A Boy Is a Gun
川上いむれ
第1話
その頃、僕は入院していた。僕は当時高校一年生で、ちょっとした交通事故を起こしてしまっていたのだ。命に関わるほどの怪我は負わなかったけど、一ヶ月程度の入院は必然的に覚悟しなければいけないとのことだった。
入院期間は本当に暇だった。僕はスマートフォンも持っておらず、無聊を慰めるものとしては文庫本や漫画が数冊枕元に置いてあるだけだった。僕は時々それらをぱらぱらと開き、それ以外の時間は天井の模様を眺めたり、窓の外をのぞいたりして一日を過ごしていた。ずっと病室にいる僕には窓の外の「普通」の景色は異星の光景のように見えた。
ただ、その「暇」さは退屈とはある種違ったものだった。あまりにも長い無為の時間のなかで、僕の世界に対する見方は少しずつ変容していった。それはある意味で面白いものであり、「暇だけど退屈ではない」時間を僕は数週間にわたり味わうこととなった。
ある日の事だ。いつもの看護師さんが包帯の交換のために病室に来てくれた。この看護師さんは看護のおりに色々と話しかけてくれる人だったけど、人との会話に飢えていた僕にはそれがありがたかった。
「入学したばっかで事故遭うなんて、運が悪かったねー」
「そうですね」
「部活は何やってたの?」
「まだ何も入ってなかったです」
「ふーん。中学の時は何してたの?」
「テニス部でした……。すぐに辞めちゃいましたけど」
看護師さんが病室から出ていったあと、僕は少し歩いてみることにした。病院の外へ出ることは許可されていないが、一応歩けるぐらいには回復していたから病院内を廻ってみたくなったのだ。
スライドドアを開けて、スリッパでぺたぺた音を立てながら歩く。時刻は午後で、斜めになった太陽の光が病棟を橙に染めていた。エレベーターで最上階を目指す。
『6階です』
機械音声のアナウンスにしたがい、昇降機を降りる。6階も病室でいっぱいだがその一角には展望用の大きい窓の備え付けられたスペースがあった。椅子やなんかが置いてあり、入院患者の溜まり場になっている。
「………」
ぺたぺたと足音を立て、その場に行く。窓の外には郊外の景色が広がっていた。いかにも病院の立地にふさわしい、穏やかな景色だ。とげを抜かれたような柔らかい風景。そこには空を裂くような高層ビルも灰色のコンクリートジャングルも見当たらない。ただ田園と川の風景が広がっているだけだった。
「悪くない景色だよね」
急に声をかけられた。振り向くと、そこには頭に包帯を巻いた髪の短い女の子が立っていた。歳は僕と同じぐらいだろうか。
「うん、割と綺麗な風景だと思うよ。……ていうか、君、誰?」
至極まっとうな疑問を口にする僕。いくら事故で入院したとはいえ、さすがに知り合いの存在を忘れるほどの脳へのダメージは負ってないはずだ。
「ん?ほら、こないだ会ったじゃん。ほら、読書スペースで君に漫画貸してあげたでしょ?」
……ああ、そうだった。この病棟の一角には本やら漫画やらが置いてある読書用のスペースがあるのだが、僕は先日入院の暇に耐えられなくなってそこに本を漁りに行ったのだ。本棚にめぼしい物がなくて落胆してた僕に漫画を貸してくれたのが、たまたまそこに居たこの子だった。確か貸してくれたのは少年ジャンプのバックナンバーだ。
「あ、ああ…。こないだはどうもありがと。ごめんね、わざわざ貸してくれて」
「別にいーよ。あれも私のじゃなくて本棚に置いてあったやつだしね。礼には及ばないよ」
右手をひらひらさせてそんなことを言う。だいぶ飄々とした性格のヒトのようだ。僕は少しだけ彼女のことが気に入った。
お互い暇なのもあって、休憩スペースの自販機で飲み物を買って色々話をすることとなった。こういう時患者同士でする話といえば決まっている。
「君はなんで入院することになったの?」
その子は一瞬だけ沈黙したのち答える。
「事故だよ。コーツージコ。でかいのに撥ねられたの」
「なんだ。それなら僕と同じだ」
「そうなの?」
「うん。幸い脳神経に深刻な損傷は負わなかったからもうすぐ退院できるみたいだけどね。あと二週間だってさ」
しばらく色々喋ったけど、会話はどこか上滑りしていた。無理もない。僕らはお互いのことを何も知らないし、事故、そして怪我という偶然によってたまたま同じ空間に押し込められているだけの赤の他人なのだ。十分ほどで僕は会話を打ち切ることにした。
「じゃ、僕は病室に戻るよ……君の怪我も早く治ったらいいね」
次の日、僕は地下にある検査室のようなところに連れて行かれた。MRIやら何やらを取られたあと、脳神経外科の先生の問診があった。 僕の前に先生が右手の指を差し出す。
「指、何本に見える?」
「三本です……よね?」
「今日は何月何日?」
「えーと、5月16日……だったと思います」
「はい、オッケー」
パソコンに何やら打ち込む先生。僕の認知能力を試していたようだ。それを終えるとこちらを向き、簡単な質問をしてくる。
「どう?入院生活で困った事とか、ストレスに感じてる事はある?事故の前と比べて、何かメンタル的な不安定さは感じるかな?」
「……いいえ、別に大丈夫だと思います」
問診はすぐに終わった。
昼食を終えた後、暇だったので僕はまた6階の展望室(と言っていいのかな)にやって来た。相変わらずスリッパの音をぺたぺたさせながらその場所に向かう。
数人の人に紛れて、頭に包帯を巻いた例の女の子がまたいた。今日も窓の外の景色を見ている。
「……何か面白いものでも見える?」
