第3話

 暗闇の中で意識が沈み、何も感じられなかった。

 だが、遠くで声がした気がした。


 ――起きろ。


 直樹は目を開いた。

 ぼやけた視界に、石造りの天井が映る。

 全身に鈍い痛みが走った。まるで体中を何度も殴られたようだ。


「……いって……」


 呻きながら上体を起こす。周囲は相変わらずの廃墟のような建物。

 黒い人影はもうどこにもいなかった。


 その時だった。


> 『――起きたか。』


「っ!?」


 突然、頭の中に声が響いた。

 鼓膜ではなく脳に直接届くような、不気味な声。


「だ、誰だ!どこにいる!?」


 直樹は慌てて辺りを見回す。しかし声の主はどこにもいない。


> 『私はここだ。……お前の中にな。』


「……な、何言ってんだよ。」


 直樹の心臓が大きく跳ねた。

 “自分の中にいる”――そんな馬鹿な。


 声は静かに続けた。


> 『追い出さないでくれ。事情があるんだ。』


「事情……?何のことだよ。」


 直樹は額に汗を浮かべながら問い返す。


> 『私は――影の神。かつて光の神と争い、敗れ、この地へと落とされた。』


 神。

 突拍子もない言葉に直樹は言葉を失った。


> 『私の力は、闇と影を操るもの。だが敗北した私は形を保てず、霧のように彷徨うしかなかった。人間や獣に宿れば存在を繋ぎとめられる。……だが私は地下のアンノウンに囚われ、人の姿を見つけられずにいた。』


「……それで俺に、入ったってことか。」


> 『そうだ。偶然、お前がここに落ちてきた。私は……救われた。』


 直樹は唇を噛んだ。

 体の奥に、この声の主がいると思うと背筋が寒くなる。


「中に入れておいて……何の得があるんだ?」


 問いかけに、声はわずかに笑うような響きを返した。


> 『単純だ。私の力を貸してやろう。』


 直樹の胸の奥が熱くなる。

 影が揺らめくような感覚が走った。


「……力を、貸す?」


> 『アンノウンの魔物を斬るには、お前一人の力では足りん。だが私と共にあるなら――生き残れる。』


 重苦しい声が、直樹の心を締めつけるように響いた。


 直樹はしばし黙り込み――やがて深く息を吐いた。


「……わかった。生き残るためだ。力を貸してくれ。」


 脳内に響く声が、低く笑った。


> 『契約成立だ。』


 その瞬間、胸の奥で何かが蠢いた。影のような力が直樹の血管を流れ、骨に絡みつく。熱く、だが心地よい衝撃だった。


「……まずは外に出たいんだが。」


> 『同感だ。』


「どうすればいい?」


> 『私の術を使え。影を飛ばして爆破させろ。反動でお前の体も外へ飛ばすのだ。』


「……なんか痛そうだな。」


 直樹は苦笑したが、やるしかないと覚悟を決めた。

 腕を掲げると、掌の周りに黒い靄が集まっていく。影が重なり、塊となり、黒い光を帯びた。


「……行けっ!」


 投げ放った瞬間、轟音と共に衝撃波が走った。

 建物の壁が崩れ、爆風に直樹の体が巻き上げられる。


 瓦礫を飛び越え、外の地面に転がり出た直樹は、咳き込みながらも立ち上がった。


「っは……はぁ……!」


 だが、安堵は長く続かなかった。

 建物の屋根から影が覆いかぶさる。


 ――巨大な狼が飛び降りてきた。


 先ほど戦った黒狼よりも二回りは大きい。

 真紅の瞳が直樹を射抜き、牙を剥く。


「やば……っ!」


 直樹は本能的に背を向け、逃げようとした。

 だが、その瞬間に声が響いた。


> 『逃げるな。こんな魔物など格下だ。』


「……格下?」


 狼の巨体を前にして、到底信じがたい言葉。だが、声には揺るぎがなかった。


 直樹は息を呑み、言葉を信じることにした。


「……じゃあ、どうやって戦えばいい?」


> 『念じろ。お前の腕に力を込めろ。影が応える。』


 直樹は左腕を強く握りしめた。

 その瞬間、地面に落ちる自らの影が蠢き、黒いエネルギーが腕へと流れ込む。


 黒い煙が渦を巻き、掌に凝縮していった。


「……これが、術……!」


> 『覚えておけ。影がある場所でしか術は使えん。だが――アンノウンは影に満ちた絶好の戦場だ。』


 狼が咆哮し、地を蹴った。


 直樹は全力で腕を振り抜いた。

 黒き奔流が矢のように走り、巨大な狼へ直撃する。


 ――ドンッッッ!!


 轟音と共に黒い爆炎が広がり、大地が揺れる。

 狼の巨体は爆風に飲まれ、黒い霧となって空中で弾けた。


 直樹はその場に膝をつき、荒い息を吐く。

 手の中で黒煙がまだ揺らいでいた。


「……すげぇ……」


 声が、静かに笑った。


> 『言っただろう。こんなものは格下だと。』


 直樹は息を整えながら、胸の奥に宿る存在の重みを改めて感じていた。

 影の神――その力は恐ろしいほどに強大だった。

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