第19話 閑話・エルドランの決意
工房の扉が静かに閉じ、ソーマとリィナの足音が遠ざかっていった。
残された静寂の中で、エルドランは炉の火を見つめたまま長く息を吐いた。
「……変わった青年だったな」
傍らで湯を注ぎながら、ルシアが小さく笑う。
「おじいさま、彼――ソーマさんが先日の結界を修復してくださった方なんですよ。再訪者とも呼ばれていました」
そして、少し頬をふくらませて言った。
「……でも、私も今日まで知らなかったんです。おじいさまがあんなすごい魔導回路技師だったなんて。もっといろいろお話を聞きたかったです」
エルドランは少しだけ目を細め、湯気の向こうに孫の顔を見やった。
「語れぬことが多かったからな。お前に背負わせるには重すぎる記憶もある」
言葉を切り、しばし沈黙が落ちる。
やがて彼は炉の炎を指先でなぞるようにして、ゆっくりと続けた。
「……再訪者か。かつて結界を救った転移者という不思議な存在は耳にしていた。ちょうど、わしがすっかり嫌気がさして引きこもっていた頃のことだが……。たしかに、彼と似ておったようにも思う」
ルシアの瞳が揺れる。
「やはり、ソーマさんがそのときも……?」
「どうだろうな。だが――前の者とは少し様子が違っておったな」
老人の口元に、苦いような笑みが浮かぶ。
「以前の転移者は、己の手と感覚で配線を操り、奇跡のように結界を整えたと聞く。
だが、今のあの青年は……少々頭でっかちなのではないかな。理屈を積み上げ、言葉を弄し、考えに囚われすぎているように見受けられる」
* * *
それから一、二週間が過ぎた。
ルシアは研究所や城下で耳にした噂を、折に触れて祖父に伝えた。
「ソーマさん、この前も研究所で回路を作り直していたそうです。
頭の中にある理論を、この世界の道具で形にしていたとか」
「古い回路の仕組みを自分なりに組み替えて、安定動作するようにしてくれたって……兵士が感謝していたとも聞きました」
エルドランは黙って聞いていたが、やがて炎の奥を見つめるように目を細めた。
「……ほう。そういうことをしておるのか」
そして静かに言葉を継いだ。
「回路を描き、失敗し、学び直して取り入れる――それならば、これからが楽しみだわな」
炎に照らされた眼差しが、ふっと鋭さを増す。
「……わしも、もう一度くらい一緒に仕事をしてもいいかもしれん」
そこでふいに、老人の目元に小さな笑みが浮かんだ。
「しかし……よくもまあ、あやつの話を聞いてくるな。――お気に入りか?」
「ち、ちがいます!」
ルシアは思わず声を上げ、頬を赤らめる。
「ただ……研究所の皆が話題にしているから、私の耳にも入ってくるだけです」
エルドランは呵々と笑い、首を振った。
「そういうことにしておこうか」
炉の火がぱちりと弾け、二人の間に柔らかな空気が流れた。
* * *
数日後、王城から使者が訪れた。
「陛下がお言葉を預けられました。――ソーマ殿を助け、今一度この国の魔導回路にお力を貸していただけないか、とのことです」
言い終えるよりも早く、エルドランは身を起こしていた。
「承知した。……もとよりそのつもりだ」
使者が驚いて言葉を探すのをよそに、老人の瞳は静かに燃えていた。
長く遠ざけてきた回路の道に、再び立つ覚悟はすでに固まっていたのだ。
* * *
「ルシア。――お前の紹介は、悪くなかったぞ」
祖父の不器用な言葉に、ルシアは目を丸くしたあと、静かに微笑んだ。
炎の揺らぎが、二人の影を寄り添わせるように映し出していた。
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