引っ越し

雲丹山ミル

引っ越し

「順風満帆!」

一人の女性が、新しくアパートの一室にやって来ていた

新たな家に落ち着いて、3~5日ほど経っているようだった

「事故物件かなーってくらい安かったのに、今のところ何もないし、いい部屋じゃんここ」

彼女が借りている部屋は、そのアパートの中でも特段に安かった

事実、日の当たりも良くなければ、風もあまり入らないような部屋だった

「これなら会社に行くのも余裕でしょ。彼氏でも呼ぼっかなー」

しかし、順風満帆な始まりだった


「おはようございます!今日からこちらに務めることになりました、春日井 遥香と言います。よろしくお願いします!」

遥香は、翌日には元気よく就職の決まった会社に来ていた

挨拶も受け答えもハッキリしていた彼女は、その明るい性格も相まって、早くもその部署に馴染んだ


「春日井さん、この辺は神隠しが多いから、帰りは気を付けてね」

先輩社員のその言葉に、物怖じもせずこう答えた

「ありがとうございます。でも、私は平気ですよ。アパートの部屋が事故物件みたいに安いのに、今のところそういう現象にあってないので!」

笑顔でそう返してきて、先輩社員は思わずたじろぐ

「そ、それは何か違うんじゃないかな…?」

そうして、苦笑いをして返すしかなかった


「春日井さん。今日は研修も兼ねてるので、定時で帰ってくださいね。他の皆さんも、終業時間になったらちゃんと帰ってくださいね。上から言われるのは私なんですから」

上司の言葉に、またハッキリと返す

「わかりました。ありがとうございます」

それと共に笑顔も忘れていないようで、その顔に上司は絆されたような表情をした


終業時間の17時半になると、その部署にいる社員の多くは帰り支度を始めた

当然、遥香も同じく帰り支度をし始める

そこへ、一人の女性社員が話しかけてきた

「春日井さん。今日はどうだった?」

支度をしながら、遥香は返事をする

「勉強になることばかりでした。学校だけでは偏った知識しか学べないんだと、今日しっかり知ることが出来ました。みなさんのおかげです」

声をかけてきた女性社員は、それが皮肉にしか聞こえなかったようで、足早にその場から離れてしまった

「?なんだったんだろ…」



アパートに戻り、遥香は一つの違和感を覚えた

「あれ。鍵、空いてる…?」

違和感だけでなく、不信感と不安感も出てきたのか、部屋に入るなりさっさと鍵を閉めてしまった


「でさ、この部屋がおかしいのか、アパートがおかしいのかわからないからさ、なるべく早めに部屋に遊びに来てくれない?」

『わかった。近いうちに遊びに行くよ。住所どこだっけ?』

彼氏と電話をして、部屋の異常さを伝えていたところだった

当の彼氏は、彼女である遥香の必死さに押されたのか、素直に答えた

『で?夜は楽しみにしてていいの?』

不意に彼氏に聞かれたそれに、遥香は当然困惑してしまう

「な、何言ってんの!?し、しばらくは会社あるから難しいって言ったじゃん!」

明らかに顔を赤らめて必死に説明をし、彼氏は『わかってるよ』と、笑い混じりに返した


「もー、すぐそういう話するんだから…」

お風呂の湯船に浸かりながら、遥香はそう呟いていた

だが、先程も今も、悪い気はしないような表情をしていた

「はー…明日も早いし、さっさと寝よ」

そう言って、体を洗い頭を荒い顔を洗い、お風呂を上がった


「明日、家出る前に罠仕掛けよ」

寝る準備をしながら、遥香はそう言っていた

会社から帰ってきたら部屋の鍵が空いていたのだ

当然、それなりの工夫をする

「何がいいかな?やっぱりセロハンテープかな…。いや、部屋にもなんか違和感あったから、何か物を動かしてるかもしれない」

そう考え、本来は出すはずのないゴミをまとめて玄関先に置いていた



「行ってきまーす…って、誰もいないけど」

『犯人が罠にかかってますように…』

昨晩置いておいたゴミ袋は、わざと持たずに部屋を出た



会社での業務が、今日も順調に終わったようで、昨日と同じ18時少し前に遥香は帰ってきた

そして、鍵の確認を怠らない

「また、空いてる…」

そうして扉を開けると、朝置いていたはずのゴミ袋がなくなっていた

「やっぱり、誰か入ってきてる。前の住民とか?でも、鍵交換済みって聞いたしな…」

不安が残りつつも、明日の会社のためにも、休むためにまた部屋に入り鍵を閉める


「すみません、部屋のことで相談がありまして…」

夕飯を食べ終えて、遥香は管理会社に電話をしていた

