第36話 向日葵
翌朝も若旦那様と紫哭様のお屋敷を尋ねていた。昨日とは別の反物が昼頃に届くらしく、その時間に合わせてきた。同じように奥の部屋に行き鏡の前で立っていると、若旦那様と使用人の話し声が聞こえてきた。
「えっ紫哭がいない?おかしいな、今日も続きをやるって言っておいたのに」
「どうしましょうか」
「仕方ない。僕一人でやります。お店の方を頼みます。なにかったら言ってください」
「へい」
若旦那様が部屋には行ってくると、昨日と同じように採寸を始めた。昨日の着物に合わせる長襦袢も新しく仕立てるらしい。けれど、昼を過ぎても、届くはずの反物が届かなかった。
それはお梅さんが出してくれた西瓜を、休憩がてら縁側に座り食べているときだった。
「若旦那様!大変です!!」
店の方から、血相をかいて使用人が走って来た。然程の距離ではないのに、かなり息が切れている。
「例の反物ですが、飛脚が隣町で怪我をしたとかで、今日中に届けられないそうです」
「えっ!?品は無事なのか?」
「それもまだわからなくて・・・。もしかすると、届けるには二、三日かかるかもしれねぇって話です」
「三日!?納期も迫ってるのに、そんなに待てないぞ・・・」
「すっすぐに誰か向かわせます」
すぐに引き返そうとする使用人を若旦那様が呼び止めた。
「反物が心配だ。僕も一緒に行くよ」
「店の方は紫哭に任せる。急ぎ探して来てくれ」
慌ただしくなっていた。若旦那様は爪を噛みながら、なにか考え込んでいる。
「若旦那様・・・」
「八千さん。せっかく来ていただいたのにすみません」
「いえ、私は平気です。それよりも隣町まで行かれるんですか?」
「隣町はここから、それほど遠くありません。早ければ今夜には戻れるはずです」
その場の空気に緊張が走った。すぐに支度をする若旦那様。数名の使用人を連れて、隣町へと出かけて行った。
「お気をつけて」
小さくなる背中を見つめていると、山の向こう側の雲が灰色掛かっていた。
「八千様。大丈夫ですよ。若旦那様はじきに戻られますから」
部屋に戻ると、食べかけの西瓜が縁側に置いたままだった。西瓜を台所に片付け、屋敷に帰ろうか迷っていると、あの欄間の部屋を見つけた。
そうだ。初めて紫哭様の屋敷に来たときに見つけたんだ。ふと、屑籠から溢れている紙に目が留まった。部屋に入り、散らばる紙を屑籠に入れようとした。すると、墨で花が描かれている。その花に見覚えがあった。くしゃくしゃに、丸め込まれた紙を広げた。
「これは・・・」
皺のついた紙には、牡丹の髪飾りの絵が描かれている。焼け焦げて、原形をとどめていない髪飾りが、そこに蘇っていた。
これは紫哭様が?・・・まさか、髪飾りを作ろうとしてくれていたの?
指先で、墨の後を辿った。白色と赤色の花弁が重なり合う。ここはきっと濃い緑色の葉。
「紫哭様・・・」
淡い期待が胸の中に広がっていく。それは、あの金平糖の優しい甘さに似てい気がした。
「紫哭お兄ちゃーん!」
玄関の方から、小春さんの声がした。すぐにお梅さんの出迎える声が聞こえてくる。私も玄関へ向かった。
「あっ八千さん!今日もいらしてたんですね。良かった!紫哭お兄ちゃんいないから、帰ろうと思ってたの」
「出かけているみたいで。若旦那様も今はいないの・・・。あっ、お梅さんお茶をお出しして」
「はい。ただいまお持ちしますね」
「もぉ紫哭お兄ちゃんったら、どこに行っちゃったのかしら」
小春さんは唇を尖らせ、まるで拗ねたような顔を作っていた。
「急ぎのようだったらお店の方に」
「ううん。会いたかったから来たの」
縁側に座ると、お梅さんがお茶と西瓜を持って来てくれた。小春さんは帯の間から、和紙を取り出した。
「これを見せたかったの」
「それは・・・狸?」
「違ーうっっ!猫です猫!」
「あっごめんなさい。可愛い猫ですね」
「紫哭お兄ちゃんも狸って言うからやり直してきたのに、まだ狸かぁ~はぁ」
小春さんの持っていたのは、猫の形に似せた和紙だった。そういえば、前に紫哭様が試しに折っていた・・・懐かしい。
ため息を零しながら、小春さんは再び帯の間に入れ込んでいた。
「でもとっても可愛いですよ」
「可愛くても猫に見えなきゃだめなの。紫哭お兄ちゃんに嫁いだら、上手に作れるようになって、お店の手伝いもしなきゃいけないでしょ」
「・・・そうですね。小春さんは、紫哭様とは前からお知り合いだったんですか?」
「私たちの馴初め知りたい!?キャァー恥ずかしい」
両手を頬に添えながら、身体を左右にくねらせた。
「お父様がね、壷玖螺のお店の常連で紫哭お兄ちゃんに会ったの!私小さい頃からずっと好きだったのよ。紫哭お兄ちゃんのこと。なのに何回も告白したのに、ぜーんぜん相手してくれないんだもん」
「告白?小春さんから?」
「うんっ!」
にっこりと笑う小春さんは、向日葵のように眩しかった。たくさんの愛情を受けながら、大切に育てられたのだと私でも分かるくらい。邪気がまるでなかった。
「・・・でもね、何回目だったかな~好きな人がいるから無理!ってきっぱり断れちゃったの」
「紫哭様に好きな人?」
「断る常套句かなって半信半疑だったけど、そのときの紫哭お兄ちゃんの顔が・・・とっても切なそうで、だけど愛おしそうに誰かを見ていたの」
「・・・」
「だから、あーこの人は本気で誰かに恋しているんだなって私、一度は諦めたのよ・・・。でもなんと!最近になってどういうわけか、お見合いの話しを承諾してくれたの!」
パチパチと拍手をする小春さんは、とても嬉しそうで幸せに満ちていた。
「嬉しかった!本当に嬉しくて泣いちゃったもの。ふふふ。私、可笑しいでしょう?」
「いいえ。可笑しくないですよ」
「やっぱり八千さん優しいな~」
「そんなことないですよ。・・・小春さんの想いが通じたですね」
その笑顔が少しだけ、陰ってしまったのがすぐにわかった。
「でもね、紫哭お兄ちゃん・・・きっと、今でもその人のこと、好きなんだと思う・・・」
どこか遠い空を見上げていた。同じように空を見上げると、どんよりとした灰色の雲が広がっていた。雨の匂いが漂い、湿った空気が胸に圧し掛かる――。
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