No.1
Dr.にゃんこ
第1話
黒濱直樹は、体の奥から響いてくるような不快な痺れに目を覚ました。
細い電流が血管を流れているかのような感覚。痛みではないが、気持ちのいいものでもない。指先から足の先まで、小刻みに震えるようにピリピリとした刺激が走る。
「……なんだこれ。」
昨日までは何の異常もなかった。むしろ平凡な日常そのものだった。
だが今日――なぜか全身がざわめくように痺れている。
直樹はベッドから身を起こし、顔を洗って髪を整えた。鏡に映る自分の顔は、いつも通り少し眠たげで、どこにでもいる高校三年の青年にしか見えない。だが、体の奥では今も痺れが走っている。
階下に降りると、母親が出勤の準備をしていた。父はすでに家を出ているらしい。
トースターから取り出した食パンを片手でかじり、水で流し込む。胃袋は緊張で固くなっていたが、少しでもエネルギーを入れておかなければならなかった。
今日は――レジスタンス適性検査の日だった。
突如、世界に現れる“未知の空間”――アンノウン。
四角い黒い立方体のような領域は、どこからともなく出現し、しばらくすると消えていく。内部には人間に害をなす魔物が潜み、通常の人間が入れば即座に生命を奪われる。
だが稀に、“特殊な体質”を持つ者たちはその空間に適応できた。彼らは「レジスタンス」と呼ばれ、各国から探索者として重宝されている。
直樹はずっと、自分には無縁だと思っていた。
だが今朝の痺れは、何かの兆しのようにも感じられる。
「行ってきます。」
玄関で靴を履き、外に出ると、すでに同年代の若者が何人も同じ方向へ歩いていた。皆、今日の試験に向かうのだろう。
電車に乗り込むと、空気は張りつめていた。普段ならスマホをいじる者が多いが、この車両に限っては誰も画面を見ていない。窓の外の景色を眺めているか、ただ目を閉じて深呼吸している。
直樹も自然と呼吸を整えた。胸の奥にある緊張を吐き出すように、何度も。
やがて、巨大な建物が見えてきた。ドーム状の試験会場。外壁は黒い金属で覆われ、威圧的な雰囲気を放っている。
受付で名前を告げると、無言で腕輪が手渡された。銀色の金属でできており、中央には紋章のような模様が刻まれていた。
直樹が腕に装着すると、紋章が淡く光り出した。
「……ペガサス?」
羽を広げた天馬の紋章だった。
周囲を見ると、他の受験者たちの腕輪にも、それぞれ異なる紋章が浮かんでいる。獅子、蛇、剣、炎のような模様――一人ひとり違う。
ざわめきが広がる中、突然、天井のスピーカーから声が響き渡った。
> 『ようこそ、レジスタンス適性検査へ。
> 皆さんが装着している腕輪は、それぞれの素質と共鳴し、紋章を映し出しています。
> これより、同じ紋章を持つ者は指定の階層に移動してください。』
場内の空気が一気に引き締まった。人々は腕輪を確認し、掲示板に示された階層番号へと向かっていく。
直樹は「三階」と表示されているのを確認した。
「……三階、か。」
心臓の鼓動が早まる。階段を上るたび、体の痺れが強くなる。緊張のせいなのか、それとも――。
三階に到着すると、同じペガサスの紋章を持つ受験者が十数名集まっていた。
皆、不安そうな顔をしているが、その中には鋭い眼光を放つ者もいた。
試験官と思しきスーツ姿の男が現れ、低い声で告げる。
「これより第一段階の試験を開始する。内容は単純だ。“扉の先で待つ魔物を討伐し、生きて戻ってくること”。」
ざわめきが走った。いきなり実戦なのか――。
だが、誰も声を上げることはできない。レジスタンスの証明とはつまり、アンノウンの魔物に抗えるかどうか。それを試す以外に方法はない。
直樹の体が震えた。
それは恐怖か、それとも今朝から続く痺れの延長か。
扉が開かれる。奥は闇に包まれており、冷たい風が吹き抜けてくる。
「各自、武器を選べ。入口で貸与する。」
テーブルの上には剣、槍、弓、盾などの簡易な武器が並んでいた。直樹は手を伸ばし、ためらいながら一本の剣を取る。重さがずしりと掌に伝わった。
列をなして中へと進んでいく。
扉を越えた瞬間、景色は一変した。
そこは人工的なドームではなく、鬱蒼とした森だった。暗雲が垂れこめ、遠くから獣の唸り声が響く。
これが試験用の“模擬アンノウン”なのか――。
「くそっ……本当にやるのかよ。」
「怖じ気づくな、これに受からなきゃ一生ただの人間だ。」
周囲の声が交錯する中、直樹は自分の足が自然と前へ進んでいるのに気づいた。
痺れが、さらに強くなっていた。
指先から剣に力が流れ込み、刃がわずかに光を帯びた。
「……これって。」
その瞬間、茂みを裂いて魔物が飛び出した。
体長二メートルを超える黒い狼。赤い眼が直樹を射抜く。
「うわあああっ!」
誰かが叫び、剣を振るう。しかし弾き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
狼が牙を剥き、直樹に飛びかかる。
恐怖で体が固まる――だが痺れが全身を突き抜け、勝手に体が動いた。
剣を横薙ぎに振る。
刃が青白い光をまとい、狼の体を切り裂いた。
黒い霧のように消えていく魔物。
「…………!」
直樹は荒い息を吐いた。
周囲の受験者が目を見開いている。
「今の……力?」
剣を握る手は震えているが、それは恐怖ではなかった。
確かに何かが目覚めていた。
――レジスタンス。
今朝の痺れは、その力だったのだ。
直樹は剣を構え直した。
森の奥から、まだ複数の唸り声が近づいてくる。
「……やるしかない。」
背中に冷たい汗を流しながらも、直樹は前へ踏み出した。
その一歩が、自分の運命を大きく変えていくことを、彼はまだ知らなかった。
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