教皇外交録/聖十字と悪魔の盟約
木山碧人
第十章 マルタ
第1話 地中海
白教の総本山トルクメニスタンから、マルタ共和国まで約4000km。教皇の仕事も楽じゃねぇんだなって、この道中で実感したよ。なんせ、世界は【火】の概念が消失したばかりで、交通インフラはぐちゃぐちゃ。空路はアウトで、陸路は島国だから限界があり、最終的に行き着いたのは海路ってなわけだ。
「おえぇぇえええ……」
僕ことラウラ・ルチアーノは、地中海のどこかに胃の残留物を流し込む。天気は大荒れで、帆船は揺れまくり、三半規管がやられちまった。有り体に言えば、船酔いってやつだ。世界最大の宗教団体『白教』のトップを背負ってはいるが、自然の脅威には逆らえねぇ。ずぶ濡れになった白のローブを脱ぎ捨てて、もういっそのこと海に飛び込んで責任放棄したい衝動に駆られる。
「お背中お流ししましょうか?」
そこで筋違いな言葉をかけてきたのは、修道女イブ・グノーシス。同じく白のローブを着て、フードを深く被っている。その隙間からは、黒縁眼鏡と茶髪のボブヘアが見えてくる。本人に悪意も悪気もないんだろうが、いつもこんな調子で、どこかズレた会話を繰り返すのが日常だった。
「流すよりさすってくれ。このままだと着く前に参っちまう」
「仕方ありませんね。今日だけの出血特別大サービスですよ」
まただ。また会話が微妙に噛み合わねぇのを感じる。
どうも嫌な予感がしたが、流れに逆らえるほどの元気はねぇ。
「悩める子羊に主のお導きがあらんことを。闘魂注入……えーいっ!!」
「ばっ!! 殴れじゃなくて、さすれって言っただろう、が――っ!!」
成されるがままの状況で行われたのは、まさしく奇行。
イブは当たり強めの平手を背中に打ち、気合いを入れ込む。
そこからは、運とタイミングが悪かったとしか言いようがねぇ。
「――!!!!!」
ザバーンと高波が衝突し、船が大きく傾いた。
船側面の手すりにいた僕は、もろに影響を受ける。
放り投げられたように体はぶっ飛び、海に真っ逆さま。
その狭間で見えたのは、船の上で手を振っているイブの姿。
助ける気なんて一切なく、自分でなんとかしろと言わんばかり。
「いってらっしゃーい」
軽い掛け声と共に、僕は海にドボン。荒波に揉まれ、上下左右の感覚がなくなり、必死でもがこうとするが、潜っているのか浮かんでいるのか分からない始末。万全の状態ならどうにかできる自信があったが、体調は最悪。身体は間違った方向に舵を取り続け、ゴボゴボと無駄に酸素を消耗し、肺が引き攣り、視界は霞む。
「…………」
条件反射的に纏ったのは、意思の力。センスとも呼ばれる生命エネルギーを体表面に展開し、潜水服に見立てて、正気を保つ。どうにか抑えることができたのは、体温の減少と水圧だけ。海水を妨げることはできず、近いうちに溺れ死ぬ。
『……ラウロ・ルチアーノは生きてる、です』
『現実世界で、しぶとく生きてる僕を幸せにしてやってくれ』
死が目前に迫る中、 思い浮かぶのは動機。『未来からきた息子』と『亡き父』を見つけるという根源的な欲求を思い出す。そのために流された。目の前に起こる問題を一つずつ片付け、属する組織を移り変わり、ここまで来た。
(まだだ……僕は、まだ……っ!!!)
水深何メートルか分からない地点で、原点に至る。
死の狭間で生きる希望を見出し、ゆっくりと目を見開いた。
「…………っ!?」
海底と思わしき場所に見えたのは、都市。
薄い光のヴェールに包まれた人の営みが垣間見えた。
(なん、だ……これ……。海底に……都市……だと……?)
目を疑う光景を前に、溺れかけているのを忘れる。頭を巡らせ、知的好奇心の従うままに答えのない連想ゲームに躍起になる。どれぐらいそうしていたかは分からねぇ。時間の感覚なんてもんはとっくにないが、終わりはやってくる。
(駄目だ……。息が――)
タイムオーバー。そこで肉体的な限界を迎える。
救いの手が差し伸べられない海中で、僕は気を失った。
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