当然だが、部屋の鍵のことである

『鍵はしっかり交換しましたので、申し訳ありませんがこちらから出来ることはあまりないです。不安でしたら、昼間にもう一度電話を頂ければ、鍵屋の方に話を通します 』

管理会社の対応はしっかりしたもので、鍵屋との連携も取れているようだった

「わ、わかりました。また明日の昼に電話しますので、よろしくお願いします」

未だに不安が取れずにいるが、仕方なく今日も一日を終えるしかなかった



「おはようございます…」

朝、会社に着く頃には、心労も相まって顔色が良くなかった

「春日井さん、何かあったの?」

先輩社員の一人が、心配そうな顔をして聞いてきた

「あっ、えっと、じゃあ、午前の休憩時間に話聞いてもらえますか…?」

そう言う遥香の顔は、疲れながらも笑顔を忘れていなかった


「実は…」と話し始め、遥香はその心に秘めていた恐怖感や不信感も共に話していた

「それ、管理会社の管理不足なんじゃない?ほら、よく聞くよ、鍵の交換し忘れ」

「さっきも言ったじゃないですか。鍵は交換済みだって…」

遥香は昨日の電話のことは既に話していた

だが、先輩社員はこう返す

「僕も本当かどうか気になったから兄に来てもらったんだけどさ、兄が持ってた鍵と変わってなかったんだよ…」

この話を聞いて、会社に来た時よりも顔色が悪くなっていく

「ご、ごめん!怖がらせるつもりはなかったんだよ!」

そうして、恐怖、不安、不信、全てが合わさりすぐに管理会社に電話をした



仕事が終わり、アパートに着いて、遥香は鍵屋を見つけた

「あの、鍵屋さん、ですよね…?」

恐る恐る声をかけ、鍵屋の女性は振り向く

「はいそうです。鍵の交換で来ました。春日井さんで合っていますか?」

その返事に遥香は安堵して、部屋まで案内した


「この部屋です。お願いします」

少しの不安が混じっていたのがわかったのか、元気に鍵屋は返事をする

「わかりました!これが終われば安心できると思いますので、任せてください」

その言葉で、心の奥に潜んでいた恐怖心も和らぎ、今度こそ大丈夫だと言うような表情になった


鍵の交換が終わり、新しい鍵を渡された

「これが新しい鍵です。また何かあれば連絡くださいね。私は味方ですから」

笑顔でそう言われ、遥香は涙が出そうになった

「ありがとうございます。心強いです」

涙をこらえて、そう返事をした


部屋に入ると、やはり物が動かされていたのか、違和感があった

「なんで、仕事に出てからこんなことが…?」

不思議に思うのは当然だ

不思議に思い、不安になり、不信になり、心が壊れそうな恐怖に陥るのは、簡単なことだった

「私、何もしてないのに…」

今にも泣き出しそうな顔をし、崩れるようにクッションの上に座った


「ねぇ、早く来て、怖いよ…」

ご飯を食べお風呂に入り、遥香は彼氏と電話をしていた

『早く行きたい気持ちはあるけど、休みの日が二日後だから、行けるのはその日になるよ。心配だけど、もう少し待っててくれる?絶対に行くから』

彼氏がそう言うと、なんとか納得したような表情をした

「わかった。絶対来てよ?忘れないでね?住所もまた送るから…」

『うん、行くよ。だから、今日はもうゆっくり寝て休もう?通話、繋げたままで大丈夫だからさ』

彼氏の宥めが効いたのか、遥香はその後寝た



翌日、遥香は会社に連絡せず休んだ

当然会社から電話が行く

しかし、その着信音が途切れることはなかった


また翌日、彼氏が来るはずの日も、遥香は電話に出なかった

彼氏がアパートの前に立ち待つも、彼女は全く反応を示さなかった

アパートに住む人達は、不審に思い警察に電話していた


「彼女と連絡が取れないんです。今日会う約束をしていたのに、全く反応もなくて…」

彼の証言を信じ、警察が遥香の部屋に入る

その部屋の惨状を見て、彼氏は絶句した


部屋の全ての物がなくなっており、遥香がいた形跡すらもなくなっていた

だが、そこにはたしかに一つ証拠があった

遥香が何者かに抵抗した跡が、床から見つかった


警察は捜査をするが、手がかり一つなく打ち切りとなった

彼氏は嘆き、自死をした



一つ、その部屋にまつわる話があった

部屋に住むと、必ず消える

部屋の全てを消し去って、消える


そしてまた、その部屋に新たな入居者が現れる

何も知らないまま、また何処かに消えていく

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