後ろから声をかけてみる。彼女は特に驚いた様子もなくこちらをちらりと見るとまた視線を窓の外に戻した。
「あそこ、ほら、あのあたり。あそこらへんが私が通ってた高校なんだ」
そう言って彼女は景色の中の遠い一点を指す。僕の目には分からなかったけど、そういうならそうなんだろう。
「目が良いんだね……通ってた、っていうのは?退院したらまた通うことになるんじゃない?」
僕はなんとなく彼女の過去形の言い方が気になった。
「ほら……私さ、5月のこんな時期に事故っちゃったじゃん。入学したばっかりだったのに。退院したら絶対クラスで浮いちゃうよなーと思ってさ」
「別にいいんじゃないかな?」
間髪入れずにそんな事を言ってしまった。包帯の子は、驚いたよう僕を見上げる。何を言ってるんだこいつはとでも言いたげな表情だ。
「浮いても良くない?それを言うなら僕とか小学校でも中学校でも浮きまくってたんだけど」
ああ、まずい。僕は今文脈とまるで関係のない自分語りをしてしまっている。
「まあ、僕は退院したらすぐ学校に戻るよ……。つまんないとこだけどね、暇なら昼寝してたらいいし」
語るだけ語って一方的に言葉を打ち切ってしまう。言い終わった後で一気に恥ずかしさが来る。うわ、絶対引かれただろうな…。穴があったら入りたい。
「……ふふ」
包帯の彼女は微笑んでいた。僕は少し驚く。
「君ってさ、絶対変なやつだよね」
その晩、僕は一人病室のベッドの上で考えていた。実際のところ、少しばかり大きな事故に遭遇したところで人の人生は変わるだろうか?少なくとも僕たちは生き延びたのだ。もっと悪い結果だっていくらでも起こり得たはずだ。
「……変化か、変化ねえ……」
僕はこの病室でいつもそうするように天井の模様を数え始めた。暇な時のルーティーンだ。
「ま、分かるわけないか……」
僕は目を閉じる。僕はこの世界のことをまだ何も知らない。ましてや他人がこの世界について何を思うかなんて。今の僕が気にするのは自分の体の回復の事だけだ。
それから何日かが過ぎた。若さのおかげか僕の経過は良く、体にダメージは残っているもののこのまま行けば予定通り退院はできるとの事だった。 その日、僕はふと思った。
「風に当たりたいな……」
この病院は当然と言うべきか屋上に上がることはできないけど、僕レベルに回復してる患者ならちょっと病院の前庭のあたりに出ても問題はないようだった。僕は少し外の空気に当たることにした。
エレベーターで一階に降りる。食堂とエントランスホールを抜け、自動ドアの外に。5月の爽やかな風がたちまち頬を撫でた。
ひとしきり深呼吸をする。久々の外気はやはり美味しい。ずっと病院の中にいたからなんだか凄く新鮮な体験に思える。
ふと前庭を見回してみると、花壇の前に入院着を着た人がいた。案の定あの包帯の女の子だった。ただ、もうあの重苦しい包帯は取れていて、僕はじかに彼女の顔を見た。
「あ……よっす」
そんな挨拶をする。お互い何か気まずくなる。病院という特殊な環境下にいる事を忘れれば僕らはやはりお互いの事を知らない他人同士だった。
「大丈夫?頭の方は」
彼女にそんな事を聞かれる。僕の方も事故の際に頭を強打していて、致命傷には至らなかったもののダメージが結構酷かったのだ。
「うん、多分もう大丈夫だってさ。君は?」
「私も同じ。運ばれて来た時は危なかったけど、奇跡的に助かったんだって。一応もうすぐ退院できる」
「そっか……良かったね」
それから僕らはなにを話しただろう。実際のところ、重要なことは何も話さなかったのかもしれない。上滑りしていく、当たり障りのない会話。でもその時に話すことはそれで良かったのかもしれない。
僕らは治りかけていたのだから。
しばらくして、風が少し冷たく感じられてきたので僕らは病棟に戻った。お互いの名前をこの時初めて教え合ったけど、それはある意味外の世界に僕らが戻っていく証拠だった。名前が必要なのは「外の世界」の僕らなのだ。
「──そうだ、一つ思ったことがあるんだけど」
「なに?」
上階へ戻っていくエレベーターの中で急に彼女にそんな事を言われたので僕は少し身構えた。
「君さ、何に轢かれたの?」
「………」
無神経というかなんというか……。まあいいや、この子も同じような境遇なんだからそういう無礼は許そう。でも──。
「秘密。教えてあげない」
「なんで?私は教えてあげるよ。私ね、トラックに撥ねられたの。あれ、タンクローリーだったっけ?」
「おいおい、大丈夫かよ……」
頭のダメージまだ消えてないだろ、と突っ込むか迷ったけど、それこそ無神経なのでやめておいた。エレベーターが止まり、扉が開いた。彼女は少し笑って言った。
「じゃあね。早く怪我治してこんなとこ退院するんだよ」
「君もね」
彼女は手を振ると自分の病室の方へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
退院の日が来た。僕は病院の外に踏み出すと、少し振り返って病院の建物を見上げてみた。お世話になりました、と心の中で頭を下げる。
「──あの子は一週間後に退院だっけ」
先日本人からそう聞いていた。まあ、退院後に彼女に会う可能性は限りなく低かった。僕らはそれぞれの人生へ戻っていくのだから。
──なんだ、この物語は珍しくハッピーエンドみたいだ。
僕は迎えの車に向かって歩き出した。もう、病院を振り返ることはなかった。
A Boy Is a Gun 川上いむれ @warakotani
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