第32話 イレーネの提案

ヴァルグは机上の水晶板に走る干渉縞をじっと見つめていた。

「……分かった。次の符号は、“望み”そのものを刻もう」



イレーネが口を開く。

「だが、どうしたものかしら。

先の大戦ならまだしも、今回は我が国から一方的に仕掛けているだけなのだわ。

平和を求める符号を送っても、“攻撃をやめればいいだけ”と返されるのではないかしら?」


その言葉に、ヴァルグは目を伏せた。

「……それはそうだな」

認めざるを得ない。

だが、ヴェルトリアの中で戦を止めようと訴えたところで、あまりに無勢だ。

王は理想を掲げていて、その決意は揺るぎない。

自分一人の声では、とても国を動かせない。


せめて――ソーマやアルディナの側からの働きかけがあれば。

そのとき初めて、こちらも立場を改めることができるのではないか。

虫のいい話ではあるのだが……



イレーネは椅子の背にもたれ、真っ直ぐにヴァルグを見据えた。

「ねえ……ヴァルグ。もう一度アルディナに戻らないか?」


ヴァルグは思わず顔を上げる。


「ヴェルトリアで身につけた“光の干渉回路”と、アルディナの“簡易な魔導回路”。

その二つを融合させ、新しい仕組みとして示すのだ。

それをアルディナの王に見せれば――共存の道を提案できるかもしれない」


イレーネの声は落ち着いていたが、その内容はあまりにも踏み込んでいた。

「それに、アルディナの魔導技師軽視も改善されたはずよ。

……それだけはヴェルトリアの成果かもしれないわ。犠牲は大きかったけれど」


ヴァルグは息をのむ。

「……それは……」


驚きと同時に、心の奥で強くうなずいている自分がいた。

確かにそれなら、一歩を踏み出せるかもしれない。


だがすぐに別の思いが胸をよぎる。

(イレーネは、アルディナから亡命してきた俺を拾い上げてくれた。

再びアルディナに戻るなど――彼女に申し訳なさすぎる)


さらに冷たい汗が背筋を伝う。

(いや、それ以上に……私の監督役でもあるイレーネの身が危険になるのではないか?

王に忠誠を誓う廷臣たちに知れれば、彼女自身が裏切り者と見なされかねない)


ヴァルグは口を閉ざし、視線を落とした。

思考の中で光と影がせめぎ合う。


やがて彼は低く絞り出すように言った。

「……だが、そんなことをすれば……あなたの身が危うくなるのではないですか?

王の耳に届けば、裏切りとみなされるかもしれない。

そんな恩をあだで返すことになってしまう……」


イレーネはその言葉を遮り、ふっと笑った。

「心配してくれるのは嬉しいけれど……面白い技術を見せてくれるのが、いちばんの恩返しよ」

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