第25話 数値の揺らぎ



午前10時、放流管理棟の監視室に警告音が短く鳴った。

モニターの一角で、濁度の数値がわずかに上昇している。

基準値を超えるほどではないが、昨日まで安定していた値からの変化は無視できない。


「濁度、0.7から0.9に上がってます」

リオ=フェルナードが報告すると、主任のミカミ=サトルがすぐに反応した。


「流量は安定しているな……よし、現場で採水だ。

数値の変化は、現物を見て初めて意味がわかる」


二人は採水用の器具を持ち、放流口へ向かった。

川へと続く放流路の水は、一見すると透明度が高い。

しかし、瓶に採った水を逆光にかざすと、微細な粒子がゆらゆらと漂っているのが見えた。


「見た目はほとんど変わらないけど、粒子が増えてますね」

リオは瓶を静かに回しながら観察した。


「こういう時は、前工程の影響を疑う。

最終沈殿池や濃縮槽での微細粒子の流出、あるいは薬品の反応残りだ」


棟内に戻ると、分析室では採取したサンプルの前処理が始まった。

濁度計での測定に加え、SS(浮遊物質量)と顕微鏡観察も行う。

モニターに映し出された拡大映像には、微細な無機粒子と、わずかな有機片が混ざっていた。


「これは……汚泥処理棟からの戻り水に含まれていた可能性が高いな」

ミカミが顎に手を当てる。


「戻り水の流入量が増えれば、放流側にも影響が出るんですね」


「そうだ。だから放流管理棟は、処理場全体の“健康診断”みたいなものだ。

数値の揺らぎは、どこかの工程の変化を知らせるサインになる」


リオは気づき帳に記録を残した。


> 濁度上昇(0.7→0.9)

> 現物観察:微細粒子増加(無機+有機)

> 推定原因:汚泥処理棟からの戻り水の影響

> 放流管理棟の役割:処理場全体の変化を最終地点で検知


午後、汚泥処理棟から連絡が入った。

「今朝、脱水機の洗浄水が一時的に増えた」との報告だ。

それが戻り水の濁度をわずかに上げ、放流側にまで影響したのだ。


「原因がわかれば、あとは経過観察だな」

ミカミはモニターの濁度グラフを見ながら言った。

数値はゆっくりと元の安定値に戻りつつあった。


夕方、放流口の水面に夕日が反射していた。

リオはその光景を見ながら、今日の出来事を思い返す。


「数値の揺らぎは、現場の声なんですね。

それを聞き取るのが、私たちの仕事」


ミカミは静かに頷いた。


「そうだ。そして、その声を無視しないことが、自然への責任だ」


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