一章05話 国家としての日本国

[newpage]#01 国家の定義と日本国

 国家の定義は、「永続的住民国民」、「一定の領土」、「政府主権」、三要素とされる。「政府主権」が、外交機能を有していることも、現在の国際法では必要とされています。


 縄文期初期、日本国の始まりは、複数の国家が、緩やかな連合体を形成していたとされます。出雲、日向ひむかエツ蝦夷エミシといった国々が、出雲を中心として、緩やかな連合国家を形成していました。

 勢力を伸長した日向ひむか瓊瓊杵尊ニニギノミコトが、出雲から国譲りを受け、建御雷尊タケミカヅチノミコトが東山道を東征し、諏訪で建御名方タケミナカタを屈服させて、日向ひむかによる国譲りを達成します。

 縄文期は、「永続的住民国民」、「一定の領土」、「政府主権」、三要素を保有する複数国家の連合体であり、「出雲」を中心として、山陰道、山陽道、東山道、北陸道、南海道、西海道、東海道が、影響下にあった。蝦夷エミシを中心として、関東から東北道にかけては、影響範囲外であったとされる。

 縄文期に、喜界カルデラの破局噴火(7300年前)が生じて、関西地方に大きな被害が生じます。日向ひむかが壊滅的な打撃を受けて、筑紫ヤマトに北上したのが、神話伝承期の鸕鶿草葺不合尊うがやふきあわせずのみことが、日向ひむかを離れて、筑紫ヤマトへ移住しています。


 縄文海進(6500-6000年前)と呼ばれる海面上昇によって、高地性集落筑紫ヤマトが、勢力を伸ばしていくと共に、日向ひむかへの国譲りが、筑紫ヤマトに継承されます。日向ひむかの地には、後に、熊襲クマソが移住します。

 紀元前660年皇紀元年に、神武帝が、筑紫ヤマトより東征し、畿内ヤマトが建国されます。米の水稲栽培が、筑紫ヤマトから畿内ヤマトに広がります。米は、量産と長期保存に向いた、救荒作物であり、水稲栽培の浸透が、筑紫ヤマト畿内ヤマトを中心とした勢力を拡大します。


[newpage]#02 畿内ヤマトの日本征覇と倭国大乱

 縄文晩期から弥生期に、大陸からの亡命者が増加し、寒冷化と疫病の発生によって、人口が急減します。崇神帝の御代に始まる、神社のフランチャイズ化による、氏神氏子の支配体制が確立され、畿内ヤマトの日本征覇がはじまります。

 倭国大乱と呼ばれる日本征覇は、倭姫倭比売命が「斎宮」を確立し、神の依代御杖代として、各地の氏神氏子の頂点として君臨し、将軍となって派遣された、皇族が各地域の神々として祀られていきます。卑弥呼は、皇女巫女ひめみこであり、倭姫ないし五百野皇女に同定されます。熊襲を征し、出雲の若建尊ワカタケルノミコトを斃し、坂東を征したことで、景行帝の御代から各地に、拠点となる国府国ノ宮が、各地に築かれます。

 倭国大乱は、神功帝の御代に、仲哀帝が崩御し、応神帝が即位するまで、大王オオキミ皇女巫女ひめみこを兼務した時代に、終焉を迎えます。


[newpage]#03 統治のための「漢字」採用

 記憶文明の縄文期から記録文明への移行は、日本征覇事業の中で、外来語の「漢字」を用いることで、徐々に移行していた。

 神代文字や刺突ハヂチを用いた、アメリカ先住民族のWampumと同様な、しるしによる記述方式は、各地で異なり、記憶文明の象徴として非公開記述方法であった。日ノ本全域で、同一の文字体系を確立するため、外来字である「漢字」が、記録文明の継承に用いられるようになった。


 日本国内で「漢字」の浸透は、「漢字」の音韻を用いた、「万葉仮名」によって、加速していく。


 日本国の確立は、神社体系の確立、国ノ一宮国府の設置である。国分寺と国分尼寺の建立で、「漢字」教育による、統治体制が確立する。

「古事記」「日本書紀」による、全国各地の神話伝承を上書きし、「祀ろう民」を確立する。

「風土記」による、各地域伝承の封印。

「漢字」を用いた、「万葉仮名」の記述によって、記録文明に遷移することで、記憶文明そのものを封印する。

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