなノートを掲げながら叫んだ。

「うん!」

 クママはリュックにあれこれ詰め込んで、ひょい、と背負うと、家を飛び出した。

「クママ、服!」

「あっ! まだ着替えてなかった!」

「もう!」

 クママは家に飛び込んで、ドタバタと服を着替え、帽子をかぶった。

 鏡を見る。いつもの服を着たけれど、いつもの自分じゃないみたい。

「よ、よし。行くぞ!」


 森への道は、よく通るわけではない。けれど、つい最近、エレンが穴に落ちたときにも来た。だから、全然知らない道じゃない。それなのに、今日はなんだか知らない道を歩いているみたいにドキドキして、どこを見たらいいのかさっぱりわからない。視線があちこち泳いでしまう。クママはそんなドキドキを隠すように、いつも通りを装って、

「学校の宿題は全部終わったの?」

「うん。ほとんど」

「ほとんど? やってないのがあるの?」

「うん。でも、できないやつだったから」

「できない?」

「この旅のレポートを書けってさ」

 なるほど。確かにそれは旅が終わらないとできない宿題だ。

「マキさんのところへ行って、話を聞いて……。書くことはたくさんありそうだね」

「っていうか、ありすぎて困りそうだよぅ」

 ミノルががっくりと肩を落とした。

「そ、そう?」

「うん。だってさ、これ見てよ」

 ミノルはエレンに渡されたノートをぱかっと開いた。それから、

「ここには毒蛇がいるんだって。それで、ここには毒蜘蛛がいて――」

「えっ! ここって、そんなに危ない森なの⁉」

 そんな話、聞いてない!

 って、隅から隅までノートを見なかった、大きいノートを「これくらい全然平気だよ!」って預かれなかったぼくが悪いんだろうけど。

「毒を持った生き物がたくさんいるのは、みんなが知ってることだと思っていたけど……」

 ミノルが不思議そうな顔をして言った。

「えっ! みんな知っているの?」

「えっ! クママ、知らなかったの?」

「……うん」

 クママはしょんぼり。

「で、でも、あたしもあんまり知らなかったよ。いるって聞いたことがあったってだけ!」

 ミノルが言うと、クママは苦笑いをした。

「ほら! エレンの穴! この先から森!」

 ミノルが眉毛の間に力を込めて、真剣な顔をしながら、木が生い茂る道を指さして言った。クママはごくん、とつばを飲んで、穴を見て、これから進む道を見た。

「……クママ?」

「ん? ああ、なんでもない! 行こう、ミノル!」

「ああ、うん!」

 さっきまで隠せていなかった不安はどこへやら。力強く歩き出すクママに置いていかれないように、ミノルは強く街の地面を蹴った。


 振り返っても街がかけらも見えなくなった頃、クママとミノルはどちらが言いだすでもなく、お互いに手を伸ばして握った。

 震えているのはミノルの手? それとも、クママの手?

 たぶん、両方、と、ふたりは思う。

「えっと……ずっとまっすぐ?」

「ちょっと早いかもしれないけど、一休みして地図を見ない?」

「うん。そうしよう。迷ったらいけないし。それに、疲れる前に休んだ方がいいよ。たぶん」

「あ、あそこ! 切り株があるよ!」

 クママが指さした先には、ミノルが座るのにちょうどいい大きさの切り株がひとつ。

「本当だ! それじゃああそこで一休みしよう」

 ふたりはぎゅっと手を握りなおして、切り株へと歩き出した。


 握った手をはなすと、ミノルがよっこいしょ、とクママを切り株の上に乗せた。

「ミノルが座りなよ。ミノルにぴったりの大きさだよ?」

「クママが座りなよ。あたしは隣に座るから。そうしたら、一緒に地図を見やすいし。はい、それじゃあ、地図の確認!」

 ミノルはパカっとノートを開いた。クママはノートを覗き込んだ。よくよく見ようとしたら体はミノルに寄っていって、ミノルにぴとっとくっついた。ふたりは一緒に、これまで歩いてきた道を指でなぞり始めた。

「あ、ここ! みてよ、これ! この切り株、目印のひとつだったんだ! ほら!」

「本当だ! この切り株で一休みしてよかったね。ここで休んでなかったら、変な道に進んじゃってたかも」

「っていうかさ、最初の目印くらいはちゃんと分ってなきゃダメだったね」

「あたしたち、ふたりそろって確認不足だぁ」

「「あははははっ!」」

 確認不足は失敗かもしれないけれど、どうにかなってラッキー!

「それじゃあ、ちょっと水を飲んでから、奥へ進もう!」

「そうしよう! と、その前に。次の目印がどこかとか、いつ休憩をするかとか決めない?」

「いいね!」

 また同じ失敗をしたら悔しいし、またどうにかなるかはわからないからね。

「ここに花畑があるんだね」

「じゃあ、ここまで行ったら休憩しよう」

「うーん。ちょっと遠くない? 途中で何回か休もうよ」

「でも、あんまりゆっくりしていると、夜が来ちゃうよ?」

「……夜! 夜はどこで過ごす?」

「花畑の先に、小屋があるみたい」

「じゃあ、今日はそこを目指そう」

「それで、花畑までの間の休憩は? どうする?」

「じゃあ……こことここで!」

「オッケー!」

 あれこれ決めて、ゴクゴク、プハーッ!

 生い茂る木の葉の隙間から、太陽の光がキラキラキラ。

 切り株から、ぴょんと飛び降り先を見る。

「よし、行くぞー!」

「おー!」

 ふたりは腕を大きく振りながら、森の奥へと進んでいった。



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