第31話 燭光


 昼頃、汚れたてぬぐいを洗おうと、井戸に向かった。水を汲んでいると、蕗子様が廊下から私を呼んだ。


「八千さん、ちょっと」

「・・・はっ、はい」


 思わず声が裏返ってしまった。私に許可を取るなんて一度もなかった。私はてぬぐいを井戸の近くに掛け、蕗子様の元へと向かった。その場で済むと思ったら、部屋に来るように言われた。


「蒼蜀の具合は?」

「今は部屋で休んでいます。幸い傷口は浅いようで、朝食後は本を読んでいました・・・。まだ空元気といった様子で。食欲もあまりないようでした」


 蕗子様の部屋に入ると、お茶が用意されていた。隣には和菓子もそえられている。餡子が透明の生地に包まれている。やんわりと清涼感が漂っていた。


「甘い物はお好きでしたね?どうぞ、お食べになって」

「ありがとうございます。ですが・・・」

「昨日の礼です」

「礼?私はなにも、むしろ助けていただいたのは私の方で」

「あのとき、貴方が蒼蜀を止めなければ。きっと蒼蜀は殺めていたでしょう。そうなっていたら、あの子はもっと苦しむことになる」

「私はただ止めたい一心で・・・」

「以前、貴方に言いましたね。妖を受け入れなければ、ここでの生活が苦しくなると」

「はい。覚えています」

「・・・私は少々貴方を誤解していたようね」

「誤解、ですか?」


 首をかしげる私を前に、蕗子様はお茶を手に取り一口含んだ。


「少し、昔の話に付き合ってもらえますか・・・」


 いつもと様子が違っていた。姿勢を整えて話始めるのを静かに待った。


「私がここへ嫁いできたのは、もう何年も前のことです・・・。私は周りが言うような名家や大尽の生まれではありません。・・・ただの村娘なのです」

「あんなに、書も和歌もお上手なのに?」

「ここへ嫁いで、ずいぶんと勉強しましたからね」

「わ、私はてっきりみんなが言うように蕗子様は育ちの良い方だとばかり・・・」

「その村では裕福な方でした。けれどこんな立派なお屋敷に住むような身分ではありませんよ。・・・私の住んでいた村は、ここから南の方へ、山を越え海を渡ったところあります。外界から隔てられるように、ひっそりとした村です。たまたま、吉右衛門様とその父唯之進(ユイノシン)様が村に立ち寄られたのがきっかけです」


 部屋の隅で焚いていたお香の灰が、ぽたりと落ちた。


「当時は、なぜ私のような村娘が壷玖螺のお目に適ったのかわかりませんでした・・・。ですが、ここへ嫁ぎ壷玖螺の噂を聞いてわかったのです」

「・・・うわさ?」

「壷玖螺が財を成したのは、妖の力だと町中で噂になっていました・・・。もちろん人と妖が『契り』を交わすことは少なくありません。けれど、良しとしない輩もいるのもまた事実。私は思いました。だからこそ、私はここへ嫁ぐことになったのだと・・・」


 だからこそ、に続く言葉の意味がわからなかった。私の知っている蕗子様とどうしても繋がらない。けれど、次に蕗子様から出た言葉は私の予想していた物と全く違っていた。


「私の住んでいた村は、猿族と言う妖と一緒に暮らしていました」


 思考が置いて行かれた。すぐに追いつこうと頭中を駆け巡らせた。

 妖と人が親密に暮らしている村があると聞いたことがある。人里を離れた森の奥に隔離されたようにある村。知っていたけれど、蕗子様がそこの生まれだったの・・・?


「猿族。き、聞いたことがあります。人に、とても似ている妖でしたよね?」

「ええ。姿形は殆ど同じです。・・・生まれたときから、隣の家は猿族でしたから、他の村もそういうものだと思って育ってきました・・・」


 目を細める蕗子様は、どこか昔を懐かしむようだった。


「一番仲の良いお琴ちゃんと言う娘は、人と猿族の間に生を受けた子でした。見た目は普通の人です。活発でいたずらっ子のように笑う娘でした。一緒にいて、とても楽しかった・・・本当に楽しかった。柿木に上り私の分までとって来てくれるのです」


 蕗子様がつけていた組紐。あれは・・・そのお琴ちゃんからもらったものだったんだ。


「私が嫁ぐことになり、村を出ると知った日、お琴ちゃんは泣いてくれました。泣きながら、自分は猿族であるから、ついていけないと私に何度も詫びたのです。当時の私は世間知らずの小娘でしたから、お琴ちゃんの意味をあまりわかっていなかったんです・・・。必ず遊びに来ると言い村を出ました。でも、私が再び村に行くことはなかった」


 蕗子様の顔に影が落ちた。


「里を下りて、この町に来て初めて知りました。人と妖に亀裂があるということを。共に暮らしているように見えても、埋めようのない、深い溝があるのだと。・・・お琴ちゃんは、そのことをわかっていたんですね。奇異なのは自分たちの村で、本来は人と妖との生活は別物なのだということ・・・」


 蕗子様は手首に巻いてある組紐を大切そうに撫でた。普段は着物の袖で見えないが。ずっと肌に離さず付けている・・・。


「ここへ来て、私は妖たちと距離を置くようになりました。何度、あの村に帰りたいと思ったことか。・・・でも、できなかった。蒼蜀が生まれ、妖が恐いと言うようになって尚更。いつしか私は村ことを隠すようになったわ。辛かった。生まれ育った村を、お琴ちゃんの波だを裏切ってしまったようで」

「蕗子様・・・」

「けど昨日の貴方の言葉に、どこか救われた気がしたの」

「私のですか?あのときは夢中でなにを言っていたか・・・?」

「これはそのお礼でもあるのよ」


 そういうと、蕗子様は深々と私に頭を下げた。『蒼蜀をどうかお願い』と。私は慌てて蕗子様に、顔を上げていただくようにお願いした。

 誤解していたのは私の方だ・・・。


「お話しを聞かせていただいて、ありがとうございます」


 それから、笹の葉にのった饅頭をいただいた。のど越しがよくて、とても美味しかった。

 蕗子様の部屋を出る頃には、既に日が沈みかけていた。


「お琴さんとは、それ以来会ってないんですか?」

「えっ・・・そうね。でも、多分一度だけ来てくれたのよ。これを届けに」

「組紐ですか?・・・そうだったんですね。良かった。いつか、会えるといいですね」

「ええ。そうね・・・」


 蕗子様は組紐を見つめながら目を細めた。

 私はゆっくりと障子を閉めた。胸の奥に知らぬ温かさと、切なさが同時に灯っていた。昼間、ずっと鳴いていた蝉の声が遠ざかっていた。

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